年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

渋沢栄一のドラマで

2021年07月18日 | 宅老のグチ
6月20日のNHK大河ドラマを眺めていたら岡山・興譲館で館長の漢学者阪谷朗廬が出てきた。朗廬(ろうろ)の名前の読み方が難しく、記憶に残っていた。
谷中墓地掃苔録/ 森まゆみ編著 

 自由民権福島事件の被告人だった民権家花香恭次郎の墓碑の文章の掲載部分のコピ-をとると,その上の欄に阪谷朗廬の谷中墓地の案内があった。関藤 藤陰(石川和介)を福神漬で調べている内に、谷中墓地の関藤の碑文を書いたのが阪谷素(朗廬)だった。

関藤 藤陰(せきとう とういん、文化4年(1807年) - 明治9年(1876年)12月29日)は、江戸時代末期(幕末)の福山藩儒学者。
彼の名前の変遷
関藤元五郎・石川元五郎・石川淵蔵・関五郎・石川和介・石川文兵衛・関藤文兵衛・関藤藤陰と名前を変えていて、それぞれの活躍時期を表していて、歴史家をの考証を難儀させた。
 関五郎の名前が頼山陽関係の文献で出てきて、同郷の森田思軒を混乱させた。

 江戸幕府老中・福山藩主阿部正弘の側用人(君側御用係)として幕政に関与する。横浜で黒船に偽名を使って乗り込んだこともあった。出典広島県立歴史博物館ニュ-ス第77号 99号平成25年7月号
 
 石川和介 名前を何度も変えた人なので歴史家の文章で整合性が取れず、記憶から消えていた。浦賀の研究書でやっとこの人物がぺり-来航時の影の実力者であったことを知る。浦賀での町奉行との文献があれば、彼の功績が明らかになるだろう。

 福神漬の缶詰の文献で戊辰戦争最後の戦闘で、函館で千葉行徳の漬物屋が浦賀奉行の人たちと同日、同場所で戦死した経緯を調べてゆくうちに、中島三郎助と水戸藩の関係が石川和介を通して見えてくる。
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新標語 飲んだら乗るな 飲んだら話すな 内閣府

2021年07月17日 | 宅老のグチ
もう統制の効かないコロナの緊急事態でふと標語が浮かんだ。居酒屋でワクチン接種者2回は追加2時間飲酒、1回は1時間。まだの人はひとり酒で個室行き。
 これも人生の修行である。
 車は飲んだら乗るな
居酒屋で飲んだら話すな
 ワクチン飲みは口の形は〇でチン
 路上飲みは缶(菅)を残さず

 もう新規感染者数でなく、重症患者数とベッド使用率だろう。
新感染コロナ号 行き先不明。時によりあの世行き
死の農場(シノファ―ム)話苦沈 ファイザ-級 モデルナは何型。リストラセネカ 日本より台湾行き

 暇な今、いろいろ勉強しているがやはり消費税は増税しかない。得た税収で弱者救済しかない。基本国民年金とか健康保険を無料にし、コロナのような突発時に救済しなければいけない。豊かな老後は自己資金で備える。最低限は消費税で補償する政策が望ましい。生活保護を受けている人も消費税は支払う。それで高所得層の方が消費税の軽減の恩恵を受ける。
 多くの金持ちは税制の隙間で節税し、さらに資産を増やしている。
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杖の使用初め

2021年07月16日 | 宅老のグチ
今まで、山登りで杖を使ったことがあるが、腰を痛めて起き上がるのに杖を使った。立ち上がれば腰は痛くないが、立ち上がるのに一苦労する。これでは間も無く寝たきりとなりそうで、体力保持の方法を考える。
 昨日より痛みは薄れたが、こうして日々劣化してゆくことを考えると調べごとのための時間がないことを感じる。統計では男の75歳は平均健康寿命の超えていて、いつ介護の段階に入るかもしれない。多くは骨折から始まる。その骨折も足の歩き方がすり足となって、畳のヘリの段差でも転ぶようだ。さらに庇う手の出が遅く、別の骨折を招くようだ。
 ひとたび骨折となると仕事をしていないので無理してリハビリをしない気分となる。
 一度長期の入院となると元に戻るには1..5倍の回復期間がかかる。やはり仕事は薬のようだ。横綱白鵬の長期休場明けで心配していたが白星が薬となったようだ。
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100歳母の健康診断

2021年07月15日 | 宅老のグチ
そろそろ介護施設に預け入れを検討したところ、健康診断書がいるという。そこで普段利用している病院では皮膚科がなく、総合病院に行くようになった。朝から準備し、一番苦労しそうな小水も無事確保し、医者へ向かう。車いすで診察を受けるのだが、一番苦労したのが体重身長測定だった。結局体重測定で不自然な態勢で母を支えていたので今腰痛が痛い。
 健康診断が終わって家に帰ったら昼を回っていた。1週間後に診断書が出来るという。
 夜に直木賞の発表があった。今調べている河鍋暁斎の娘の話で図書館に10日ほど前に予約したら、87番目だった。今は何番だろう。
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禁酒は日本食文化の破壊

