透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

太鼓櫓を描いた切手

2023-01-12 | D 切手

   
右画像の出典:国立国会図書館デジタルコレクション「錦絵でたのしむ江戸の名所 両ごく回向院元柳橋」部分

 この切手もKさんからいただいた。歌川広重の錦絵「両ごく回向院元柳橋」の切手。切手の名前は「両国回向院太鼓やぐらの図」となっている(1978年、今から40年以上前に発行された切手)。

広重はこの錦絵でも墨田川の向こう岸、薬研堀(運河)に架かっている主題の元柳橋を小さく、太鼓櫓を手前に大きく配している。切手では小さくて分かりにくい元柳橋ではなく、大きく描かれた太鼓櫓の方が分かりやすいという判断がなされ、名前にしたのではないか。

太鼓櫓と火の見櫓はどちらも櫓構造で共通している。それよりもっとこの切手と火の見櫓は関係がある。両国回向院は明暦の大火(1657年)で亡くなった多数の人たちを供養するために、同年建立された寺院。幕府はこの大火による甚大な被害を受けて、翌年(1658年)に定火消を組織した。定火消の屋敷に火の見櫓が建てられた。これが火の見櫓の歴史の始まり。


定火消の火の見櫓 消防博物館(正式には東京消防庁消防防災資料センター)

両国回向院で1768年(明和5年)から勧進相撲が行われるようになり、旧国技館が竣工する1909年(明治4年)まで続けられたとのこと。それで両国回向院に太鼓櫓が組まれているという次第。この櫓について調べると高さが5丈7尺あったとのこと。1尺は30.3cm、1丈は10尺だから、およそ17.3m。これを柱4本、横桟と筋交いで櫓を組んでいる。火の見櫓の形状分類にあてはめれば4構面梯子4柱櫓となる。

絵には太鼓の一部が描かれている。太鼓の叩き方は決まっていて、興行の始まりや終わりを知らせたとのこと。17.3mというと、5階建ての屋上くらいの高さだ。音を遮るような高い建物の無い江戸の街ではかなり遠くまで届いただろう。ちなみに定火消の火の見櫓の高さは5丈、およそ15m。

Kさんから切手をいただいていなければ、両国回向院のことは何も知らないままだっただろう。火の見櫓と大いに関係があるというのに。この寺院には明暦の大火の供養塔があるとのこと。今度、東京する時は訪ねたい。