透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

心模様の投影

2023-08-27 | A 火の見櫓のある風景を描く


 8月2日に始まったいとこの「青木裕幸水彩画展」、今日27日が最終日。昨日(26日)の午後、青木君と同じ美術部に所属していたという友人が首都圏から車で来場、作品を観て下さった。訊けば高校の同期生と娘さん、それからやはり同じ美術部の先輩とのことだった。

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私の高校の同期生も来場してくれた。彼女も趣味で絵を描いている。しばらく対面で話をした。以下、いとこの作品のことではない(青木君すみません)。

「絵の色って、その時の気持ち、心模様が反映されますよね。明るい気持ちの時は、その気持ちに同調するように明るい色使いになるし、暗い気持ちの時の色使いはなんとなく暗くなる。それから絵に勢いもない」ぼくがスケッチで感じていることだ。

彼女には具象的な作品もあるし、抽象的な作品もあって多彩だ。シャガールの絵のような美しい色使いの作品もある。絵を描くことが好きなんだな、とSNSにアップされる絵を見ていつも思う。絵に勢いを感じる。気持ちに手の動きも同調するのかもしれない。文は人なりというけれど、絵も同様だろう。

最近読んだ梶よう子さんの『北斎まんだら』にも**おれは、おれの思うがままに描くんだ。おれが真だと思うものが真になる。おれの画になる。**(152頁)という北斎のことばがある。**「描きてえから描く。それだけだ。そこに訳なんざいらねえ。けど、おめえは理由(わけ)ばかりを考えていやがる。それが勿体ねえ」**(322頁)という北斎の娘・お栄が甥の重太郎に向けたことばがある。

また、安野光雅さんの『絵の教室』には**絵には基礎はない、教えようにも教えられない、本当の基礎は心の中にあり、「絵が好き」という心情に勝る基礎はないといい、絵のある人生がいかに豊かなものであるかを、自分の体験を通じて、切々と語り続ける。**という、安野光雅さんが書いた『絵のある人生』という本について書かれた読者の感想文が載っている(125頁)。

同書で安野さんは**写実的な絵というものは、目に見えているものを描いた結果ですが、よく考えてみると目に見えないものを描いていることが少なくありません。むしろ見えていないものを描くことに絵の意味があるのではないか、と思います(ⅴ はじめに)** と説いている。

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2023.08.23 松本市笹賀にて

最近描いたスケッチ。色使いが単調だ。なんだか、守りに入っていないか? 上手く描こうなどという邪念があるんじゃないか。

線。この風景は何回も描いているので、構造が頭に入っている。だから線描には迷いがないことが見て取れる。ささっとスピーディに描いている。

色。もっと鮮やかな色使いをしてもいいのではないか、と思う。心の老化が色調にも出ているのかな・・・。絵は自己の情報を発信する、と捉えれば地味な色使いは当たり前なのかもしれない。身体は諦めるとして、心は若く保ちたいものだ。次回は努めて明るく描こう。

作者の手を離れた作品は無防備で、どんな解釈でも許容する。だから様々な解釈があって当然。作品について他の人の捉え方、感想を聞くことは楽しい。受け売りではなく、その人なりの捉え方、感想。

一方、絵は理性的に解釈をするものではない、感じるものだ、という意見もある。もっともだと思うが、ぼくはどうしても解釈しようとしてしまう。抽象的な絵を前にして「何を描いたんだろう、作者は何を表現しているんだろう。この赤い四角は何だろう、この黒い太い線の意味は?」などと。

「解釈を拒絶して動じないものだけが美しい」ということばもあるなぁ。

さて、今日は「青木裕幸水彩画展」最終日。もう一度作品をじっくり観たい。


 


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