2021年07月14日 | 宅老のグチ
飲酒は日本の食文化の中心で、政府のコロナ対策で禁止するのは、日本食文化の破壊でもある。もちろん酒に飲まれて、平常な行動が出来ない酒は本来の飲酒文化ではありません。よって交通事故は飲酒で免罪とはなりません。
神社本庁は次のように考えているようです。
 直会とは、祭りの終了後に、神前に供えた御饌御酒みけみきを神職をはじめ参列者の方々で戴くことをいいます。
古くから、お供えして神々と一緒の共食により神と人とが一体となることが、直会の根本的意義であるということができます。
簡略化されたものとして、御酒を戴くことが一般的な儀礼となっていますが、これは御酒が神饌の中でも米から作られるものであり、また調理をせずにその場で直接戴くことができるため、象徴的におこなうものとなりました。「神人共食」という祭りの根本的意義が示されています。
 これが拡大化され、会社等の宴会に酒を出し、酌み交わすことになりました。今は飲酒の強要としてパワハラ扱いされます。特にアメリカは厳しいようです。
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ワクチン2回済で外出

2021年07月13日 | 宅老のグチ
緊急事態宣言下でどれだけ人出が減っているか確認と晴れが続きそうで、梅雨明けになると熱中症が怖いので、今のうち歩いて筋力確保で外出。麻布十番を散歩。ある寺が気になって、調べたら226事件で刑死したひとが遺族の力で碑が作られた。7月12日は処刑された命日ということで、寺では仏心会という団体が法要をしていた。帰宅後に調べると、やはり226事件の遺族の団体で、戦前は天皇に歯向かった朝敵扱いされ、戦後は戦争に導いた事件の首謀者扱いで遺族に対して世間の目は厳しかった。
 ただ当時の新聞論調が515事件のように決起者を批判しなかったので、一般庶民は同情的であった。これは1500人の上官の命令で参加し、226事件後に理不尽な扱いを受け、生き残った人の埼玉県出身者が半数を占める兵士の証言から感じる。決起に参加させられた兵の当時の農村の悲惨さを記録している。埼玉県北部の農民は貧しかったので栗原安秀中尉の話は尊敬していたようだ。

 築地いたとき、戦後の農政が戦争に導いた226事件の記憶から、農家の自立ということで政策を立てていた気がする。農村の次三男を集団就職で都会に出し、都市と農村の格差を減らそうとした。成功したかどうかはまだ歴史家の審判を受けていないが、やはり朝鮮動乱で兵站工場となった日本が急速に復活したと思える。農村の過剰労働力が戦前には海外移民の奨励から、中国東北部の開拓団へ向かった。戦後は南米などの移民もあったが、日本国内の経済発展によって人手が不足し、農村の過剰労働力を都市が吸収した。昭和30年には戦前の経済力を回復した気分になった。
 
 梅雨明けが近いようだが、間もなくという東京オリンピック開幕感がない。カウントダウン時計も空しく、どうせ設定するなら8月22日のコロナ明けをカウントダウン時計の日付とした方がよさそうだ。ワクチンが6000万回を超え、高齢者の重症者が減っているようだ。こうなるとインフルエンザより重い風邪の感覚が出て来たようだ。これからはワクチン接種差別の問題である。
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築地本を読んで4年後の都議会の争点

2021年07月12日 | 築地市場にて
都議会議員選挙中で区から選出される議員広報を読んでいると、4年前に争点だった築地市場の移転問題から、地下汚染の状況を見ていて、小池知事の豊洲移転の是非が都議会議員の争点だった。4年後の今の選挙公報では当区の候補者から豊洲の地下に今でも汚染があるのにかかわらず、論議の言葉が選挙公報から消えている。
 今コロナによる飲食店への休業補填金から財政のひっ迫とこれから始まる東京都民の高齢化で福祉の問題が4年後の都議会の争点となるだろう。もう築地の跡地開発の問題は築地の問題から消え、東京都の傷んだ余裕資金から飲食店補助金の財源となるしかない。そのような口実で築地の跡地を転売することで移転反対した人々に許しを請うしかない。築地の青果や鮮魚の取引先は飲食店需要で彼らの料理の良き相談役でもあった。
 福祉の問題で保育園を拡充という候補者があったが4年後には消えている気がする。保育園増設はコロナで出産が減り少子化が加速し。希望する女性が入園出来る気がする。過去の保育園建設予算が順調にいきわたり施設整備が進み、4年後の都議会には保育士の給与が下がった問題が出るかもしれない。日本全国の保育士が余り、首都の保育園しか就職先が見つからない時が来そうだ。その後小学校が余り、学校統合の話も争点になる。英語教育と言って、中学生から交換留学で少子補填も想定できる。
 築地での経験から実践が語学の早道と思う。使わない刀(語学)はさびる。島国日本は外から人が来ないと怠ける。築地で警備している人が各国語で来る人に身振りと片言で対応していた。必要は語学を促進する。
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築地本6 本当にブッラクな築地市場

