年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

The Death of the 808: The True Story of Lst 808

2022年02月14日 | 陸軍特別操縦見習士官1期
断捨離の途中で英語の本が出てきた。叔父の特攻で破壊された部隊の記録の本だ。

The Death of the 808: The True Story of Lst 808 ペーパーバック – 2018/2/7

英語版  William R. Bell (著)

The drama and history of LST 808 as she made her way though the south pacific toward her demise during the battle for Okinawa. Possible the only ship in the fleet to be sunk twice by the Japanese.
¥1,844 
今はアマゾンの価格でこの値段だったが3年ほど前は800円位だった。この本が日本で買われると思っていなかったらしく、発注後に価格を再度確認すると千円をはるかに超えていた。

この本の中でLe simaと書いてあって、どこの海岸の波打ち際でLST808が煙を出して燃えていた。娘の調査では沖縄の伊江島と思われる。Lと読んだのはフランス語の知識が邪魔しただけで、単なる誤植のような気がする。このような5月20日の台湾の八塊陸軍基地から特攻出撃した叔父の陸軍第八航空師団204飛行隊5名と確認機1名と知覧から出撃した振武隊の特攻作戦でこの時期としては米軍に多大な損害を与えた。このLST808は硫黄島にも参戦していた歴戦の船でこの日の特攻で鉄くずとなって廃棄する船となった。
 沖縄県伊江島村は島ラッキョウの一大産地で築地から豊洲へ移った青果仲卸くしやサンが取り扱っていて、宅配が沖縄から航空便でやってくる。また伊江島には昭和20年4月に著名なアメリカの従軍記者が、日本兵に狙撃され戦死し、記念碑がある。戦後に米軍の占領地となった沖縄で劇場が造られ、名前をアニ-パイル国際劇場と命名された。今は劇場は消えたが国際通りという名称が残っている。

 自動翻訳で書籍の内容から、5月18日に日本軍の魚雷攻撃を受け、伊江島に停泊中に特攻を受けたようだ。 Lst 808戦友会の記録でも死者が多数出ている。
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ヨーロッパで戦争が始まったら、日本の食卓は

2022年02月13日 | 宅老のグチ
引っ越しのため身辺整理していたら、食料自給率の切り抜きがあった。もし戦争が始まって、日本国内の農水産物で生きてゆけるかの記事だった。もちろん減反している米で生きてゆけると思うが実際は高齢農家でガソリン等がなければ耕運機も田植え機も動かない。人力で耕作できるものが主力となるだろう。戦後は東京の河川の原っぱは農家に貸し出されていた。多分東京都は今スポ―ツグランドとなっている広場を都民に耕作を認めるだろう。結構都市の人は故郷を持っていて、昔の耕作方法を知っている。
 飢饉のときの本が役に立つ。冷害ならジャガイモなどの寒冷地のでんぷん。温暖地ならサツマイモ。
 都会の姉ちゃんもイモネ~ちゃんとなる。糖質ダイエットなどをしなくとも、今の北朝鮮人民で映像から見ても、太めの人はいない。すべてスリムな人しかいない。その点中国の子供は勉強漬で太めが目立つ。何しろ食べきれないほど食卓に並べるのが美徳と言われ、政府が規制し始めている。そんな中国でも農民の貧困が目立っていて、今後は輸入に頼るしかない。ロシアが戦争に入ると、バルト海と黒海を封鎖すると、世界の穀物輸送が、過剰と過少在庫で苦しくなる。日本だって一年分の食料があるのはコメだけで、ガソリンがなければ経済が止まる。
 戦争になればゴルフ場がイモ畑になる風景が見える。そして電車に買い出しのリュック姿が復活する。木造の空き家が秘密裏に解体され、燃料となる。
 気密性の高い家で、停電時にガソリン発電機を稼働させ、酸欠死の事故があったことを記憶する。戦争時の食料確保の対処の仕方は90歳以上の人しか知らないだろう。女子高校生の制服でスラックスが選択肢に入ったという新聞記事を見ていたら思い出し戦時中はほとんどモンペ姿でスカ-トを履いたら非国民と言われる時代だった。郊外に行く電車は買い出しの電車だった。
 今は貿易で日本国民が飢えていないということを知るだろう。もう食の鎖国は出来ない。
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高圧酸素室の体験 気分は火葬になった

