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■ 岡山県在住の火の見ヤグラー・Oさんから高梁川流域連盟機関誌「高梁川」第八十号に掲載された「高梁川流域の火の見櫓」という研究レポートの抜刷を送付していただいた。拙著『あ、火の見櫓!』(プラルト2019年)を購入していただいたご縁で、Oさんとは火の見櫓情報を交換させていただいでいる。
Oさんは2019年12月に岡山県内の火の見櫓の調査を開始され、2022年5月中旬までに702基の写真撮影と位置情報を記録されたとのこと。2年半でおよそ700基とは凄い。岡山県にも火の見櫓が多数あることが推察される。
Oさんは**流域各地で火の見櫓に対する関心を喚起し、欲を言えば新たな調査研究や保存への流れを生み出すことである。**と寄稿の意図を書いておられる。私も同じ思いでこれまで「広報活動」を続けてきた。
レポートには何基もの火の見櫓の写真が掲載されているが、所変われば火の見変わるで、珍しいものがある。電柱を支柱に転用した火の見梯子や、円形の見張り台に比して極端に小さい円形、陣笠のような屋根を載せた火の見櫓(私の分類名だと3柱〇〇型トラス脚)は観たいなぁ、と思う。後者は見張り台の手すりのところから細い鋼管(?)柱を垂直に建て、途中から陣笠様の屋根の縁に向かって内側に曲げ伸ばしている。そう、「笑っていいとも」の友だちの輪のポーズの腕のように。
レポートには半鐘も取り上げられていて、刻銘により鋳造年が延宝5年(1677年)だと確認できるものもあるとのこと。火の見櫓の建設年よりかなり古い半鐘が吊り下げられている事例は私も確認したことがある。寺院の鐘として鋳造されたものと思われるが、それがどのような経緯で火の見櫓の半鐘として使われるようになったのか、興味深い。史料が見つかれば明らかになるのかもしれない。
Oさんは火の見櫓について、地域史への位置づけへと発展させていくという展望を示しておられる。
火の見櫓は地域のトータルな防災システム(ハードとソフトの両面)の中で、更に地域史の中でどう位置づけられるのか、遠大な研究課題の提示だ。
広くて深い火の見櫓の世界に出口なし。
*1 高梁(たかはし)川は岡山県の西部を流れる一級河川。