年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

築地本1-3 築地市場年代史

2021年07月04日 | 築地市場にて
築地市場  -クロニクル1603-2016 
福地 享子著  築地魚市場銀鱗会著 東京 朝日新聞出版
第3章 関東大震災復興事業としての築地市場の鉄骨建築
 貨物列車を市場内に引き込むため、弓なりの曲がった建物は中に入った人か昭和の初めのレトロ感を味わった。特に2階は東京都の事務所や郵便局・銀行・理髪店などがあって、さらに築地市場を食の衛生を監督するところもあった。白長くつと白衣、白い帽子は彼女(まれに男性)らのユニフォ―ムだった。

 この弓なりの構造物は最初から物議があったことをこの本で知った。店舗の広さがまちまちで水産仲卸の店舗が広さと位置の公平感がなく、4年に一度の水産部仲卸の店舗移動で不満を解消した。これで4年間繁盛するか否かの分かれ目で、今はプロ野球のドラフト会議の様子と似ている。最も一時抽選後に相対で交換もあったようだ。築地の最後の方は不景気ということで多大な移転費用の事を考え、4年ごとの店舗移動が消えた。2009年(平成16年)に最後の店舗移動の状況は北田水産のHP詳しく記載されている。豊洲移転の方向見えてきて、もう9年も店舗移動していないので、豊洲まで待つのは不公平という声から多大な費用をかけ5月の連休の3日間で移動した。当日は都内の大工、電気工事・電話工事業者900の仲卸、1600コマの移動を行った。5月2日はその日の販売を終わらすとすぐに店舗の解体が始まる。ダンプカーが都内から集まり残材を積み込み、夕方には仲卸店舗の撤去が終わる。3日は店舗の造作でこれも1日で大方終わる。4日は細部の工事と電話、電気工事となり5日には通常営業となるが得意先が2日の位置と異なるので、配置図を見ながら歩く買い出し人で市場は混雑する。また買い回りの順序が変わり繁盛していたところも落ちぶれることもある。このことが経験則で築地市場再建工事の工程計画で難儀し、東京都が400億円捨てた。北田水産のHPには詳しく書かれている。最後の店舗移動時の水産仲卸が豊洲では500を割っている。食の経営情報誌によると適正規模は300という。まだまだ減りそうだ。この時にすんなりと築地をあきらめ豊洲へ水産仲卸の合意ができていたら、2020年東京オリンピック招致はなかったと思われる。築地の移転は魔物や地霊に阻止される運命がある気がする。コロナもその一例でまだまだ紆余曲折がありそうだ。

 築地市場の豊洲移転反対派の大部分は小規模な仲卸で売り上げの多い仲卸は場外のところで量販店等の対応していて、移転しようがしまいがどちらに転んでも関係ないと、相手に合わせて、移転の是非を答えていたようだ。このことは豊洲へ移転後、築地市場を担当とする営業に来ていた生命保険の女性から聞いた。玩具のオセロゲームのようなもので、自己の都合に合わせて、アンケ-トに移転の是非を回答していたようで、豊洲へ移転した後は誰も地下の汚染は語らない。今はコロナ感染が噂の中心となり、豊洲市場の会議室で8000人の集団接種が始まる。大田は市場内の医者でワクチンを接種していて、大田区民でない人はどうなるのだろうか知らない。
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築地本1-2 築地市場年代史

