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■『常設展示室』原田マハ(新潮文庫2021年11月1日発行、2023年5月30日8刷)を読んだ。1年半で8刷。『常設展示室』には6編の短編が納められている。「群青」ではメトロポリタン美術館に展示されているピカソの青の時代の作品、「デルフトの眺望」ではマウリッツハイスに展示されているフェルメールのデルフトの眺望。それぞれ物語で美術館に常設展示されている絵画が重要な意味をもって出てくる。
**確かにピカソの作品は、時代時代で変化していく大らかな色彩が特徴だ。悲しみをたたえた青の時代、恋に燃え上がったバラ色の時代、キュビズムの時代は茶色やグレー、シュルレアリスムの時代は黒と白。生涯を通してユニークなかたちと色を追い続けた人である。彼にしか描き得ない、かたちと色を。**(36頁)「群青」ではこのようにピカソの作風の変遷を簡潔に紹介している。原田さんのキュレーターとしての確かな眼。
収録されている6作品の中では「薔薇色の人生」が印象に残った。原田さん、こういう小説も書くんだ・・・。
主人公はバツイチの女性・柏原多恵子、45歳。パスポート窓口の受付業務担当。で、相手はパスポートの申請に来た男・御手洗由智(よしのり)、64歳。
受付カウンターの背後の壁に飾られた色紙にフランス語で書かれた言葉、意味は「薔薇色の人生」。この色紙を見た御手洗が「どなたの色紙ですか」(119頁)と多恵子に声をかける。**この十年くらいで初めてといっていいほど、ひとりの男性に好奇心の針がぴくりと動いたのだった。**(125頁) 恋の始まり。
多恵子が仕事を終えてバス乗り場に向かうと停留所に御手洗が立っていた。電話中の御手洗に多恵子が近づくと、流暢なフランス語で話をしていた。待っていたバスが来た。同時に反対側からハイヤーが近づいてくると、御手洗は「乗ってください」と多恵子に声をかける。促されるままに後部座席に乗り込むと、続いて御手洗も乗り込む。運転手がドアを閉める。どうしよう、まさか新手の拉致?乗ってしまってから動揺する多恵子。ストーリーをトレースしていくときりがない。
タクシーの中で御手洗は語る。祖母はフランス人、女流画家で藤田嗣治といっとき恋仲だった。父も画家を志していた。祖父が遺し、父が手放さなかった一枚の絵。それはゴッホの絵だった・・・。**「いまも、その、お・・・・・・ひとり、なんですか?」思い切って訊くと、「はい。ひとりです」**(137頁) 恋。
七日後の夕方、パスポートの受け取りに来た御手洗。その夜、多恵子は御手洗に抱かれた。翌朝、目を覚ました多恵子。御手洗はいなかった。テーブルの上の長財布、お札がなくなっていた。代わりに入っていたのはゴッホ展のチケットだった。その後の展開、省略。なるほど、最後はこうなるのか・・・。
これって何? ロマンス窃盗? いや、春の一週間の恋。