透明タペストリー

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「曠野から」再読

2020-08-15 | A 読書日記

 昨日(14日)はスタバで朝カフェ読書。『曠野から アフリカで考える』川田順造(中公文庫)を読む。

文化人類学者である著者が西アフリカのオート・ヴォルタ(1984年にブルキナファソに改称された。私はアフリカの国々のことは何も知らず、この国については国名すら知らなかった)で暮している間に、そこの自然や人々の生活について感じたこと、考えたことを綴ったエッセイ集。1974年に第22回日本エッセイストクラブ賞を受賞している。

本の最初に収録されている「雨」と題されたエッセイは次のような書き出しで始まる。

**西アフリカのサヴァンナに雨季がちかづいた。昼のあいだ、みわたすかぎりの草原は、円錐形の草屋根の集落や、バオバブの木を点在させたまま、太陽の熱の下で息を殺している。蒸気の多くなった空には、雲が、地平線のあたりまで、遠近に応じて底面をそろえて浮かび、それぞれの影を草原の上におとしている。**(7頁)

個性的で魅力的な表現だ。同エッセイには次のような一文もある。

**四月は残酷な月だ、と詩人はうたったが、雨の到来とともにサヴァンナに生命が氾濫する瞬間には、目のくらむような重い興奮がある。最初のひと雨で、木の枝にも地面にも、エメラルドのみどりがよみがえる。**(10頁)

「風」というエッセイには次のような指摘も。

**私は、二十世紀前半までの西洋産業社会が達成したものを手本にした開発の思想や、近代西洋社会が生みだした技術や機械をそのままもちこんだ援助が、オート・ヴォルタの人々にとってもつ意義について、疑問をいだいてきた。(中略)これからまだ当分は国内生産ができず、輸入しなければ手に入らない大型の農業機械、とくに、先の見えている石油を燃料にして動く機械などを、先進国からのいわゆる援助によって大量に導入して行う「開発」とは逆向きの、内側からの向上に力をつくすべきだ。(中略)サヴァンナの住民の祖先の遺産を継承し発展させることができれば、それは住民の歴史意識にも、徐々に変化を及ぼさずにいないだろう。歴史の自覚は、植民地支配以来の、西洋文明至上主義を批判的に見る、第一のよりどころになるはずのものである。**(268、7頁)

この辺りに著者の主張が表現されている。外から無理やり花びらをひらかせるような外発的な働きかけではなく、内発的に花びらが開くのをサポートすることが必要だと説く。

このことは夏目漱石が「現代日本の開化」という講演(『私の個人主義』に収録されている)で指摘したことに通じる。

さて、次は何を読もうかな・・・。


 


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