2021年07月03日 | 築地市場にて
築地市場  -クロニクル1603-2016 
福地 享子著  築地魚市場銀鱗会著 東京 朝日新聞出版
第2章 日本橋と京橋のルーツ
50-55ページ
京橋には大根河岸があって、青果物の取引があった。しかし、神田にあった青物市場が幕府の御用だったので青果の上等品は神田となっている。神田も日本橋・京橋も水路によって運ばれるものが多く、築地の中に潮待茶屋というのがあって、潮の満ち引きによって、橋の下を通ることが出来ず、お茶を飲みながら時間を過ごした。今は水産部の買い出し人の荷物の預かり、配送、決済代行のような業務を行っている。このような仕組みは大相撲の茶屋と同じである。相撲のチケットの手配、お土産、升席に飲食物を持ってゆくなどの接待を行い、再度相撲見物に来るように宣伝している。
 日本橋の魚河岸の名残は少し残っていて、魚関係を思い出す店舗が日本橋周辺にある。山本山海苔店、にんべんの鰹節など路地奥を探せば見つかる。豊洲へ移った後、築地6丁目、月島には面影が残るが、月島はタワ-マンションが増えているので軒を連ねたところが少なくなった。ここには野良猫がいないと風景にならない。佃は佃煮の発祥地だが、量販店取引が主流となって。消えつつある。濃い醤油味は塩分控えめの時代に苦戦しているようだ。
板船 今では消えつつあるが幅が1m位の木製の雨戸のふちに板で船になるようにして、河岸の道路上に髪を解く櫛のように並び、板船に売り物を並べる。これが既得権となり、不動産的価値を持ち、権利の売買が始まり、日本橋から築地に移転するとき、補償の問題で市議会の疑獄騒動になった。築地の豊洲移転の背景にこのような歴史が繰り返された。しかし東京市は妥協しなかったようだ。
56ページ 明治の都市計画から魚河岸の移転構想はあった。鹿鳴館を作り、日本の欧化政策で一番嫌悪されたのが、一番の繁華街銀座に接している日本橋魚河岸であった。明治社会の下層民が清潔でない市場で食材を取引している姿が見えることを嫌っていた。市場自体は早朝から始まり、昼には終わっていたが、それでも清潔感はなかったようで、早くから都市計画の中で魚河岸の移転構想はあった。政府から移転を迫られた東京市は候補地選定で嫌われ時間が経ってしまった。
58ページ 第一次大戦後、ロシアの社会主義政権が出来たとき、シベリアに出兵した。その時の軍隊に運ぶコメを見て、米騒動が起きた。物価が急上昇中だったので、買い占めと考え、富山で女一揆が始まり、全国騒動となった。社会不安を抑えるため、食物の物価の安定、供給確保ということで、中央卸売市場計画が始まった。法律が出来たのが大正12年で関東大震災前だったので、中央市場が最初に開設されたのが関西で公設市場という小売商の集合施設も関西から始まり関東に広まった。
60ページ 関東大震災 日本橋魚河岸付近は全焼とその後のいわゆる朝鮮人虐殺の渦中に巻き込まれ、戒厳令で魚河岸が使えなくなった。明治期の移転命令が残っていて、営業禁止、公道使用禁止して日本橋魚河岸再開を阻止した。今から思うと江戸時代から市中の大火は予想されていて、行政の幹部は難航している魚河岸移転を災害後に再建を認めないという、暗黙の合意があったと思われる。戒厳令司令部は魚河岸の路上を不法占拠ということで板船を使うことを認めなかった。震災から復興してゆくうちに各地自然発生で生鮮食品の市場が出来ていた。ここで築地の海軍施設の一部を使う話が震災後3ケ月で臨時の魚市場が出来た。昭和10年2月に京橋大根河岸から青果が東京都中央卸売市場と発足し、京橋から移転した。当日は雨のようで涙雨という記事があった。青果の荷受会社は東京中央青果で社長は大根河岸の三周の藤浦富太郎 だった。藤浦は今では三遊亭園朝の名跡の預かり人として知られる。すでに築地から豊洲へ移って3年になるので記憶が消えつつあるが築地市場内東京シティ青果のフル-ッ館前に銅像があった記憶が残る。誰だか忘れたが今豊洲のどこにあるのだろうか。 日本橋魚市場からの水産の移転は遅れたがだんだん中国での戦乱の拡大から日本橋残留に力が無くなったようだ。その後戦争中は人と荷物が不足し単なる食の供給施設となった。魚市場の移転は青果と違って移転の合意は難しい。
 平成の築地市場で度々大きな火災があった。多くは水産部でそれも休市前の夜だった。その時間は人が一番少なく、気が付くのが遅いので火の回りが早かった。それでも」簡易なつくりなので復旧は早かった。現場検証が終わると片付けが始まり、電気や冷蔵庫が使えなくても次の日は火事見舞いとかの人たちと買い出し人の野次馬もあって賑わっていた。火事と喧嘩は築地でも華だったと思った。
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都議会の選挙公報から

