■ 『法隆寺の謎を解く』武澤秀一(ちくま新書2006年)を再読した。
法隆寺には謎がいくつかある。例えば再建されたのか否かという謎。この謎については発掘調査などにより、再建説で決着がついているようだ。本書では法隆寺の謎についてざっと紹介して、なぜ法隆寺の中門には中央に柱があるのかという謎について論考している。この謎について7つの説を紹介しているが、その中では哲学者の梅原 猛氏が『隠された十字架』で論じた聖徳太子の怨霊を封じるためという説がよく知られている。著者の武澤秀一氏は建築家で、この謎について空間論的な視点から論じている。
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法隆寺の中門 中央に柱がある。撮影日2015.01.24(33会の旅行)
金堂と五重塔が横並びに配置されている。
なぜ中門の真ん中に柱が立っているのか、この謎を解くにあたり、著者の武澤氏は創建当時の法隆寺では塔や金堂などが縦一列だった伽藍配置(このことは発掘調査で明らかになっている)が、再建されて金堂と塔が横に並ぶ配置(参拝券参照)に変わったことに注目して、一体なぜ縦から横へ配置を変えたのかについて論じている。このことに関連して、ずいぶん前にぼくは**大陸から伝わった左右対称の伽藍配置は日本人の感性には合わなかったのだろう。日本人の美的感性に合った、周辺の自然環境に同調するような配置を求めた結果だろう**と書いた(過去ログ)。武澤氏も**列島の風土、自然環境の中でつちかわれた空間意識が聖域の空間表現に反映したと思われるのです。**(274頁)と書いている。
中門から金堂と五重塔、正面後方に講堂を見る 撮影日2013.11.16
金堂と五重塔 撮影日2013.11.16
塔や金堂、講堂が縦一列に並ぶシンメトリックな配置にある強い空間秩序について武澤氏は次のように書く。**伽藍が完成しその雄姿を見せた時、その壮麗さに驚嘆し賞賛のかぎりをつくしたにちがいありません。しかし時が経つにつれ、どことなくしっくりこない感覚を覚えるようになったのではないか**(174頁 下線:筆者の私) そう、強い空間秩序はこの国の人の心性に合わず、すんなり受け入れることができなかったのだ。で、再建に際して金堂と五重塔を横に並べた・・・。
武澤氏は金堂、五重塔、中門が並ぶ様を見て**三つの建物がつくる構図のなか、中軸に立つ謎の柱が扇のカナメとなっている。度はずれて大きな中門、その真ん中に立つ重く太い柱。それが視界の全体をグイッと引き締めている。(中略)中軸上にこの柱がなかったならば、構図を支配している凛とした空気は得られなかったにちがいない。そこに残されたのは漠としバランスがもたらす、ただ穏やかというだけの凡庸な、しまりのない印象であったと思われる。**(167頁)と書く。このような印象が、なぜ中門の中央に柱があるのかという謎の答えとなるのかどうか、分からない。
武澤氏は最も早い横並び配置として百済大寺を取り上げ、塔の前にも金堂の前にも中門があったとみる、奈良文化財研究所の復元案を紹介してる。で、法隆寺の中門は二つの門をひとつにまとめたものであり、中央に柱があるのだと。この柱は前述のような効果も得られる一石二鳥の策だったとしている。
武澤氏の論考は横並びと縦並びの違いについて更に空間論的な論考を続け、また豪族に対抗して天皇が強い権威を示す意図を、この配置で示したとして、次のように書いている。**豪族たちによる大陸直輸入、タテ一列の伽藍配置を超えるものとして、ヨコ並び配置の系譜が天皇の血統から生み出された。**(231頁)本書の終盤のこのような論考については、本稿では割愛する。
日本人の心性にシンメトリックな形はしっくりこない、という私の持論(過去ログ)に重なる論考。
『法隆寺の謎を解く』 敬体と常体が混在した文章は読みにくく、残念だ。