街歩きしていて、平地で見えない世界が都会の展望台に昇ると見える。改装後の江戸川区船堀駅の船堀タワ-を訪問した。ここは周囲に大きな建物が無く、高さ的には都庁の展望台より低いのだが遮るものが無く、遠方まで見える。
まだ昇ったことはないが見えている風景は東京スカイツリ―と同じと思う。ただ気分的には安定性が欠けていて、15分も滞在していなかった。都庁も高いのだが周囲に大きな建物があって、高さの優位性が感じられない
川崎市役所、文京区役所、北区のキタトピアの展望台にも行った。位置が違うので見える風景も異なるが大方の印象では大きな道路と大きな駅の周辺に高い建物があって単独の建物が少ない。後はゴチャゴチャという統一感のない世界。西欧と中国の統一感が日本には少ない。
その原因は何だろうかと考えると、やはり紅葉を愛でる日本人の自然観がある。並木というより、自然をすこしいじくってその美を評する文化があると思う。盆栽は一例だろう。風に枝を曲げられた松等を針金で整形し、風のない邸宅で風を感じるなどがあると思う。苔で緑の美を感じるのが苔を雑草扱いする文化との差もある。日本は水が多いことを自覚しない文化で、風呂に水をたっぷり貯めて入る文化は世界で例外の文化のように感じる。蒸し暑い夏は行水という文化もあった。シャワ-では済まないから行水となった。今は行水という言葉が消えた。
世界から多くのニュ-スがやってくる。良く読むと矛盾している記事が対中国報道で時間が経てば真実でないことが判ってくる。今の経済成長はインドに大差をつけられていて、その差が中国指導部の情報作為で目立っている。栄光の20年がようやく落日の時が来たようだ。先の日本の戦争で多くの国民が負けを認めたくなく、日本政府の大本営報道を信じていた。戦いが長くなると、政府より自己を守る意識が強くなる。そして協力より無力が強くなる。
今の時代の報道は後に真実という言葉が光っていない。玉は光らない、しかし磨けば光る。石は磨いても石。光を吸収する。