2021年07月11日 | 築地市場にて

サカナとヤクザ  -暴力団の巨大資金源「密漁ビジネス」を追う- 鈴木 智彦著
築地市場も有楽町から朝日新聞が1980年(昭和55年)4月23日 築地5丁目の市場の正門前に引っ越してきたから雰囲気が変わる。それまでのブラックで世間と別世界と感じる話を聞いいた。暇なときは現れないが、連休前後とか、年末の業務多忙なときは本性が出てくる。築地が繁盛していた時の話と人手不足で人材を選べないところで、他のところで失敗しても築地では受け入れてくれる。学校のブラック規則などは築地にはない。注意されるのは一度だけ。特に衛生面で茶髪金髪赤髪は普通の世界で体力があって、欠勤しなければ年齢制限がない。80でも十分働いている人を見かけた。築地で一番嫌われるのは無断欠勤で酒酔い勤務は黙認の世界。

 市場というところは表向き明朗公平という印象があるが、時間が短い・現金商売など規格化されていない商材は個人の目利きの職人の世界でもある。そこには常時不正を行う誘惑がある。在庫をしっかり記帳していても、破損、商材の賞味期限の日切れ等で廃棄するのも多い。市場は昼に終わる。すると昼から酒を飲める人は近所に住まいの人で事故さえ起こさないと見つからない。それで娯楽がギャンブルしかない。店の金を一時的流用として、ノミ行為の人に依頼する。大方損をして、店の商品を埋め合せる。従って親族でない人は信用が置けない。すると親族の羽振りの良さに比較し、バイトは賃金の安さからお客からの金を懐に入れることをするようになる。

 農産物でも水産物でも他人の商品となる物を無断で収穫し、東京等の市場に流す人がいる。多くは東京行きでこの本は事情が書かれている。築地のDXの遅れが産地の盗難品の販売先にもなっている盗難品の激安価格の下に生産者が泣いている。盗まれた農水産商品が値決めの参考価格となり生産意欲を減らす。
 市場で激安商材をあさるのは犯罪者の助けかもしれない。発展途上国で児童労働などで激安商品を日本に持ってきて販売することは、安さの正義より、搾取の共同犯罪者でもある。ウィグルを気にするのは世界は新しい段階に来た気がする。
 根拠のない激安は犯罪があるという疑念を持つ時代になった。安さを追求していた日本はもしかすると犯罪者的生産物を売っていたかもしれない。途上国労働者の搾取、再生産不能な無差別、無区分の乱暴な漁獲もあり、日本の100円すし屋を繁盛させる。心が痛まないのだろうか。金子みすゞが生きていたら、どのような詩を書くのだろうか。
 

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築地本5 すしざんまい 

2021年07月10日 | 築地市場にて
マグロ大王木村清-ダメだと思った時が夜明け前-木村 清著
 この本の出版は2016年春でまだ小池知事による豊洲移転ドタキャン騒動の前で、木村社長が 2015年4月29日豊洲市場の先客万来施設の涙ながらの断念の後だった。2021年秋には断念の原因となったお台場の温泉施設が契約切れということで、お台場から温泉施設が消える。豊洲の観光施設は木村社長の後を万葉の湯が候補になったがそこでも揉めた。東京都がお台場の温泉施設の契約延長しなかったのは豊洲観光施設へ集客懸念の密約の配慮だろう。今から思うと木村社長は運のよい判断だった。大和ハウスと取り組んだ先客万来施設は青果部の抵抗で大和ハウスの方が先に撤退した。その理由の噂では、土日の予備の観光客用駐車場として午後から使用車が減る青果部の買い出し人駐車場を予定していたようだ。他の暇な市場なら多分認められるが、青果連合は断ったようだ。コバンザメ商法は豊洲市場の自治意識に反する。これは明石市の花火事故の後遺症で、市場祭りで多人数の集まることの責任問題から来ている。築地以外の市場は毎年市場祭りがあって、それなりの集客力がある。しかし築地は別格で15万人ほど集まったときもあり、少ないときも10万人集まる。デズニ―ランドよりはるかに狭い所に集まる。明石の判決の後、築地市場祭りは運営者責任問題で開催を避けている。もし開催したら20万人が来るだろう。

