■ 原田マハさんの『ジヴェルニーの食卓』(集英社文庫)を読み終えた。
マティス、ドガ、セザンヌ、モネというほぼ同時代を生きた画家たち(*1)の暮らしぶり、創作の様子が活き活きと描かれている。読み手である私は彼らの間近でその様子を見ている目撃者という気持ちになる。演劇を客席からではなく、演者と同じ舞台上で見ているような感じ、とでも言えばいいのか。やはり原田マハさんは表現力に優れている。
本書には短編が4編収録されているが「うつくしい墓」はマティスの生活を家政婦として支えた経験のある老いた女性が若い女性新聞記者のインタビューで語るというスタイルでストーリーが展開していく。
マティスの作品は好きだ。晩年の切り絵による創作の様子などを前述したように間近で見ている感じがしてワクワクした。ヴァンスのロザリオ礼拝堂のステンドグラス「生命の木」はマティスの代表作とも評される作品だそうだが(小説に出てくる知らない作品はネットで調べ、画象を見ながら読み進んだ)、この礼拝堂の内部空間に感動して修道女になろうと決心したことをこの女性が語る件に涙。
ゴッホに「タンギー爺さん」という画題の有名な作品があるけれど、それと同じ題名の短編はタンギー爺さんの娘がセザンヌに宛てて手紙を書くというスタイルでストーリーが進む。セザンヌの作品も好きだ。タンギー親父と呼び、親しくしていた画家たちのひとりゴッホ。**父に「親父さんの肖像画を描かせてくれ」と言い出したのです。父は大変驚いて、「そりゃありがたいけど・・・・・・わしにはそれを買い取る金がないよ」と答えたそうです。それで、ゴッホに笑われたと。画家のほうは、溜まりに溜まった絵の具代の代わりに、肖像画を描いて帳消しにしようと思ったというわけで。**(165頁)
セザンヌ、ゴッホ、ゴーギャン、スーラ・・・。他にも何人もの画家が同じようにしていたとのこと。タンギー爺さんが亡くなって、残されていた借金の返済に彼らの絵を充てようと競売会を開くも、後年有名になる画家たちもまだ評価されていなかったということで・・・。
改めてネットでゴッホの描いたタンギー爺さんを見て、優しい表情をしていることに気がついた。タンギー爺さんっていい人だったんだなぁ。
「エトワール」ではドガが描いた踊り子がどんな少女だったのか、ドガが踊り子のことをどう思っていたのか、また表題作「ジヴェルニーの食卓」ではモネの暮らし、創作の様子がそれぞれ身近にいた女性の目線で描かれる。知らなかった、そうだったのか・・・。
人生いろいろ、画家たちの人生もいろいろ。感慨。
**目覚めて、呼吸をして、いま、生きている世界。この世界をあまねく満たす光と影。そのすべてを、カンヴァスの上に写し取るんだ。**(217,8頁)モネの決意。
**印象主義なんぞもう古いんです、(中略)見たものを見たように描いてちゃだめなんだ、画家の感性をいかにして作品に昇華させるかが重要なんだ、(後略)**(163頁)
小説には大学で美術史を専攻し、キュレーターの経験もある原田マハさんの絵画の捉え方、絵画に対する考え方も当然反映されている。原田マハさんのアート小説は勉強になる。
*1
マティス:1869~1954
ドガ:1834~1917
セザンヌ:1839~1906
モネ:1840~1926