2022年02月12日 | 宅老のグチ
2021年2月に急病で病院に入院となった。診断は腸閉塞(イレウス)で鼻からチュ-ブをを挿して胃液等を吸い出し、栄養は点滴で補い、腫れている腸が静まるのを待つ治療となって、数回高圧酸素室に入った。円筒形の透明なところがある筒は人が入る大きさで、台車に乗って円筒の中に入るのを見た時、どこかで見た風景かなと,火葬場のところを思い出した。ベッドがある台車に乗り替えて、看護師が筒の中に送り込む。透明な筒に外側のテレビがコロナの放送をしていた。筒内はほぼ酸素のみなので、静電気を発生させるものは身に着けていない。約1時間で出るのだが、やはり娑婆に戻った気分になって、普通の空気を吸った。4から5回経験したが他の人は筒内でどう過ごしているのだろうか。
 日本の火葬場は90%が台車式では、まず主燃料炉と呼ばれる場所に台車と棺を運搬します。その後バーナーで棺を台車ごと一緒に焼く、という火葬方法です。何か病院の高圧酸素室の仕組みと似ていませんか。
 治療の時に医師の説明でサッカ-選手がケガで長期離脱時という診断を受け、カプセル型の酸素室で治療し早期の回復となったことを話してくれた。これには世界アンチ・ドーピング機構WADAにより高気圧酸素治療は禁止リストから除外され、ドーピング対象ではないことが明示された以降、高気圧酸素治療のスポーツ領域への適応は拡大・増加しているという。

 だんだん人間の体内に外部で作られた細胞が入ってくる時代に来た。アメリカで豚の心臓を移植した人はまだ生きているのだろうか。 
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75歳になると日本人から老人になる

2022年02月11日 | 宅老のグチ
75歳になると日本国民は国の認定で老人となる。健康保険制度が後期高齢者医療制度に統一され、74歳までの様々な健康保険制度から追い出されます。
75歳以上の労働者も健康保険被保険者資格を失い、後期高齢者医療制度の被保険者へと移行します。退職し、健康保険の任意継続被保険者であった場合も同様です。
 事業主は健康保険被保険者の資格を喪失する労働者に健康保険被保険者証、および健康保険高齢受給者証が交付されている場合は、その健康保険被保険者証と健康保険高齢受給者証を回収し保険者に返納しなければなりません。同様に国民健康保険の加入者も75歳になると資格を失います。扶養家族は75歳以下は国民健康保険に加入することになります。ここの急激な健康保険料の増額は驚きます。会社でチョット継続雇用で少ない健康保険料が外れると大幅に増額となります。
 そして政府公認の日本に住む老人が出来るのです。もっと前から老人の虐待は始まっていますが、表向きは敬老と言ってますが扱いは財政をひっ迫する存在と思っている。この高齢者が厳しい老後を維持するための貯えをあらゆる手段を取って死ぬまで違法・合法手段で盗み取ろうとしています。そして若いうちから老後不安を煽って、官僚たちの老後を守る組織の確保を図ります。今度のコロナで医療介護のDXを叫んでも既得権益を保持するパソコンのできない高齢政治家と医者たちが動かないのです。これではアメリカ.中国などで医療のシステムが進めば彼らの先進システムで日本は金を払って個人情報を売ることになります。米中の属国になって、先端を行く老齢化国家の実験国に成り下がるのです。米中の政治家は日本でうまくゆけば利用し、失敗すればあの政策は利用しないと言って責任逃れします。高齢率の先進国日本は政策の実験台でもあるのです。
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梅まつり 中止