さてマグロ大王の本だが確認はしていないがかなり出版社の意向に合わせて書かれている気がする。しっかりと読めば築地市場流通の欠点があって、さらに築地周辺の飲食店が外部から見た築地場外市場の有用価値を知らないで、朝早くから営業しているので夕方には店を閉めて人気のない街になってもなんとも思っていなかった。そこに築地本願寺の隣の場所で24時間営業の弁当屋をやっていて、需要があるとみていたようだ。さらに築地場外市場の中心部に空いた店舗に店を出す。外れならいくらでも貸し店舗あるが中心部の空き店舗は当時でも中々でなかった。
 木村社長の喜代村の経営記録で漬物がある。詳しく知っていた人から聞いたが当時として目立つ人だった様だ。場外市場の中心地から発展し、社用の顧客の多い場外すし屋は衰退してゆき、今はかろうじて生き残っている。
 彼の経歴から、千葉県野田市関宿生まれで、自衛隊に行き、ケガをして、築地に縁のある会社に勤め、隙間を狙って調査し、繁盛したが、結構失敗し、その経験の上に今がある。今はコロナでピンチのようだが決算を見ると、利益が減っているが赤字ではない。すし屋で元気のない声を聴くと寿司がおいしくない。
 でもこの本を読んで面白くない。安く水産物を明朗会計で提供するのは良いが魚の日本の生産者は希望をもって漁に行っているのだろうか。買い叩いているように思える。多くの地魚が流通に乗らず捨てられている。サイズの規格外もある。漁師が生活できてすし屋がある。

2016年は築地関連の本が多数出版する計画があった。
 

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築地本4 土壌汚染

2021年07月09日 | 築地市場にて
市街地土壌汚染問題の政治経済学 佐藤 克春著
第7章 築地市場移転予定地の東京都豊洲における土壌汚染
 求められるリスクコミュニケ-ション

 図書館で築地市場と検索したところ、この本が出てきた。豊洲の地下汚染問題で、土壌汚染専門家が考えるリスクコミュニケ-ションの考え方を打ち出している。著者の言うには東京都が移転のための情報隠し、データ取りの不自然さは全て築地の人(食品知識はプロだが)たちの土壌汚染という基礎知識がないため、不適切な土壌汚染調査という。そこから始まるリスクコミュニケ-ションの解釈で豊洲の地下空洞問題が大きくなり、再工事のあと、豊洲移転がオリンピック開催の圧力によって、小池知事が決断した。小池知事も石原元知事によって騙された。豊洲移転の強引さに、疑念を持つ人の頑張りで、築地以外の人の広範囲の知識を持つ別の世界の人が解明した。築地の利権と週刊誌が書いていたが、確かに公平に取引すると、法律の建前があるが人情もある。天候の加減で不足した商材をどこに回すかは営業の腕前で、過去の困ったときに助けてもらったところに他言無用とそっと回すとかの技もある。要は公平感を保ちつつ、義理人情を利用する。当然商材が余ったときに、前回の不足していた時のことを口に出さずでも目で言う。これはセリでないので起こる。夜中の処理は転送に近く、短時間の築地滞在で汚染の入る隙間がない。今は卸売市場法が実情に合わせて改正されて、話すことも出来るが半年前は法令違反で始末書の世界である。その理由は他の市場から天下意識のある築地は横暴という声が出る。豊洲市場の石原計画では首都圏3300万人の中核市場を作ると書いてあった。隣接している他県の市場はそれでなくとも不振で、築地や大田に商売をとられるという意識があった。

下記の2冊は同じく図書館検索で出てきた築地市場移転の時の豊洲地下汚染の情報隠しを詳細に検証している。この2冊だけを読んでいると、今でも地下汚染が在って豊洲移転の疑問視した移転反対派の人が静かなのが解からない。
1 築地移転の闇をひらく 中澤 誠著  水谷 和子著  宇都宮 健児著
2 検証・築地移転  -汚染地でいいのか 日本の食文化を守れ!-築地移転を検証する会編 

 豊洲へ移転後、東京都は中央区住民に対して、築地市場で使用していたアスベスト除去工事の説明会を行った。説明会場は満員だった。広さと量は過去最大級といわれ、築地市場付近の住民の心配を増した。もし築地で再建工事があったら、まだアスベストは撤去されずにいたと思うと豊洲の地下から微量の汚染が漏れてがんになる確率は築地市場の中皮腫ガンの確率の方が高いと思われる。豊洲の地下汚染の漏れの懸念は震災があったら床の隙間から漏れるという前提であって、築地市場のアスベストは覆われいない状態のところもあった。

 当時築地市場のむき出しのアスベストから中皮腫という特殊な肺がんが多発したら築地市場で働く人は消える。アスベストの潜伏期間は長いという。青果部は一番危険なレベル1で水産部は鉄骨の部分がレベル3で面積が一番広い。 
 築地市場閉場後すぐに解体工事を始め2020年2月末までに、築地市場の計155棟すべてを解体した。問題はその約3分の1の55棟で石綿・アスベストが使われていた。除去が必要な建物の壁や柱などの面積は計8万3500平方メートルを超える。そのうち飛散しやすく危険性が高い「レベル1・主に青果部」や「レベル2」が、約6万平方メートル(東京ドーム1.3個分)もある。水産部の仲卸の鉄骨部分はレベル3だった。青果はレベル1で移転を焦り、水産仲卸はレベル3でのんびりしていたのだろうか。地震でアスベストが剥がれ飛散することは地下汚染より怖い。地下汚染は長時間滞在しないといけないがアスベストは運の世界で肺に入ったら、50年間中皮腫ガンの心配がある。
 アスベストの悲惨とネズミの問題で築地市場周辺の人は東京都が隠していた(あまり話したくない事実)で築地市場を是が非でも移転させたいのはアスベストの使用面積の巨大さを 隠したかったと見える。豊洲の汚染の危険性(震災後)と築地のアスベストの危険性を考えると築地の方が怖い。築地市場は毎日5万人が出入りし、さらに全国から配送等で来る人もアスベスト汚染地域を知らないで通る。

