年が改まると、令和6年と言うより、2024年、昭和99年の方が馴染む。来年は昭和100年、戦後80年となる。感覚的には明治・大正が現代史から近現代史に入る。ただ昔の区分と違うのが映像と音声が残っている。さらに少しながら生きている人もいる。
1月17日阪神淡路大震災の29年目。当時のニュ-スが流れる。もう30年も経ったのかという想いが残る。そのあとの大震災が二つ。記憶の上書きで、神戸を忘れつつある。
そこで記憶を戻すのだが最初に何曜日の朝だったかを思い出せない。うっすらと記憶を戻すと、地震が起きた時間は築地で働いていた時間で揺れを感じなかった。仕事中に誰かが関西で大地震があったという声を聴いたが、午前は業務に追われTVの画像は家に戻るまで記憶無し。それでも夜にはが画像を見て、九州との物流途絶があると思った。この対策が船便だろうと予測する。今から思うと関西の地震は予想はしていなかった。
能登半島の地震の後の復興の先行きは暗く感じる。東北の震災は半島でないから先がある。半島という地域は行きどまりの意識がある。梅の産地である紀伊半島は電車こそ半島を一周しているが熊野辺りは名古屋にも近いのに電車は大阪向けが多い。高速道路もまだ一周していない。明治期に熊野はアメリカに近かった。そんな歴史を地元の人しか知らない。過疎を実感する商店街。ここに予想される津波が来れば、風景が激変し、過疎が進む。
神戸の時の地震で東京都の災害物資の出動機会があった。しかし割り当てされた商材は梅干しで、震災時に昔のような炊き出し時代でなく、簡便な飲食物の時代で間も無く制度が消えた。梅干しの役に立った時代は先の戦争までかもしれない。備蓄の食料も賞味期限があって、定期的に更新しないと、災害時に期限切れを支給されたとクレ-ムが来る時代となった。
炊き出しで今でも喜ばれるのはカレ―ライスだろう。そこに唯一福神漬の出番がある。