2022年02月10日 | 宅老のグチ
埼玉県越生町の梅まつりの中止のニュ-スで、和歌山県みなべ町の梅まつりはどうなったかと調べると中止だった。昨年は暖冬で予想通り梅の作柄は悪かった。言い訳のようになるが、地球温暖化で梅が早く咲くと、昆虫類の活動時期とずれるので受粉が少なく不作となる。今年は寒いので梅の花の開花が遅れ一応豊作となるが次々と現れる自然現象に高齢の梅農家が対応できていない気がする。
 梅干しは漬物の中で長期保存できる唯一の商品で管理が良いと貯金より値上がり期待がある。
 やはり夏の暑さが問題でコロナでエアコンの効いている所で過ごすと梅需要は弱い。

 2月10日の天気予報は東京は大雪というがみぞれ程度で都心は終わる気がする。しかし今日の天気で転倒すると救急車が来ないで苦労するだろう。

 テレビの雪中継を見ていると過去の苦い経験が役に立っている気がする。き今日の病院送迎であの坂は上れるのだろうか。
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ひかたの歴史と民俗 第5号

2022年02月09日 | 福神漬
ひかたの歴史と民俗 第5号を千葉県旭市の大原幽学記念館で購入しました。今は統合され旭市となる前に干潟町歴史民俗研究会の本で平成15年の刊行です。この本を求めるため旅行の途中によりました。目的は万歳小学校付近にある花香安精の墓所にある墓碑の解説でした。

 近世日本の数学がもつ文化史的特性に遊歴数学者の存在があります。遊歴は諸国を巡業することを指す言葉ですが、数学者が日本各地へ出向き、旅をしながら数学教授することをしていたようです。初期の有名な遊歴和算家の山口和の記録『旅日記』文化14年11月2日に千葉万歳の花香安精の記録が出てくる。

花香安精  天明2年1783 千葉香取郡万歳村に生まれ、天保13年1842 死去する。藤田嘉言・石坂常堅・内田観斎(弥太郎)に学んだ。地元で子弟に実用の数学を教えていた。文政13年安精門人の岩井不動堂奉納の算額は現存する。万歳の東福寺に墓所がある。
 長い間、内田弥太郎と花香家の関係は花香安精から始まったと思っていたが、史料を読んでゆくうちに、実際内田から直接指導を受けたというより、かの地を訪れた遊歴和算家の指導を受けていた気がする。そのことは今の千葉県立図書館の花香文庫には内田観斎の和算の書籍が見つからない。
 今コロナで通信教育となっているが江戸時代でも通信教育のようなものがあって各地に巡回する和算の先生が免状を出していたようだ。特に房総地域は河川改修の工事見積の需要があって和算が盛んだった。その先頭は日本地図を作った佐原の伊能忠敬である。
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オノマトペ (擬音語.擬態語)

2022年02月07日 | 宅老のグチ
漬物関係の新聞切り抜き帳を整理していたら、ガリ生姜のガリの部分がオノマトペから来ていることを知った。生姜を食した時、ガリっと音がするから来ているようだ。英語では生姜はジンジャ-でニンニクはガ-リックなので擬態語から来ているとは思っていなかった。そこで次の本を借り出し読む。

食語のひととき早川 文代著

著者の早川 文代の前書きは驚くものがある。特に女子高生の言葉の使い方は変化が激しく、オノマトペ(擬音語.擬態語)使って感覚を表現する。さらに著者は季節でも分類している。
春に分類されたオノマトペはシャキシャキ.サラサラ.ふわふわ等
夏に分類された言葉は みずみずしい.辛い.あっさり.キ―ン.涼味.等
秋に分類された言葉 脂がのった.ぷりぷり.こんもり.深い味わい等
冬に分類された言葉 ふうふう.コトコト.あつあつ.たらふく等がある。
著者の分類には異議もありそうだが、じっさいオノマトペを使って会話をするには年代観とか地域間の共有がないと相互の理解が進まない気がする。タレントの食レポ-トで(おいしい)しか言えないと何か貧弱なレポ-トのような気がする。足りないところは表情のおいしさ感で演技していると思われる。