 最近の週刊誌の見出しでは築地の利権とは商材でなく、旧築地市場の土地再開発だと思うが、東京都幹部の自由にならない選挙結果となった。もしかすると、再開発は消え跡地は公園になることもある。大田市場の隣に移転予定だった水産市場が遅れ野鳥公園になった例もあるし、旧築地市場の地下には江戸時代の松平定信の隠居後の大名庭園も眠っている。大江戸線築地市場駅出口に説明板がある。浴恩園という。

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築地本2-3 築地市場年代史⓶

2021年07月08日 | 築地市場にて
築地市場  -クロニクル完全版1603-2018
福地 享子著  築地魚市場銀鱗会著 東京 朝日新聞出版
 東京都の中央卸売市場史というのが上下2巻の本がある。築地の移転の騒動は4年ほど前の一時夏枯れのTVワイドショ-で全国に報道されていて、来客の人からどうなっているのと聞かれた。コロコロ変わる東京都幹部の話とぶれない反対派の中で、移転にある思惑が外部の人にみえてきた。でも築地の人は強引にやっていると知っていたが移転賛成派が多く、様子を眺めていた。

 2011年3月11日の震災時には水産部は大方業務が終わっていて、残務整理の人しかいなかった。しかし青果部は一日のデ―タ処理の最盛期の時間だったが、さすがに2度目の揺れでは、青果本館、別館から建物から距離を置いて、揺れるたびに壊れるタイルの落下を見ていた。会社で働いていた帰宅困難者を車に乗せ、3時には築地市場を脱出し、無事に送り届けた。

 10年も経たず、築地市場の移転騒動回顧録が出来るだろうが、この後は築地市場の再整備は記念碑しか残らない気がする。都心の交通の便の良い不動産は二度と出ないだろう。築地の本はあの騒動で全国に日本の食文化の中心と理解された。他の地方の市場の移転が中心地から物流に便利な地に移転しても騒がない。
 江戸時代から続いた仕事を食の流通の変化とDXという人知を超えたシステムで居ながらにして顔を見ながら世界と話し、商談する。そして数時間後には飛行機に乗って、異国の地で提供される。日本の高級料理店のは安すぎて、海外レストランなら十分採算が取れるという。築地市場の青果卸会社が2022年春に成田空港の隣に移転する、成田地方卸売市場と提携進出する。ここは豊洲で集めた商材を仕向け地に合わせて用意する市場でリンゴ等の高級農産物の輸出基地となる。
 築地は低迷している時期に、一般人が繁忙時間を過ぎれば、入場を黙認されていた。そして築地人の気が付かなかった良いところを見つけ外国人観光客の人気となった。豊洲へ移って、また前のように強い入場規制が戻り、食の安全安心は確保されたが何か観光客の満足が得られていない気がする。間も無くコロナとオリンピック騒動が終わり、平穏で話題が小さくなった豊洲市場が戻る。平成の初めはバブル崩壊だった。令和の初めはコロナによる飲食業の破壊だった。
 日本はコメの国で古来から酒は重要視され、物品税の始まりは酒税だった。今でも国税庁の酒税は食文化の中の必要な制度だが、今は酒酔い運転の交通事故やコロナ感染拡大促進者となっている。
 日本神話で天の岩戸の中に隠れたのを開けるため大騒ぎしたのは酒の力だろう。日本の宗教は酒が精進落としとして許される。

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築地本2-2 築地市場年代史⓶

2021年07月07日 | 築地市場にて
2016年夏、小池都知事が豊洲の地下汚染の検証がなされていないので突如延期となった。結果は2年後に豊洲へ移転が伸びたので、追加を記事を加えた本となっている。

