■ 今から30年近く前の信濃毎日新聞の特集記事「活断層を歩く」を保管している(*1)。
この記事にプルアパートベイズンの模式図が載っている。プルアパートベイズンって何? 記事に**横ずれ断層に付随して出来る盆地。横ずれ断層が一本の直線でなく、ステップしている場合、その間で伸張応力が生まれ、地盤が陥没して、盆地ができる(後略)。**と説明されている。これが諏訪盆地、諏訪湖の成因かもしれないとされているメカニズム。松本駅周辺の軟弱地盤域も同様、とのこと。
手元に「フォッサマグナ付近の地質図」があるが、それを見ると諏訪盆地で糸魚川―静岡構造線に中央構造線がぶつかっていることがよく分かる(赤く太い線)。日本列島を縦横に走る大断層がクロスしているところが諏訪、ということになる。中央構造線は諏訪から東へどのように走っているのかははっきり分からない。幅広のフォッサマグナに隠されてしまったのだろう。フォッサマグナの東の縁から先、関東では分かるようだが。この大きなふたつの断層の挙動が成したところが諏訪。
諏訪の特異な地形がこの地の古代からの人の営みに影響しているんじゃないかな、と思う。なんとなく。いや、諏訪湖に向かう大きな窪みの地に生きる人びとに心的な影響を与えたに違いない(*2)。
諏訪湖に向かう求心的な俯瞰的風景はこの地、諏訪湖を囲む斜面に生きる人びとに共通する。このことが諏訪の人びとの気持ちを束ね、それがこの地で連綿と続けられている神事、御柱のような大祭をはじめ、下記の学問も含めていろんなことを成す力になっているのではないか。
この説(眉唾な説か? 同様の説を唱えている人がいるかもしれないし、風景論で語られているかもしれない)がこの記事の結論でもある。
このことに関係するが、1月29日付信濃毎日新聞に次の見出しの記事が掲載されていた。諏訪湖の「御神渡り」の観察や記録が583年間も続けられているということを伝える記事だ。
「諏訪学」ということばがある。その定義をわたしは知らないが、諏訪で連綿と続く歴史や文化、民俗、宗教など(古代からの人の営みの諸相と括ってもよいのではないかと、わたしは思う)を扱う学問だろう。諏訪を研究する在野の研究者は少なくなく、諏訪を専門分野だけでなくいくつもの分野を縦横に論じている。
先日観た映画『鹿の国』では、諏訪の底知れない深さ、神秘さが映像化されていた。中でも御室で、古代から600年前まで行われていたという神事芸能の再現は白眉だろう。神事に登場していたのは諏訪の人たちだったという。
国道20号の標識(塩尻峠 岡谷地籍)グーグルSVより
映画で時々映し出された鹿の群れ。なぜ祭礼に鹿が欠かせないのか・・・・。ここにも深い意味があるのかもしれないが、わたしは、ただ単に諏訪に鹿が多いだけじゃないのかな、と思う。だから贄にもしたんじゃないのかな、って身も蓋もないか。
『日本文化の多重構造』で著者の佐々木高明氏は**狩りの獲物の血や肉や内臓の中に豊作をもたらす呪力が存在するという信仰**(196頁)が背景にあり、**古代の習俗は、少なくとも弥生時代初期にまで遡ることが可能であり、その基層には、稲作以前の狩猟民たちによる豊猟を祈願する狩祭りの伝統があったことは間違いないと考えられるのである。**(196頁)と指摘している。
毎年4月15日に行われる諏訪大社の御頭祭と呼ばれる神事で鹿の首(現在ははく製)が供えられる。その起源は一万年も前、縄文時代ということになるのだろう。
諏訪は深い。
写真提供:Beer&Cafe大麦小麦のFさん
■ 茅野にあるBeer&Cafe大麦小麦に映画『鹿の国』関連の書籍・資料コーナーが設けられていることをSNSで知った。映画のガイドブックはじめ読みたいものがある。映画でリフレインされたミシャグジとは・・・。
週末のカフェは忙しいだろうと、27日(月)に出かけた。まず手にしたのは『鹿の国』のガイドブック。充実の内容にびっくり。食事を済ませてガイドブックを読み始め、何とか読み終えたが、『中世の諏訪を見つめる』などを読む時間はなかった。次回読むことにしよう。
大麦小麦は居心地がよく、いつも長居をしてしまう。この日も開店時刻の12時過ぎから夕方4時まで過ごした。
『諏訪学』山本ひろ子(国書刊行会2018年)も読みたいが、版元で品切れのようだ。入手できるかな。
ガイドブックを読んで思った。やはり諏訪は深い。底がないほど深い。
*1 連載記事だが、保管しているのはこの日の記事のみ。
*2 『透層する建築』(青土社2000年)伊東豊雄さんはこの分厚い本に収録されている「諏訪湖博物館・赤彦記念館」についての小論「湖に捧ぐ」で次のように書いている。
**冬の訪れを告げる朝もやが湖面に立ち込めるころ、早朝の湖面すれすれに水平の虹を見た記憶がある。地の人びとはこの虹のことを「水平虹」と呼んでいた。年に一度か二度、それも朝の一瞬にしか見られないこの自然現象は神々しくさえ思われたが、この建築の設計で敷地を訪れ、湖を眺めるたびに、いつもふと思い出されるのは湖面に長く尾をひくこの虹のことであった。あれほどに淡い現象的形態に建築を到達させたいという想いは、容易に消え去ることはないだろう。(281頁)** (下線はわたしが引いた)
伊東さんはこの小論で**すべての視線は湖にいつも向けられていた。(中略)背後の山を振り返ることは滅多になかった。**(280頁)と書いている。