 何かTVの食レ-ポ-トの裏話をのぞいた気がする。スーパ-の商品についてある説明にも利用されている気がする。
  
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柴犬は中型犬か小型犬に入るのか

2022年02月07日 | 宅老のグチ
一時転居で荷物を整理しているのだが、高齢問題と通っている病院と出てくる問題が多すぎる。その中で最難関は14年も飼っている高齢の柴犬ですでに失明していて、老化も目立ってきた。
 ペット可の物件は少なくさらに要相談とか小型犬とかの記述があって飼っていつ柴犬は小型の範疇に入るのだろうかと心配になる。
掛かりつけの犬の病院の医師に聞くと、体長50CMは立った時の高さで長さはしっぽは含まれないようだ。体重は10KG以下と書いてあるところがおおい。色々なマンションの管理規約を読んでいる内に、分譲時期の古い物件はペット禁止が多いと感じる。管理規約改正には昔の規則ではほぼ全員が賛成しないと無理だったようだ。ペットは嫌いな人も多く最初の規約でないと難しいと感じた。アレルギ-問題を言われると、住民同士のいさかいを避けるため規約の改正にはいかないようだ。ちょっと前の朝に柴犬の散歩であるマンションの出入り口で犬を抱えた女性に笑みを浮かべて目礼された。どうやら毛並みは違うが柴犬のようで、思わず『柴ですか?』と尋ねたら、『そうです』と返ってきた。どこかのマンションの管理規約でマンション内は抱っこするか、ペット用の車によって移動する規約があった。
 柴犬は小型犬の範囲になるのだろうか?多数頭の飼育は何匹までなのだろうか。不動産に詳しい人に聞くと、ペット可の新規分譲の価値は少ないという。説明を聞くと、北向き等の物件でも価格設定で販売できるという。結構ペット嫌いとアレルギ-持ちが多く、さらにうるさいので禁止のマンションということで入居したと言われると、問題がこじれるようだ。
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fate

2022年02月06日 | 宅老のグチ
fate  中学の英語の授業でこの言葉を知った。英語圏でも運命という言葉があった。この時は父が死去して4年後くらいだと思う。
 101歳の母が亡くなって、もう一度中学の時の暗い過去がよみがえる。他の人には父がいるのに自分にはいない。当時は戦後の片親の多い時代でそれでも心が暗くなった。

 人の死の中ででガン死と老衰死は心の準備期間がある。

 人生を線香花火に例えると老衰死は途中で華々しい光を発散させ、最後に光の玉が小さくなり消える。そして煙が上り、紙のこよりだけが残る。
 父が九歳の時に亡くなって、母と兄弟の協力で最近まで無事に生きて行けた。これは周囲の協力と漬物業界の支援だろう。経営力の弱くなった母の会社を同業者もいじめることもなく過ごせた。高度成長で小さな業界での競争より、他の発展している業界に人手は取られた。時代に感謝しかない。思い出は年月を過ごすにつれて、消えてゆく。そして写真で記憶が戻る。昔の家が写真にあって、小さな貧弱の子が写っている。周囲の家並みもすべて消え、残っているのがないのが東京かもしれない。色あせた白黒写真が60年以上の年月を示している。
 写真の中で思うのは家族の写真より、家の周囲の写真の方が記憶を復活させる。バブル期に多くの周囲の家が消えた。木造の家は30年経てば変わるがマンションは建て替えが困難で結構古くても残る。地方の藁ぶきの家が残り、都会の変化の激しさを感じる。築100年の家は都会では耐震ということで壊される。
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101歳と4か月