2021年07月02日 | 宅老のグチ
7月4日に都議会議員の選挙が終わる。前回の選挙は東京都の築地市場移転が争点だった。豊洲の地下汚染の対処と豊洲市場の地下空間の問題が争点だった。今回の選挙公報をで全部の選挙区の広報を見ていないが、築地と豊洲のを書いてあるのは中央区と江東区の議員候補者だけだろう。もう争点の興味期限が切れてしまったようだ。紆余曲折の経過でオリンピックということで五輪の御旗を掲げ、長く続いた不景気を終わらせようとした目論見はコロナ戦争の勃発で消え、さらに財政が厳しくなり、今後の増税がなければ何もできないのを議員候補者は知っているのだろうか。ある政党は消費税減税と言っているが、これは秋の衆議院選挙目当てだろう。子供の保育園問題もコロナで出産が激減し、小児科医師の廃業と訪問医業に転身する記事があった。さらに若い女性のワクチン不安が少子を促進する。コロナで一番打撃を受けたのが非正規労働者で多くは女性である。このような情勢にも関わらず、ある政党は過去と言ってもコロナ以前の希望だった保育園増設を掲げている。これだけ出生と都民の脱出で保育園が余ることを想定しても良いだろう。すると今一番大変なのは団塊の世代の高齢者の急増でこの辺が政策の設計が悪い。高齢者が急増し、介護の質を考えると、未成年が介護人となり、十分な介護をすると貴重な青春な時期を奪ってしまう。保育園の保育士の臨時の援護があるように、中高生のジジババ介護の臨時サポ-トがあっても良いのだろう。
 消費税の多くを支払っているのは貧民でなく、企業の方かもしれない。消費税を大幅に上げ、介護保険・国民健康保険・国民年金の負担を減額して年金不払いを減らす。少なくとも消費税は25%以上上げ、低所得者は給付で支援したほうが良い気がする。法人税はアマゾンのようなアメリカIT関連企業が日本で利益を上げても日本で税金を払っていない気がする。
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コロナワクチン 2回接種済

2021年07月01日 | 宅老のグチ
5月から騒いでいた、高齢者ワクチン接種が自分の分は終わった。あとは家族の部分だけで、方針だけ伝え、自己管理となる。ただ2回目の副反応が強そうで、不安はある。接種会場は2回目の人が多く、慣れということで予定した時間の10分前でも遅い方だった。前準備から終わりまで35分かかった。今はワクチンによる抗体ができるまでの準備期間で調べごとの下準備が始まる。
 世間に出回っている、ワクチンデマもどうやら宗教勧誘活動ののようで、時間が経てば高齢者の接種後の体調で懐疑派も接種に傾く気がする。残りは接種してはいけない人で、接種時の問診で血液サラサラの薬を飲んでいますかと問われた。問診表で問いかける言葉が異なるようだ。1回目は集団接種が始まったばかりで中の人たちの流れもスム-ズではないと感じていたが2回目となると、慣れもあって、少し時間が余るようだ。医師も看護師も余裕がありそうだ。これなら自動注射器というものが出来ても良い気がする。針だけ変え、血圧測定器のように腕を差し込む。センサ-が接種地を探し、注入する。あとは確認のばんそうこうを張る。こんなのが出来るのが中国だろう。何か情報隠しがあって、出来たときは安くて他の追従を許さない。もうアメリカではマスクが元に戻った価格で中国産しか市中に出回っていないようだ。

 最近の話ではTVでオリンピック懐疑派のタレントが排除されるという。番組編成がオリンピック開催に向かっていて、そこに馴染めないタレントは排除され、ヨイショをいうタレントが残る。
 昭和18年の叔父の記録のために朝日新聞を読んでいた時、東条さんという言葉で各地の視察状況を記事にしていた。戦争が終わったとたん戦犯となり、論調が変わった。コロナとオリンピックの終戦は近い。今度の日本国内の戦犯は誰なのだろうか。自粛警察と密告奨励の香港に似てきた。
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