築地のすしざんまいの木村清社長の自伝の本を読んで、大方の情報を確認した。彼は職を転々とし、苦労して築地に来た。最初は自衛隊の航空関係の学校に入った。そこは学費の掛からない学校だったが、飛行兵の適正で不合格となり、普通の自衛隊員になることを止めた。その後の転職で一時は築地場外のところで漬物も扱っていて、その時の担当者が最初の場外市場のすしざんまいを開店した後に繁盛しているのを見て驚いていた。
今から書くのに図書館で2冊借り出した。
マグロ大王木村清 -ダメだと思った時が夜明け前- 2016年木村清著
カンブリア宮殿 村上龍×経済人 人が活きる会社 2012年村上 龍著 テレビ東京報道局編
築地で彼が次に目をつけたのが、24時間営業の弁当屋だった。場所は今はすしざんまい築地駅前店となっていて、弁当屋の名残は消えている。そこから今の築地本店を開業してから、驀進したと普通は思うが築地はそう甘くない。第一号店開業して24時間営業をうたっていても、夕方6時頃には周囲の店が閉まっていて、場外市場の真ん中の瀬戸物屋の跡地という記憶があるが、目立たない。
そこから木村社長の攻勢が始まる。築地と近い銀座に頻繁に飲みに行き、明朗会計のすしざんまいにホステスが飲み客を連れてくるようになった。当時の築地のすし屋は接待需要でお品書きが時価表示で、個人で交際費を使えない人は築地の寿司は怖くて敷居が高かった。そんな築地場外高級すし屋はバブル崩壊ですべて消え、今は接待というより観光風のすし屋となった気がする。今は昔のブランドが残っているが中身が変わっている。全てはすしざんまいの行列から来ている。
木村社長を見かけたのは自分は2回しかない。1回は会社で、2回目は前社長の葬儀の船橋の斎場。店の方は十回以上行ったことがある。律儀な人だなと思ったが著書を読むと、語ることとやることが同じという想いが残る。
すしざんまいの築地は明朗会計で予算と並ばなくても入れる店を知っているのでいつも使う。奥の院とか新店は穴場。本店では一回しか食べたことは無い。混みすぎ。カウンタ-席でガリの品定めをする嫌な客になってしまった。今の所自分がすしざんまいで食べたガリは合格点を超える。食の世界で漬物が一番先に品質が落ちる。いわゆる手抜きという。
海外の人のブログで東銀座のホテルに泊まり(ホテルの住所は築地)朝食を築地場外市場で本物の寿司を食べ、そこから都内各地の観光に出るという。確かに都営浅草線は成田空港と羽田空港に乗り換えなくて良い。つまり巨大で個数の多い旅行カバンで乗換えは不便である。