2022年02月05日 | 宅老のグチ
母が死去した。101歳と4か月。老衰だった。特養から低体温ということで救急車で病院に運ばれたが時節柄コロナ患者の対応で受け入れる病院探しは難儀したようだ。はこばれた病院の先生の話では老衰による低体温で処置の方法がないと言われ『お任せ』ということで、病院内に数時間の滞在し、死去した。お別れも出来ず予定していた葬祭場に安置された。昨年妹が亡くなっているので式の次第は決まりが早い。オミクロン対応の各施設は当然の処置で新しい葬祭となりつつある。100歳超えの葬儀となれば親族も同年齢は参加できず、親族会になる。
 都心の高齢者施設は公的なところしかなく、民間の施設は高額すぎて庶民は郊外に出るしかない・最近の地価高騰は新規の高所得者が都心に入り、低所得の人は出てゆくしかない。築地市場で豊洲移転直前にシャッタ-が壊れたので修理を頼んだら、築地は住んでいなくて、江東区からやってきた。
 母が亡くなって、新聞に入っている老人施設の広告も関心が薄れた。もう保育園需要も出産が減って、間もなく余るだろう。高齢者施設の建設案内を見ていると500坪くらいが必要でさらに多数の職員を集めることから、新興住宅地の外れが適地となりそうだ。すると生産緑地の多い世田谷とか練馬に高齢者施設が増えると予想する。
 妹が昨年亡くなって、葬儀の経験があるので緊張感がない。オミクロンで旧習と言われた葬儀も簡素化され、変わる。

 母の写真を整理し、思い出に浸る。みんな貧しかった。医学の進歩で101歳まで生きたが最晩年は早く逝きたいと言っていた。子として孝養の義務を果たした達成感がある。それにしても酷い母の青春だったことを知る。
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NHK( 歴史探偵・缶詰は見た 日本近現代史)の福神漬

2022年02月04日 | 福神漬
2022年2月2日にNHK( 歴史探偵・缶詰は見た 日本近現代史)で福神漬の缶詰の海外移住との関係で故郷を忍ぶ食品として紹介された。昭和30年代までこの日本食品の貿易はタクワン貿易と言っていた。
 
タクワン貿易特別展示・イべントのポスター JICA横浜 海外移住資料館

 何度かNHKから取材を受けたが福神漬に関して、割とまともな放送だった。それにしても今の若いアナウンサ-は缶詰の開け方を知らないようで令和から明治を見ると歴史となったようだ。今の缶詰は缶切りがなくても開くものが多い。初期の缶切りのない時代の缶詰の開け方は何か道具で無理やり開けていたようだ。ナポレオンの懸賞で始まった缶詰の発達の歴史はフランスからイギリス・ドイツへ行きアメリカで高度に発達した。
 缶詰でその印象が勝利と意味したのが日本の軍隊と感じた。福神漬は醤油と漬物と組み合わせ、さらに命名に『福』が入っているのでそう感じたのだろう。でも由来に含まれる、上野戦争などの追憶から明治の文明開化を礼賛する缶詰。そこに漬物を入れるという発想。工夫する日本が見える。
 昭和の初めの全国工場通覧という書物で赤飯缶詰の工場を調べていた。この本は都立中央図書館にもなく、墨田区緑図書館にある。戦前昭和の福神漬缶詰はここで調べることが出来る。まだ日中戦争が始まる寸前で鉄がある時代だった。
 コロナで物流が途切れ途切れとなり、在庫という観念が復活しそうだ。
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坂口安吾と同年代の父は

