(再)松本市神林寺家 神林公民館の近く 3脚66型 撮影日2022.07.29
■ この火の見櫓は2013年6月に既に観ているが、今日(29日)再訪して観察した。県道48号の寺家の信号から1.2kmほど北に入った所に立っている。
以前からどんな場所に立っているのか、周囲の状況について関心が無かったわけではないが、このことを意識した写真をあまり撮っていなかった。いきなり火の見櫓に焦点を当てていた。だが、火の見櫓は砂漠の中にポツンと立っているわけじゃない・・・(*1)。だから火の見櫓のある風景写真は必要だ。以前このことを豊科のカフェ・BWCLのオーナー(過去ログ)に指摘された。それからこのような写真を意識的に撮るようになった。オーナーに感謝。
上の写真で火の見櫓の右隣りは松本市消防団第13分団詰所
手元の資料「大橋鐵工所の火の見」によれば、この火の見櫓は1956年(昭和31年)に建設された。末広がりのフォルムが実に美しい。屋根と見張り台の大きさのバランスも良い。脚部の主材(柱材)も櫓部分から連続してなだらかにカーブしている。これらは全形に表れている同鐵工所の火の見櫓の特徴だ。
屋根頂部の避雷針の飾り、やや大きめの蕨手、見張り台の手すりの飾り、床面の開口部の形などにも大橋鐵工所の特徴が表れている。
外付け梯子から踊り場に入るための開口部の処理の仕方に注目。なんとなく開口部になったというのでなく、開口部をつくるというはっきりとした意図を感じる。
脚部のデザインも好ましい。櫓の荷重をきっちり支えているということが視覚的にも伝わってくる。
残念に思うのはメンテナンスが行われておらず、全体的に錆びていること、半鐘が撤去されてしまっていること。
*1 安部公房の『砂の女』(新潮文庫1981年)に出てくる火の見櫓は砂漠のようなところに立っていた、という記憶がある。確認してみると、**水平に仕切られた、空と砂・・・・・火の見櫓が入りこむ余地など、どこにもありはしない。**(141頁)という記述があった。