透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

火の見櫓が出てくる文学作品

2018-07-06 | A 読書日記



 久しぶりの朝カフェ読書。松本清張短編全集8『遠くからの声』に収録されている時代ミステリーの「左の腕」を読んだ。

**卯助はいつものようにおあきに途中まで送られ、油堀を渡って裏長屋のわが屋に帰った。陽気がよくなったので寒くはない。彼は手拭いをさげて夜風に当てられながら、少し歩いたが、途中から足を変えて、火の見櫓の下を通って、少し遠い熊井町の亀の湯に行った。**(115頁)

お! 松本清張の作品にも火の見櫓が出てきた。 熊井町は江戸深川の町だ。

火の見櫓は島崎藤村の『夜明け前』(過去ログ)や 宇江佐真理の髪結い伊三次捕物余話「心に吹く風」の2編目の「雁が渡る」(過去ログ2)、北杜夫の代表作『どくとるマンボウ青春記』(過去ログ3)などにも出てくる。漱石の作品にも出てきたような気がするが確認出来ていない、勘違いかも知れない。


 追記 『硝子戸の中』に出てきていた。



買物らしい買物は大抵神楽坂まで出る例になっていたので、そうした必要に馴らされた私に、さした苦痛のある筈もなかったが、それでも矢来の坂を上って酒井様の火の見櫓を通り越して寺町へ出ようという、あの五六町の一筋道などになると、昼でも陰森として、大空が曇ったように始終薄暗かった。(新潮文庫 51頁)


 


「日本の醜さについて」

2018-07-06 | A 読書日記



■ 『日本の醜さについて 都市とエゴイズム』井上章一/幻冬舎新書を読む。

日本人は集団主義的で協調性があり、欧米人は個人主義的だという指摘は都市の景観には全く当て嵌まらない。欧米の都市景観は「和を以って貴しと成す」という協調性に支えられ、日本の都市景観は極めて個性的な建築から成り、協調性は認められない。前記の対比は逆転しているという、なるほど確かにと納得できる指摘。もっとも最近、ヨーロッパにも既存の都市景観に協調しない個性的な建築が出現しつつあるが・・・。

**『京都ぎらい』の著者による、言ってはいけない日本人論!**(帯より引用)