2022年02月03日 | 宅老のグチ
最近坂口安吾の本を読んでいて、父と同年代であったことに気が付く。父は明治40年代に生まれ、昭和30年末に病死した。坂口安吾も明治39年生まれで昭和30年に死去した。昭和の戦争の時代は徴兵検査の時期も中国戦線での兵士の不足状況で決まっていた。合格基準が厳しく兵士になりそこなったようだ。昭和19年頃から最も内地の空襲の激しい東京.大田区の工場地帯にいて軍需工場を攻撃する焼夷弾の雨のような中を生き残り、戦後の混乱を見事に記述し今に残る。
 父は昭和20年に35歳くらいに徴兵されたが、最初の20歳の検査では扁平足ということで軍隊生活は逃れた。しかし陸軍納入の漬物業者であったため、軍隊の理不尽な様子は知っていたと思う。
 敗戦後に1億総ざんげの中で坂口安吾が『特攻隊に捧ぐ』を書いて、遺族としてほっとしている。もう敗戦と思っていても、自己の命をささげる特攻命令の数日前の料亭での記念写真がある。緊張している。迷う仲間をどう引っ張っていったのだろうか。 
 敗戦間際の日本の状況は語り続いていて、記録も多く残っているが、敗戦後にあった焼け野原となった時期の記憶と記録が少ない気がする。JR新橋駅前の闇市や飲み屋街が再開発のビルとなり、耐震の問題から建て替えとなるようだ。ここにも記憶が消えてゆく。さらに相続問題で所有者が変わってゆく。
 ここにDXの問題が密かに入っていて、土地の測量技術が人工衛星の電波を利用しているので土地の再測量の見積もり依頼したら、都会では高額になるという。ネットでは30万円と書いてあるが収まらないといわれた。
 今度の自粛再々延長で自分の最後の準備をしようと考えている。
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年金事務所へ確定申告の書類再発行

2022年02月02日 | 宅老のグチ
厚生年金の令和3年の確定申告用の書類を紛失し、再発行をお願いするため年金事務所へ行く。普通ならシルバ-パス利用だが接続が悪く、歩きも距離があって自転車で行くこととなった。ママチャリで片道45分はサドルにあたる尻が痛くなった。年金事務所はコロナのせいか閑散としていた。
 1時半について、年金番号を書類に書いて、免許証で住所年齢確認し、1時間半待ちで書類を受け取る。電話でも再発行は可能だが、1週間ほどかかるという。いつも税務関係の書類で年金関係が遅い。
 待ち時間の間に年金事務所のパンフレットを眺めていたら、戦没者等のご遺族様の皆様へ 『戦没者等の遺族に対する特別弔慰金』のご案内(第11回特別弔慰金)と書いてあった。15年ほど前から特攻隊員だった叔父から遺族意識がうまれ、このような制度は知らず、だれか親族が申請し受け取っているかもしれない。内容は毎年5万円の国債を5年間支給されるようだ。制度の概要は 『今日の日本の平和と繁栄の礎となった戦没者等の尊い犠牲に思いをいたし、国として改めて弔慰の意を表すため、戦没者等のご遺族に特別弔慰金を支給します。』待ち時間にこのパンフレットを読み叔父の苦悩が5万円だったという気分になった。
 生命保険は10月には来る。地震保険も早い。まとめて支払って割引を受けているが書類の仕組みが一定でないので時々探すことになる。やはり日本はまだ紙とハンコの世界と感じる。
 オミクロンの感染者数を夕方発表となるが、石原元東京都知事が亡くなった。89歳だが家族が数え年90と言っていた。
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NHK土曜時代ドラマ 小吉の女房 ①