築地市場  -クロニクル完全版1603-2018
福地 享子著  築地魚市場銀鱗会著 東京 朝日新聞出版
第3章
魚河岸と大根河岸のル-ッ
築地の移転問題の底流には明治からの東京都(市)の都市計画があって、日本橋魚河岸の移転問題も業者サイドの事を書いている本が多いがこの本では明治政府の都市計画の中で魚河岸がどような位置にあったか理解が進む。明治東京の発展とともに日本橋魚河岸周辺の近代都市整備計画がドンドン進んでいた。井上薫の欧化政策もあって、銀座レンガ街のはずれに江戸の風景が残る魚河岸が存在しては欧米文化に追いついたということで不平等条約改正には目障りだった。これは築地市場の昭和の再整備・豊洲移転計画に通じていて、外国人観光客の増大で不衛生・温度管理の不備の市場は近代国家の首都の中央卸売市場として遅れすぎていた農林水産省と厚生労働省の人たちは見ていた気がする。
90ページ
 明治22年に(東京市区改正設計)と取りまとめたのは渋沢栄一で今の首都高速箱崎付近が最初の魚河岸移転候補地だった。日本橋魚河岸の周囲の土地は近代化で発展していたが結局まとまらす、関東大震災を口実として、築地に移転させられた。平成の豊洲移転計画も政治家と行政の思惑で進んでいたことが、豊洲の地下汚染の問題から移転経過が解明された。しかし根本問題(築地の取扱高の減少)が解決していないので最後には政治家のタマムシ色の発言で移転反対派はごまかされた。コロナで跡地再開発案はだましたことがはっきりとするだろう。
92ページ 板船権をめぐる新旧の対立
 板船は3尺x4尺の木製の雨戸のようなもので、日本橋魚河岸の道路に並べ、商材をその上に乗せ販売していた。それが縁日の軒先を貸す権利となって、さらにまた貸しとなり不動産的権利となった。また板船権がなければ日本橋魚河岸の組合員の鑑札を持つことはできなかったようだ。この鑑札は築地の豊洲移転時にも残っていて、仲卸組合の決済の連帯保証の担保となっている。
魚河岸の諸制度は幕末の混乱を招き、幕府の衰退を結果として促進した天保の改革で破壊された株仲間の再建から調べないと理解が進まない。豊洲でも新しい規則が生まれている。そこには日本橋魚市場・京橋大根河岸の自治精神が残っていて、警察権力の介入は好まれていない。
 豊洲の入り口の警備の厳しさは外部の人間が入って不祥事を起こすことを防いでいる。毒物を入れるテロ。外部の人による不適切な動画など。いずれル-ルが整備されるまでの事だろう。今コロナで打撃を受けている豊洲市場だがオリンピックが終われば警備規制を緩める話も出るだろう。


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築地本 2-1 築地市場年代史⓶

2021年07月06日 | 築地市場にて
2016年夏、小池都知事が豊洲の地下汚染の検証がなされていないので突如延期となった。結果は2年後に豊洲へ移転が伸びたので、追加を記事を加えた本となっている。

