透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

海の日に

2024-07-15 | A 読書日記

 今日、7月15日は海の日。海から登る朝日、あるいは海に沈む夕日の印象的な写真が撮れたらいいけれど、ここは海無し県長野だから、ちょっと写真撮ってくる、というわけにはいかない。海釣りの趣味もないし。

廻りを山に囲まれた環境で育つのと、眼前に広がる海を日々目にして育つのとでは志が違ってくるだろうな、と思う。やはり龍馬は後者の環境が生んだのだと思う。廻りを山に囲まれた環境だと、あの山の向うはどうなっているんだろう・・・って思う子もいるだろうが、そこまで見えない世界を広げることができるのかどうか・・・。内側に向かう内省的な人間が育つのだろう。で、海無し県長野から岩波茂雄や古田 晁(筑摩書房の創業者)、小尾俊人(みすず書房の創業者)ら出版人が生まれ育った・・・。これ本当かな、眉唾な珍説をでっちあげちゃったかな。


何かタイトルに海の文字が入る小説やエッセイがないかな、それも文庫・・・。直ちに浮かぶのはやはり『老人と海』だが、自室の書棚にはない。高校生の時に読んだのかな。


2007年に村上春樹の長編小説を集中的に読んだ。今年安部公房を集中的に読んでいるのと同じように。その中に『海辺のカフカ』上下があった。だが今、手元にあるのは『羊をめぐる冒険』上下(講談社文庫)のみ。過去ログ


北 杜夫の『どくとるマンボウ航海記』も忘れちゃいけない。

 
安岡章太郎の『海辺の光景』もある。


南木佳士には『海へ』というエッセイだったかな、がある。南木佳士のこれらの作品も今は書棚にはない。

読んだことがある作品で直ちに浮かぶのはこんなところかなぁ。


フランスの作家・ヴェルコールの『海の沈黙・星への歩み』岩波文庫があった。10代の時に読んだ短編。内容は忘れてしまったけれどタイトルは覚えていた。

帯に**ナチス占領下、深い沈黙を強いられた〝自由の国フランス〟で人間の尊厳を守り自由のために生命を賭けた市民の姿に肉薄する抵抗文学**とある。『海の沈黙』はテレビ番組で紹介され、読んでみようと思ったことを覚えている。書棚から取り出して写真を撮った。


冬の海。五能線に乗って、酒(ビールじゃなくて日本酒)をちびちび飲みながら冬の日本海を見てみたいなあ・・・。人生って寂しいなぁとかなんとか想いながら・・・。


「散華 上下」を読む(加筆)

2024-07-15 | A 読書日記


■ 『散華 紫式部の生涯 上 下』杉本苑子(中央公論社1991年 図書館本)を読んだ。

上下巻各8章、約830頁の長編。副題が「紫式部の生涯」となっている通り、紫式部と後年呼ばれることになる小市が7歳の時から始まる物語には52歳で生涯を閉じるまでの45年間が描かれている。

悲しいかな僕はこの長編を「物語」として読むのに必要な登場人物の名前や人間関係を記憶する能力、短期記憶力が衰えている。老いは容赦ない・・・。掲載されているいくつもの系図を頼りに、あるいはあれこれノートにメモしながら記憶力を補い、何とか読み終えた、というのが本当のところ。

と、断った上で、この小説の圧巻は下巻の「宇治十帖」だと言いたい。「宇治十帖」は杉本苑子さんの「源氏物語論」だ。紫式部は本編をどう自己評価したのか、なぜ続編とも位置付けられる「宇治十帖」を書いたのかについて論じている。

以下、そのように思う箇所を長くなるけれど何か所か引用したい(引用ばかりで気が引けるけれど・・・)。

**宮廷生活の華やぎに身を置き、物語の作り手として賛嘆の声にとりまかれる日常であればあるほど、そこから遊離し、暗い、孤独な淵の底へ、一個の石となって果てしなく沈んでゆく自分を感じる。
そして、そのような心の在り方を透(とお)して、改めて自作を読み返してみると、光源氏はあまりのも理想の人、美と栄光の権化でありすぎた。**(下巻319頁) 
このような反省を小市(紫式部)にさせて、その理由を内省的な性格に生まれついたことに因ると杉本さんは書いている。