2022年02月01日 | 宅老のグチ
以前BSで放送されていた勝海舟の母のドラマが地上波で放送される。天保の改革時代の下町深川・勝海舟の父小吉のドラマで、一応時代考証もされているようだ。最終回には蘭学者となった勝海舟のところに放火脱獄逃亡中の高野長英が来る場面がある。
 多くの高野長英の評伝本や小説では嘉永3年10月末に高野は南町奉行の支配下の与力たちの捕縛行為に抵抗し、撲殺された。同じ月に高野が勝海舟のところを訪問した事実は比較的に小説では無視されていた。ところが国会図書館の鑑定では勝に贈呈した高野の自筆の複写本が本物となっている。
 勝海舟の誇大主張は多く、咸臨丸の自慢話から非または反勝海舟を生んでいる。高野長英の死去間際の勝海舟との面談は多くの小説家の悩みの種だろう。今西口克己著『高野長英』の最後のところを読んでいるがなぜ阿部正弘が高野の隠れ家を知っている小説の筋には無理がある。どちらかというと勝海舟の評伝本を書いたか勝部真長氏の小説の方が後々の結果から納得できる。氷川清話の横谷(横井)宗与はどんな人物なのだろうか。
 長英を逃亡を手助けし,南町奉行遠山景元によって流罪となった内田弥太郎の親族の宮野信四郎の扱いが中途半端で、彼は明治元年暮に新島から赦免され(新島村史・流人編)江戸(東京)にもどったことの整合性がとれない。当時の流人は江戸からの支援金がないと生き残ることは難しかった。誰が支援したかというと内田五観(弥太郎)しか考えられない。
同時に流罪となった3人のうち、松下寿酔は獄死の記録があるが残りの二人の流人の記録がない。東京都公文書館で調べてもらったが、記録もないし今まで調べに来た人もない様だ。流罪人の記録はバケツリレ-のようなもので通過の関所で改めがある。どこかに記録があるのに史料がない。これでは島抜けしても解からないことになる。考えられるのは獄中死去しかない。嘉永3年12月末の判決から翌年4月の江戸からの春の流人船までの期間で死去したしか考えられない。残りは南千住の獄死者を弔っている回向院しか記録がない気がする。
 高野長英の逃亡先の発見は諸説あるが蘭書翻訳取締令(嘉永2年(1849年)から翌年にかけて江戸幕府が出した一連のオランダ語などのヨーロッパの文献に対して行われた翻訳及び刊行に関する一連の規制)があって、手書きの逃亡していた高野の翻訳書の出回りから、生存説が出て、市中をを探索したと思われる。今でも軍事用語は国によって用語の意味が異なり、単に翻訳しても意味不明となる。高野は当時の日本人の中で軍事用語翻訳の第一人者でそれを手書きで複写したら高野が生きていること想定することになる。なぜこのことが広く知れていないのは、嘉永2年から3年にかけて、幕閣上層部では異国船打ち払い令再発動問題、株仲間再興と重要問題が協議され、秘密保持が厳しかった。特に株仲間再興は市中の業者への情報漏れを気にしていた。
 老中阿部正弘. 留守居役元南町奉行筒井政憲、南町奉行遠山景元の間で嘉永3年春にオランダの江戸参府時に幕府に献上された軍事本の翻訳で新任の蘭通詞立石得十郎には荷が重かった。そこで市中に出回っている蘭書軍事本の翻訳者を探したと思われる。
 高野が生きていると仮定すると、当時の浦賀奉行で高野の仲間だった尚歯会の内田弥太郎と下曽根金三郎が砲台整備で働いていて、浦賀奉行から高野の隠れ家を聞かれたと思う。内田は高野を拘禁させ、生かして翻訳させる提案に乗ったとすると、長英捕縛時に死去しても、内田は逃亡を助けても無罪となった理由となる。このことがら嘉永3年10月中に処理しないと、管轄が北町に移ってしまうので晦日の夜に無理したと思われる。そこで高野が話が違うと思って抵抗し、話の通じていない南町奉行配下の与力たちの怒りを買い、撲殺されたという方が後々の歴史から理解が進む。
 この高野の捕縛死が新たな歴史を生んだと思う。自由民権運動福島事件の唯一の東京士族花香恭次郎の誕生となる。
 福神漬の逸話を語った鶯亭金升の日記には後世の人が読むことを想定していて、都合の悪いことは控えめに記述しているので解明に時間がかかった。
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