夕方「我が愛しのキャンディーズ」という番組の再放送をみた。この番組については以前書いているが(2006年7月20日)、手を加えて再掲する。
キャンディーズが「あなたに夢中」でレコードデビューしたのは1973(昭和48)年のことだった。彼女たちの活動期間は意外に短くて4年半、ちょうどボクの学生時代と重なっている。あの頃はメンバーの誰が好みかということが友達の間でよく話題になった。3人の個性が全く違ったので好みも分かれた。当時、ボクがいいな~と思っていたのは、ランちゃんではなくて、スーちゃんでもなくて、ミキちゃんだった。
デビュー当時、衣裳が最も似合っていたのはランちゃんだった。ランちゃんに似合うようにデザインされていたのかもしれない。似合っていないと思ったのが、ミキちゃんだった。
「年下の男の子」や「ハートのエースが出てこない」などが大ヒット。人気絶頂の中、彼女たちは日比谷野外音楽堂のコンサートで突然引退宣言をする。昭和52年の7月17日のことだった。引退宣言をすることはスタッフも知らなかったようだ。
彼女たちが所属していた事務所の社長は作詞家の喜多条忠に依頼する、彼女たちをあと1年、3曲で大人の女にして欲しいと。キャンディーズ大人化作戦の始まりだ。
解散宣言後の最初の曲は「アン・ドゥ・トロワ」。曲の雰囲気が変わった。 ♪人は誰でも一度だけ全てを燃やす夜が来る。それまでの曲の歌詞にはなかった大人のフレーズだ。衣裳も大人っぽくなって、ミキちゃんが俄然輝きだした。彼女はこの曲の黒い衣裳がよく似合っていた。そう、彼女は一番大人だったのだ。
番組は1978(昭和53)年4月4日に後楽園球場で開催されたラストコンサートで終った、「私たちは幸せでした」というファンへのメッセージと共に。
70年代の半ば、日本中の若い男たちをとりこにしたキャンデーズ。解散後の彼女たちにはあまり関心を寄せていなかったので、スーちゃんが20年近くも闘病していたことは知らなかった。だから、彼女の訃報には驚いた。青春の想い出のひとつが消えてしまったような気がして寂しかった。あのころからもう30年以上も経つのか、青春は遥か彼方に遠ざかってしまった・・・。
キャンディーズが「あなたに夢中」でレコードデビューしたのは1973(昭和48)年のことだった。彼女たちの活動期間は意外に短くて4年半、ちょうどボクの学生時代と重なっている。あの頃はメンバーの誰が好みかということが友達の間でよく話題になった。3人の個性が全く違ったので好みも分かれた。当時、ボクがいいな~と思っていたのは、ランちゃんではなくて、スーちゃんでもなくて、ミキちゃんだった。
デビュー当時、衣裳が最も似合っていたのはランちゃんだった。ランちゃんに似合うようにデザインされていたのかもしれない。似合っていないと思ったのが、ミキちゃんだった。
「年下の男の子」や「ハートのエースが出てこない」などが大ヒット。人気絶頂の中、彼女たちは日比谷野外音楽堂のコンサートで突然引退宣言をする。昭和52年の7月17日のことだった。引退宣言をすることはスタッフも知らなかったようだ。
彼女たちが所属していた事務所の社長は作詞家の喜多条忠に依頼する、彼女たちをあと1年、3曲で大人の女にして欲しいと。キャンディーズ大人化作戦の始まりだ。
解散宣言後の最初の曲は「アン・ドゥ・トロワ」。曲の雰囲気が変わった。 ♪人は誰でも一度だけ全てを燃やす夜が来る。それまでの曲の歌詞にはなかった大人のフレーズだ。衣裳も大人っぽくなって、ミキちゃんが俄然輝きだした。彼女はこの曲の黒い衣裳がよく似合っていた。そう、彼女は一番大人だったのだ。
番組は1978(昭和53)年4月4日に後楽園球場で開催されたラストコンサートで終った、「私たちは幸せでした」というファンへのメッセージと共に。
70年代の半ば、日本中の若い男たちをとりこにしたキャンデーズ。解散後の彼女たちにはあまり関心を寄せていなかったので、スーちゃんが20年近くも闘病していたことは知らなかった。だから、彼女の訃報には驚いた。青春の想い出のひとつが消えてしまったような気がして寂しかった。あのころからもう30年以上も経つのか、青春は遥か彼方に遠ざかってしまった・・・。