透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

映画「小さいおうち」を観た

2014-02-23 | E 週末には映画を観よう

 山田洋次監督によって映画化された中島京子の直木賞受賞作『小さいおうち』をようやく観ることができた。

私の関心は帯の柄のこと(→過去ログ)。松たか子演ずる奥さんが玩具会社に勤める夫の部下でデザイナーの板倉(吉岡秀隆)に惹かれて不倫関係になるが、そのことに女中のタキさん(黒木華)が、帯の柄で気がつくというくだり。

出かける時は右側にあった帯の一本独鈷の柄が板倉の下宿を訪ねて帰って来た時は左側にあったというのだ。それでタキさんは奥さんが板倉のところで帯を解いたことに気がつくというわけ。

でも柄が左右にずれる、そんなことがあり得るのだろうかと疑問だったが、どうやら帯の裏表が同じ柄でそうなったということのようだ。帰って来た奥さんが部屋で帯を解くシーンがあるが、そこでこのことが分かる。だが、このとき胴に巻いた帯の柄も上下にずれるのでは・・・。映画ではこのことを見逃して確認できなかった。

この映画ではいろんなことが説明的だった。奥さんが板倉に惹かれていることが観ていてすぐ分かるし、板倉もまた奥さんが好きなことも分かる。説明的な表現をしないと内容を理解してもらえないということなのかもしれないが、細かな描写で表現してもよかったのでは、と感じた。

昔観た映画では、何のことなのか、何を表現しているのかよく分からないことがあった。今の映画は総じて分かりやすくなったような気がする。

帯の柄のことは原作に忠実に描いているが、お太鼓の柄が上下に少しずれるということなら締め方であるだろうから、そのことに気がつくということにすればよかったのでは。帯を締めてからタキさんに見てもらっていたということにしていれば、柄の少しのズレにも気がつくだろうから。

原作でも映画でもなぜだろうと考えさせるのは、奥さんが板倉に渡すようにタキさんに託した手紙のことだ。「なぜタキさんは板倉に奥さんの手紙を渡さなかったのか」  タキさんも板倉のことが好きだったから、というのが私の見方だ。

戦争によって不本意な生き方を強いられた人たちの不幸を描いた映画、と解釈しておこう・・・。


 


成熟社会に相応しい施設

2014-02-23 | A あれこれ

■ 『建築ジャーナル』という月刊誌があるが、その2月号(最新号)と1月号に「新国立競技場案を考える」という特集が組まれた。

国際コンペの当選案、いや新国立競技場のプログラムそのものに問題ありと指摘する建築家・槇文彦氏の論考「新国立競技場を神宮外苑の歴史的文脈の中で考える」に多くの人が関心を持ち、一般紙にも取り上げられた。論考の中で槇氏はオリンピック後の維持管理や収支見通しなどについても、広く説明する責任があるという指摘もしている。過去ログ→こちら

槇氏の論文が掲載された冊子→こちら


新国立競技場案に対する関心の高まりを受けて、『建築ジャーナル』で特集が組まれたのだろう。2月号に「後世に負の遺産を与えてはならない 新国立競技場は50年先を見越したプランになっているのか」と題する沖塩荘一郎氏の論考が掲載された。

FM(ファシリティマネジメント)に詳しい沖塩氏は新国立競技場の寿命について、地球環境を考えて100年以上は良好な状態を保ちたいとし、その上で施設のLCC(ライフサイクルコスト)を過去の事例を参考に実証的に検討している。それによるとLCCは50年で初期投資の4倍、100年で7~8倍は予想しておく必要があると考えられるそうだ。

当初予算が1300億円とされていた新競技場だが、実現には3000億円必要との試算が示された。その後規模の縮小などで約1700億円まで落とされたが、維持・更新費、運用費に50年でその4倍かかるなら6800億円、100年で1兆1900億円~1兆3600億円!となる。これが沖塩氏が危惧する負の遺産か・・・。

いけいけどんどんな経済成長期の発想ではダメ、あり得ないということだろう。

成熟社会に相応しい施設や省エネのあり方を世界に示すという絶好の機会を東京は、日本は放棄してしまったのか・・・。


 国際コンペの審査員を務めた建築家・内藤廣氏のコメントはこちら


当選案(当初案)

この中で内藤氏は**わたし自身は、どうせやるのなら、この建物に合わせて東京を都市改造する、くらいの臨み方がよいと思っています。**と書いている。ということは、東京をエイリアンのような都市に変貌させていこうということ・・・? 

いや、これは世界に示すべき環境配慮型の未来都市の姿なのかも。