■ 外界からの刺激に反応することが生きているということの証です。
低次の刺激への反応は、例えば日射しがまぶしくて手をかざす、騒音に耳をふさぐというようなことが例示できます。瞳孔は光に反応して大きさを変化させますが、これは最も低次な刺激に対する生体反応ですよね。
高次の刺激(情報)には、例えば音楽や絵画、映画、メディアが伝えるニュースなどがありますが、音楽のリズムに合わせて体を動かしたり、映画を観て涙したり、ニュースに笑ったり、驚いたり、怒ったり、悲しんだり、と様々な反応をします。これも生きているということの証です。
そしてこのような反応を「ねえ、聞いて、聞いて」「これ見て」と、家族や友人・知人に伝えたいという欲求が程度の差こそあれ誰にもあるでしょう。SNSによる情報発信もこのような欲求によるものですよね。情報に反応するだけでなく、それを人に伝えることが生きているということの証なのかも知れません。
創作活動が例示したような外界からの刺激に対する反応によるものなのかどうか、よく分かりませんが、作品を発表するという行為も生きていることの証、と捉えることができそうです。描いた絵や撮影した写真を展示して、他人(ひと)に観ていただくということはその代表的な事例です。俳句や短歌、エッセイを投稿するということも同じ欲求に基づく行為でしょう。このように人は自身が取り得る方法によって、私はちゃんと生きていますよ~、と他人に伝えているのです。
当たり前のようなことを妙に理屈っぽく長々と書いてしまいました。言いたいのは、何らかの方法で情報発信することは生きていることの証だということです。
8月2日に始まった「青木裕幸水彩画展」は、東京でちゃんと頑張ってやってますよ、という青木君の情報発信でした。その作品展が昨日(27日)終了しました。
東京生まれで東京育ちの彼が両親の出身地である松本・安曇平で作品展をすることには意義があるのではないかと考えて、安曇野市豊科のカフェ・BELL WOOD COFFEE LABでの開催をすすめましたが、無事終了してホッとしています。
作品展の期間中、大勢の方々に作品をご覧いただきました。皆さんに感謝の意を表します。もちろんカフェのオーナー・鈴木さんにも。
ありがとうございました。