築地市場 -クロニクル1603-2016
福地 享子著 築地魚市場銀鱗会著 東京 朝日新聞出版
第3章 関東大震災復興事業としての築地市場の鉄骨建築
貨物列車を市場内に引き込むため、弓なりの曲がった建物は中に入った人か昭和の初めのレトロ感を味わった。特に2階は東京都の事務所や郵便局・銀行・理髪店などがあって、さらに築地市場を食の衛生を監督するところもあった。白長くつと白衣、白い帽子は彼女(まれに男性)らのユニフォ―ムだった。
この弓なりの構造物は最初から物議があったことをこの本で知った。店舗の広さがまちまちで水産仲卸の店舗が広さと位置の公平感がなく、4年に一度の水産部仲卸の店舗移動で不満を解消した。これで4年間繁盛するか否かの分かれ目で、今はプロ野球のドラフト会議の様子と似ている。最も一時抽選後に相対で交換もあったようだ。築地の最後の方は不景気ということで多大な移転費用の事を考え、4年ごとの店舗移動が消えた。2009年(平成16年)に最後の店舗移動の状況は北田水産のHP詳しく記載されている。豊洲移転の方向見えてきて、もう9年も店舗移動していないので、豊洲まで待つのは不公平という声から多大な費用をかけ5月の連休の3日間で移動した。当日は都内の大工、電気工事・電話工事業者900の仲卸、1600コマの移動を行った。5月2日はその日の販売を終わらすとすぐに店舗の解体が始まる。ダンプカーが都内から集まり残材を積み込み、夕方には仲卸店舗の撤去が終わる。3日は店舗の造作でこれも1日で大方終わる。4日は細部の工事と電話、電気工事となり5日には通常営業となるが得意先が2日の位置と異なるので、配置図を見ながら歩く買い出し人で市場は混雑する。また買い回りの順序が変わり繁盛していたところも落ちぶれることもある。このことが経験則で築地市場再建工事の工程計画で難儀し、東京都が400億円捨てた。北田水産のHPには詳しく書かれている。最後の店舗移動時の水産仲卸が豊洲では500を割っている。食の経営情報誌によると適正規模は300という。まだまだ減りそうだ。この時にすんなりと築地をあきらめ豊洲へ水産仲卸の合意ができていたら、2020年東京オリンピック招致はなかったと思われる。築地の移転は魔物や地霊に阻止される運命がある気がする。コロナもその一例でまだまだ紆余曲折がありそうだ。
築地市場の豊洲移転反対派の大部分は小規模な仲卸で売り上げの多い仲卸は場外のところで量販店等の対応していて、移転しようがしまいがどちらに転んでも関係ないと、相手に合わせて、移転の是非を答えていたようだ。このことは豊洲へ移転後、築地市場を担当とする営業に来ていた生命保険の女性から聞いた。玩具のオセロゲームのようなもので、自己の都合に合わせて、アンケ-トに移転の是非を回答していたようで、豊洲へ移転した後は誰も地下の汚染は語らない。今はコロナ感染が噂の中心となり、豊洲市場の会議室で8000人の集団接種が始まる。大田は市場内の医者でワクチンを接種していて、大田区民でない人はどうなるのだろうか知らない。