築地市場  -クロニクル完全版1603-2018
福地 享子著  築地魚市場銀鱗会著 東京 朝日新聞出版
第2章 2016のクロニクルと第1章はほぼ同じで、建物の記憶
46ページ1933年の築地市場開業時の航空写真
 写真に勝どき橋がない。曲がった線路添いの建物でひときわ高い部分は築地市場が移転するまで残っていた。昭和の初めの空気が残って、窓枠はサッシでなく木製だった。
48ぺ-ジ正面ゲ-ト ここは築地市場再建時に作られ、400億円投下したが中断した名残。正門ゲートの右側に交番がある。昭和の初めの作りである。場外にも交番があって、バブル時に交番が廃止した時、競売となり、豊洲移転前に廃業した佃權が落札した。異常な高価格で場外市場の借地人の不満が出た。地代の値上げを恐れていたためである。なお築地の場外市場には数件の築地本願寺の末寺が残っていて、関東大震災後に移転しなかった。場外市場の地下には豊洲の汚染物資より大変な遺骨が眠っている。建築の基礎工事中に骨が出るという。
 豊洲移転前に築地の「佃權」が作り手不足から練り物製造から6月末撤退する。1868年(明治元年)が続く老舗で来年は創業150周年を迎える前の撤退となった。
表向きは人手不足だが、築地の情報通の話では豊洲へ行ってしまうと採算が取れず、余力のあるうちに廃業を選んだようだ。豊洲移転前後に水産部の加工品の商材を扱っているところが、一番豊洲行きを断念したようだ。量販店の量をさばくには市場の施設は狭すぎる。かまぼこ・ちくわ等の練り物は築地の扱いが減っていた。
50ページから53ページ 水産仲卸棟の鉄骨 この鉄骨は今の大成建設が組み立てた。パリの市場 ル・アールを真似たようだが、パリの市場が郊外に移転構想から50年経ってから移転した。国の食文化の中心地は強権発動しないと時間がかかる。パリの中心地の市場跡が再開発に失敗して、次の構想が出ているようだ。横浜市中区山手町の港の見える公園。フランス山の麓に青緑色した鉄骨がある。パリの中央市場の鉄骨だった。今更地となった築地市場の跡地開発はパリのように失敗しそうだ。
  ネット検索で今のル・ア-ル再々開発を見ていると、小池知事の築地も豊洲もという放言の後始末が大変なようだ。コロナで都の財政が厳しくなり、さらに高齢者の激増で予算が足りない。築地の再建途中で中断したのは東京都が財政赤字になりそうだった。給与の高い東京都の公務員は耐えることができるのだろうか。夕張市へ行き、北海道知事となった鈴木氏(元東京都職員)に都知事を依頼して、予算の激減もあるのではないか。
54ページ ピンコロ石 水産部仲卸店舗の下に四角い碁石のような敷石に気が付く。通路はアスファルトで覆われている。ある時築地の地下汚染で都知事の答弁で地下からは汚染物質がアスファルトで遮っていると答弁していた。ピンコロ石はただきれいに置いただけである。多分この答弁に反応しない質問者も築地の水産仲卸店舗に行っていなかった。通路は舗装されているので気が付かない人も多いようだ。
56ページ 鉄路 築地市場が出来たときの物資の輸送は鉄道と桟橋からの搬入だった。鉄道は汐留貨物駅から専用線路で築地市場へ入っていた。朝の9時過ぎに貨物の列車の出てゆくための運転があって、踏切のところに国鉄職員が見張りをしていた。幅の広い線路は小車(人力)から揺れで荷物が落ちやすく、みんなで抑えていた記憶がある。戦前は蒸気機関車だったので、築地の地下は汚染されていた。この件は豊洲移転反対派は誰も外部のライタ―に話さなかったようだ。北海道の線路の汚染を国会で追及していたのは、紙智子参議員で日本共産党だった。多くの蒸気機関車の線路の下は汚染されていた。築地最後に線路の上を覆っていたアスファルトがはがれて、鉄路が見えていた。線路を撤去しないでいたようだ。
参考 平成16年 参議院議員紙智子君提出旧国鉄跡地の鉛等重金属汚染対策に関する質問  蒸気機関車の鉄道の地下には汚染物質がある。当然築地市場も汚染されていた。
58ページ 弓なりの鉄骨の建物
 築地の最後の頃、夕方大回りして人気のないここを自転車で走行し、築地6丁目の吉野家へ行ったことがある。夕方の築地市場周辺は観光客用の飲食店しかない。写真の部分はプラットフォームでここに荷物が置かれる。その内側の通路が檜舞台通りという。この名称はあまり聞かれないが、黄色い紙に年末の交通規制図の通りの名前があった。ある時、警備の人に聞いたら、水産部の高級な食材を置いてある通りから付いたという。築地の文献にはまだ見つからない。
60ページ 魚河岸の名前は築地まで
 築地には隅田川に漁船から直接市場へ搬入する桟橋があった。市場使用料でも桟橋使用料が設定されている。初期の豊洲市場のプランでは豊洲市場の水上に観光船が付く図があった。今後香港のようなギンギラギンの水上飲食店が出来るかもしれない。
64ページ
鉄骨のアーチ パリの市場を参考にした築地市場は昭和初期の面影が残っていた。震災後の復興工事ということで、火災に強い鉄骨建築とがっしりとしたコンクリ-トで本館は作られていた。従って火災に耐えるように不燃材で鉄骨の回りを覆っていた。主にアスベストが使用され、解体時には過去最大のアスベスト除去工事と言われ、築地市場周辺の住民はネズミと共に恐れられた。アスベストの特異な肺がんは中皮腫ガンで今は国からの補助が出る。潜伏期間は50年という。
68ページ 時計台
 築地市場の場内放送で時計台通りというのがあった。市場の中心地から浜離宮の方に向かう通りで青果と水産部を分ける通りで、昼過ぎは広いが朝は自転車も通過に苦労するくらい荷物が通路を占拠している。事故も多く、ウイング車(荷台のドアが上に上がる)閉めないで走行し、青果棟と水産棟との渡り廊下に激突したこともある。時計台の時計はいつの間に消えたかわからないが、通路の名前で残っていた。築地はセリの時間が季節で変動していたので、腕時計が高い時代は役に立っていたのだろう。

この章の感想はカーブした鉄骨建物が4年に一度の店舗移動が必要となり、さらに火災から鉄骨を守るアスベストが築地市場内の働く労働者の健康危機から東京都は放置できなかったと思われる。しかしうっかり漏れると市場が使えなくなり、生鮮食品供給の社会不安を招くので最高機密になって、市場人も豊洲移転騒動でもネズミは漏れたが、アスベストの話は出さなかった。ここが築地人の移転賛成派も反対派も共同で最後の一線を守った。