**(このままでよいのか? 物語のどこに、わたしがいる? わたし自身の本当の声は、どこに聞こえる?)**(下巻321頁 太文字化は私)
**別人の作とすら思えるほど、しかし『宇治十帖』から受ける印象は前作とは異なっていた。**(下巻327頁)
杉本さんはこのように書き、続けて具体的にどう違うのか、指摘している。
**文芸作品の読まれ方は、「百人読者がいれば、百通りある」ということだろう。(中略)小市の――紫式部の『源氏物語』ではなく、その読み手自身の『源氏物語』なのである。(中略)数知れぬ読者の、主観や個性に合せ、その側におりて行って多様な注文に応じきることなど、しょせん一人の書き手にできることはない。することでもない。
では、どうすればよいか。答えはただ一つ、作者は自分のためにのみ書き、自分の好みにのみ、合せるほかないのだ。すべての読者が、おもしろくないと横を向いてしまっても仕方がない。自分が「よし」と思うその気持ちに合せて書く以外に、拠りどころははない。**(下巻333頁) 
このような指摘は言うまでもなく、同じ書き手としての杉本さんの文学論でもあるだろう。

以上のように書かれている「宇治十帖」を読んで、同じようなことを書いたな、と次の記事を思い出した。

**『源氏物語』全五十四帖のうち、最後の十帖が「宇治十帖」で、ここに最後のヒロイン・浮舟が登場する。柴井さんの見解によれば、浮舟はこの長大な物語の主人公、また三田村さんは浮舟に紫式部の願いが投影されていると指摘している。この「宇治十帖」については紫式部ではなく別人が書いたのではないか、という説が昔からあるという。ぼくもこの説を唱える本を読んだ。だが、ぼくはただ単に願望として、紫式部がしがらみを解き、書きたいことを書きたいように書いた結果だと解したい。**(拙ブログ2024.05.14の記事から引用した。文中の太文字化は本稿でした)

やはり、そうですよね杉本さん。

1月に始まった大河ドラマ「光る君へ」も前半が終わったが、まひろ(紫式部)はまだ「源氏物語」を書き始めていない。『散華』でも上巻ではまだ小市は書き始めない。貴族社会の次のような現実を冷徹な目で観察している。
**表面、優雅な日常の裏で、血で血を洗う苛烈な闘争がくり返されてきたのは、勝者の側に立つ者と、敗者の側に押しやられる者との明暗が、あまりといえば際だつからであった。追い風を受けていったん上昇気運に乗れば、栄華の極みにまでのぼりつめ、その逆だと乞食すれすれの境遇にも堕ちかねない。明と暗、栄光と没落の図式が極端に別れるところに、この時代の貴族社会の、むごたらしい現実が露呈していた。**(下巻330頁)

小市が次第に書いてみようかなという気持ちになっていく様も描かれている。

貴族社会における恋の不条理さを言う小市に向かって、叔母(父親の為時の妹)の周防は言う。**「難のない人間はいず、不条理や不公平を伴わない愛もない。それが現実ならば、せめて物語の中ででも、理想の男性像を求めるしかないわね。小市さん、書いてみたら?」**(上巻420頁)
おそらく小市もこの様な気持で書き始めたのだろうが、次第に光源氏が自分の気持ちと乖離していき、結果として続編「宇治十帖」を書くことになったということだ。

**幾度となく読み返し、一字一字、引き写していくうちに、文字の背後にひそむ底力のごときものに小市は触発され、わしづかみにされて、
(書いてみたい! わたしも!)
激しい願望の虜となった。
(あの人に書けるなら、わたしにだって・・・・・)
でも、それは単なる比較でも競争心でもなかった。『枕草子』を凌ごうなどという気はまったくない。清少納言と張り合うつもりも、微塵もなかった。**(下巻159頁) 
そうかなぁ・・・。

**「和泉式部は情の人、清少は感性の人、そしてわたしは・・・・・」理の人とでも位置づけて、書きつづけるほかないと小市は思う。**(下巻275頁)
和泉式部、清少納言(よく分からないけれど清少納言を清少としている箇所がある)そして紫式部。平安の女流作家3人に対する杉本さんの寸評ということになる。なるほど、これは覚えておきたい。

文芸作品の読まれ方は、「百人読者がいれば、百通りある」と書いてあった。だからこんな読み方をしても構わないだろう・・・。

**「ながいこと本当にごくろうさまでしたね紫式部。わたくしたちばかりでなく、源氏物語ははるか後の代まで生きつづけ、たくさんの人々に読まれつづけていくことでしょう。物語の命、その力に較べたら、一ッときを支配する権力など、儚いものですね」**(下巻334頁)
これは杉本さんが彰子中宮に語らせた労りの言葉。


大河ドラマ「光る君へ」は恋愛ドラマだと思うけれど、『散華』にはあまりそのような雰囲気は感じない。ともに紫式部の生涯を描いているけれど、テイストはかなり違う。