新年早々の波乱の年明け。能登半島の低地は震災で倒壊を逃れても、津波で家は大破。消滅地域でそれでなくても過疎化が進んでいる地域で、家を再建する気力が残るだろうか。空き家等の活用などで復活しかない気がする。人が減れば様々な生活基盤が維持できない。食を確保する店も成り立たないし、バス便も消える。
2日の初夢が消えて、1日遅れの夢を見る。75歳以上の夢があるのだろうか。自分はとりあえず生きる収入はあるが借家である。多くの持ち家礼賛派は老後のポイントが持ち家と言っているが、介護の経験から、これに安住は出来ない。自己の家を資産と思って評価しているが75歳になると、その家を担保として借金する手段がある(リースバックとは 売却した家に毎月の家賃を払い住み続ける制度)
家を売ったお金が一括で入ってくるため資金繰りが楽になる他、 引っ越しも避けることができ
将来まとまった資金が手に入った際に買い戻すこともできます。
家を売ったお金が一括で入ってくるため資金繰りが楽になる他、 引っ越しも避けることができ
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評判を聞くとやはり情報格差があって、金融の方が圧倒的に有利な契約となっている。しかし75歳で家があっても、今の所では売ってしまうのが最善のように見えるが、住んでいた家を売ることは転居するということになって、気心の知れない隣人と75歳過ぎて付き合うことになる。多くの高齢者が優良介護施設に入って、出る原因となる。こればかりはくじ運のように見えるが、母の介護の経験から、介護施設は集団生活で、そこに同居者として認知症の人が住んでいる人が多いと知らないようだ。この認知症の様子は知っていても想像がつかないし、対処が難しい。高額な施設費を払ってすぐ出ることもある。かといって自宅介護が年々難しくなる。多くの介護経験者の話は一例にすぎず、自分の場合はどうなるか判らない。
色々な人の高齢者の介護を見ていると介護情報に格差があって、さらに企業側の情報でも、不都合な情報は中国並みに隠している。隠されていても不都合なことが起きなければそれで幸福なのである。人はいずれ死ぬ。遅いか早いかの差で死ぬ。そして残した使いきれない資産で家族と親族で揉めることもあって、悩むこともある。
75歳の男性の平均余命を調べると13年弱である。しかし、突然88歳で死ぬことはない。その前に介護状態に入る。さらにデ―タでは平均ということでもっと長生きする人もある。不都合な真実は誰もその人が亡くなるまで正しい選択だったと言える人は稀で、普通は使いきれない資金・資産がある人と介護情報の富裕層しかない。この辺りは今の日本に介護情報漏れがあって、それを知っている人と企業だけが、介護の利益を取っているように見える。
このことに気が付いたのは介護の利益の主体が、介護される人かそれを依頼する人かによって異なることを知った時から始まる。
認知症の人の家庭裁判所で多く指定される公証人役場という制度。隠れた法律家の仕事。立場が認知症の人に立つ。従ってその人に最高の施設を世話する。長生きする。良くxxxは業界1位の満足度という宣伝が介護施設で聞こえない。満足したのが死者で嘘の宣伝ということが明白である。介護に満足という言葉は無いと考えたほうが良いと思うようになってきた。
これが1日遅れの初夢。