 
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築地本1-4

2021年07月05日 | 築地市場にて
築地市場  -クロニクル1603-2016 
福地 享子著  築地魚市場銀鱗会著 東京 朝日新聞出版
第4章 激動の昭和
この本では築地市場の始まりは関東大震災後から3ケ月経って1923年12月1日から市設臨時東京魚市場から始まると言う。この 大正12年の3月に中央卸売市場法が出来ていて、東京市としては何とか市場関係者を説得しようとしたが、新旧の業者の思惑から様々な騒動を詳しく書いてある。結局日中戦争が激しくなると対立している間も無く、統合縮小化し、配給物資に集積所となってしまった。
 今回の築地の豊洲移転騒動の後ろに隠れていた中央卸売市場法の改正があって2021年に施行されたが、市場をめぐる取引が量販店の興隆に従い、生鮮卸売市場を通さない取引の拡大により、八百屋、魚屋が衰退し、市場の売り上げと取り扱い数量が減ってしまい、規制緩和の法案を検討している時期だった。従来の法律は小さな商店を対象としていたので、市場の荷受・仲卸の戦後の食料不足の時代の規制が残っていて、生鮮食品の要の市場を通過しないと違反だった。そのため経費と時間がかかり鮮度を重視する量販店が市場を通さない流通によって、取扱高が年々縮小になっていた。また量販店は廃業した市場経験者の目利き人を雇用し、品揃えも充実していった。このことは築地から豊洲へ行って,地下の汚染が在っても商材に汚染がないのは多くの品が通過するだけで、今の豊洲市場が物流センタ-化している証拠となる。今の中央卸売市場は非常時の食の流通の分配起点という立場であってそれなりの平時の資金援助と設備の災害に耐える施設が必要となっている。豊洲には防災の備蓄物質が確保されていて、付近の避難所計画もあるようだ。弱者保護の規制が量販店を市場流通から離れた結果、市場を通過すると時間と経費が掛かることを知ってしまった。
 東京以外の中央卸売市場の仲卸は量販店の仕入れ代行のように思える。地方都市は売り上げも少なく、生鮮食品の目利きの人材が不足している。また仲卸が売り先が確保してあれば、廃棄商材が減る利点がある。するとセリが形式となり、相対取引となり、量販店の物流センタ-へすぐ出てゆく。深夜早朝の保冷トラックのエンジン騒音は市場だから黙認されるが嫌われる施設でもある。
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築地本 3 魚河岸のピンチ

2021年07月04日 | 築地市場にて


ザ・築地  -魚食文化の大ピンチを救え! ルポ-
 川本 大吾著[東京] 時事通信出版局 2010年

著者は時事通信の記者の築地担当で日々の取引デ―タを送信する仕事か始まった。水産部のアナログを嘆いているが心配はしている。世間とずれた生活で外部のライタ―の気に入る情報流しを世界の水産流通の地位の低下を警告しているがバブル崩壊で飲食店が高く売る工夫が消え、逆にイオンなどの大型量販店が産地直送で市場経由が減っていても何も対策のない築地に活を入れようとしている。
 築地が消えそうということを、農林水産省と東京都が移転計画を築地移転反対派がさわいでいる水産物の消費拡大にはつながっていないようで、いわばデパ-トの閉店セ-ルで客を集めているようだ。豊洲移転直前は築地市場内の観光客の飲食店バブルで混んでいた。
 2008年頃、築地市場のマグロのセリ場で観光客が素手でセリ前のマグロを触って、騒ぎとなった。当時は秘密裏に一般客が本場内の仲卸で買い物をしていた。減りすぎた魚屋のため廃棄するより、まとめ買いの素人に販売していた。今のコストコで購入する客が築地市場内の仲卸価格で購入していた。魚をさばける技術があれば激安ともいえる。今は減ってしまった魚屋は飲食店で魚も販売しているところが生き残っている。海には単一の魚が生きているのでなく多種多様な魚が生きていて,また大小があるのに量販店の規格の魚から外れたものは激安になるという。そのため産地では漁師の賄いで消費するしかないようだ。これは青果の取れすぎて、市場の価格暴落の補填の仕組みが水産にはないようだ。
 著者は円高とバブル崩壊で築地が低迷している。悪循環の様子が書かれている。
 また漁師の収入の魅力がなく新規の参入者も少ないという。そこで全国的に休漁を行ったが宣伝がうまくいって相場の変動が少なかったという。今は養殖や冷凍もあってかっての鮮魚の市場というのが薄れた。
 2021年の豊洲市場は人手不足ということから、ほぼ週2回の休日となっている。市場の休日は全国の農林水産関係の休日と連動していて、東京の休市が決まらないと他の休日が決まらないようだ。
 築地の時、水産部と青果部の休市が違っていた時があった。青果が休んで、水産が開市のという日は暇だった。その理由は水産部の日給月給の人のクレ-ムという。暇でもそのような仕事がないのに給与を支払うのが大手量販店の攻勢に市場が負けたのだろうか。それとも年中無休のス-パ-が休みの多い市場を避けたのだろうか。
 単価を上昇を見込めない市場は生産者にしわ寄せが行く。規格を厳密にし、量販店が楽になるようにしている。昔は規格外品を漬物業者に売りつけていた時代もあった。
 昭和の終わり頃、築地市場へ小学生の見学のバスが多数来ていた。いつの間に築地市場の設備の危険性なのだろうか、消えてしまった。最後の築地は大人の社会科見学の場だった。

 
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