透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

572 こんなところに!?

2015-09-21 | A 火の見櫓っておもしろい




572 撮影日150920

 前稿に載せた火の見櫓を見た後、「藤尾覚音寺」の案内標識を見て行ってみることにした。山の中の細い道を慎重に走ること数キロ、小さな寺に着いた。

車を停めて周りをよく見ると・・・、火の見櫓が立っていた!網羅的に火の見櫓をマッピングするとしてもこんな所のものは見落とされてしまいそうだ。

意を決して近づいてみると、梵鐘タイプの半鐘が吊り下げてあるし、それ程古くもない消防信号板も設置してある。スピーカーも付けてある。

近くに廃屋が数軒あった。こんな立地と化した火の見櫓を見たのは初めて。


 


571 大町市八坂の火の見櫓

2015-09-21 | A 火の見櫓っておもしろい


571

 撮影日150920

 扇沢から引き返して八坂の明日香荘に向かう途中、脇道を入った集落内でこの火の見櫓に遭遇。

簡易な火の見櫓。3角形の櫓の1構面が梯子になっていて、残りの2構面にブレースを3段設置している。1番上の段だけ、輪っか(リング式ターンバックル)付き丸鋼ブレースで下2段は平鋼ブレース。上段が平鋼ブレースで下段が輪っか付き丸鋼ブレースというタイプはときどき見かけるが、このように逆のタイプはおそらく初めて。

このようなタイプだと建て方の際に生じる櫓の歪みの修正がうまくできるのかどうか・・・。もっとも総高7m程度の低い櫓だから、修正を要するほど歪まないのかもしれない。とすれば、リング式ターンバックルは単なる飾りに過ぎないのだろう。

近所の人たちが火の見櫓の立つ集会所の庭の草刈りをしていた。





半鐘の上に小さな切妻屋根が架かるのみ。モーターサイレンも取り付けてある。草刈りをしている人に今もこの半鐘を叩いているのか、訊けばよかった・・・。



消防信号板が脚元と見張り台に取り付けてある。見張り台の消防信号板が外側を向いている。これでは半鐘を叩く時に見ることができない。この様子から半鐘は叩いていないように思われる。


 


黒部ダムカレー12

2015-09-20 | F ダムカレー

  

 今日(20日)は黒部ダムのレストハウスでカレーを食べてこようと出かけた・・・。黒部ダムへは扇沢駅から関電トンネルをトローリーバスで抜けて行く。自宅かた2時間とはかからない。

シルバーウィーク2日目の今日、扇沢駅の駐車場は満車。引き返してシャトルバスを利用しようにもやはり駐車場は満車。やむなく今回はあきらめた。これから始まる紅葉シーズン、週末に黒部ダムに出かけるのは無理かも・・・。

で、予定を変更して八坂(旧八坂村)の明日香荘へ。ここの黒部ダムカレーの遊覧船ガルベは陸に上がっていた。何だ・・・? ナンだ!と思いきや、メニューカードにこんがり灰焼きおやきの皮とあった。自分で着水させて、ということだ。

直径約30cmの皿、ダム湖はもう少し水量、いやルーの量が多くてもよい。ダムの下流側にはひと口カツとサニーレタスにキャベツ。それから素揚げのカボチャとニンジン。

もう少し辛くてもいいよね、とは同行者Mの弁。 1,000円(税込) これで12店舗、あと8店舗。


 


朝の野鳥観察

2015-09-20 | D キミの名は?


撮影日 150920 朝6時半頃

 この頃、隣家の柿の木にまた野鳥がやってくるようになり、朝、リビングの窓を開けていると鳴き声がよく聞こえてきます。朝はもう寒いくらいですが、新鮮な外気を取り込むために窓を開けているのです。

夏の間中断していたリビングからの野鳥観察を始めます。観察といっても10分たらずの短い時間ですが。今朝はこの柿の木に馴染みの野鳥、ヒヨドリが数羽飛来していました。

ヒヨドリは繰り返し何回も観察しているので、遠くからでも分かるようになりました。 

この木も一部紅葉が始まっています。まもなく「紅葉と野鳥」を撮ることができると思います。


 


「地図から読む江戸時代」

2015-09-19 | A 読書日記



 12日(土曜日)の早朝、24時間営業の書店で『地図から読む江戸時代』上杉和央/ちくま新書を買い求め、いつも利用する松本6時51分発のスーパーあずさで東京に向かった。

車内販売のコーヒーを飲みながらの読書は至福の時。 火の見櫓が気になって窓外に時々目をやりながら読んだ。

都内では神社巡りの合間にカフェで休憩しながら読み、2日間で読み終えた。

江戸時代の日本地図と聞くと伊能忠敬の正確な地図がまず浮かぶ。江戸時代の日本地図の到達点と言ってもいいかもしれない。伊能図に到達するまでの過程では様々な姿の日本が示された。

地理的な空間認識を表現する地図は時代と共に変化してきたことを改めて本書で確認する。

**江戸時代は大きく「行基式日本図の時代」「流宣日本図の時代」「赤水日本図の時代」という三つの波で時期区分することができる。僧侶(ないし菩薩)たる行基、絵師たる流宣、学者たる赤水と、地図に関する人物だけを追ってみても、その波の特徴がおおよそ摑めて面白い。
ただ、それは単に面白いだけではない。地図は地図だけで存在するのではなく、作者があり読者があっての地図であるということ、ひいては地図は人々の生きた社会や文化と遊離した存在ではなく、それらと密接に関係した存在であるということを、改めて教えてくれるものである。**(221頁)

少し引用が長くなったが、このくだりが本書の要点だろう。

古い時代の「正確ではない」地図がいくつも載っているが、それらは皆なかなか味わい深い。


石川流宣  長久保赤水


570 火の見櫓のある風景

2015-09-18 | A 火の見櫓っておもしろい


570 瓦葺き屋根の向こうは木崎湖  撮影日150916 

■ 大町市内で所用を済ませ、昼食に黒部ダムカレーを食べようと「ゆ~ぷる木崎湖」へ。そこでこの火の見櫓に遭遇した。

落下防止ケージ付きの外付け梯子は大町市内の火の見櫓の標準仕様。

残念ながら痛みが激しく、屋根の半分が無くなっていて骨組みがむき出しになっている。半鐘も無ければ、スピーカーも無い。既に使わなくなっているのだろう。撤去される日も遠くないような気がする・・・。

火の見櫓があると、なぜか魅力的な風景に。いつの日か火の見櫓が消えて、特にこれと言った特徴の無い風景に変わってしまうのだろう・・・。


 


富賀岡八幡宮(江東区南砂)

2015-09-18 | C 狛犬



 東西線の木場駅から2駅目の南砂町駅で下車。目指す富賀岡神社は駅から徒歩で10分くらいのところにある。前日(12日)に約17,000歩も歩いているので、ちょっとしんどかった(歳かな・・・)。

それ程規模が大きくない神社だった。このくらいの規模だと日常生活に密着している、と感じる。



参道の両側に狛犬、正面に拝殿。参道脇に設置された案内板にこの神社の由緒が記されていた。

御祭神:応神天皇(誉田別皇)、比売大神、宇迦之御魂大神 外五柱  創立が794年とある。古い神社だ。














  

特に個性的でもない、ごく普通の狛犬とみた。 ともに台座が少し傾いているのが気になった。



富士塚(江東区指定有形民俗文化財) 富士塚に登ることによって富士山に登るのと同じ功徳がある、とされていた。

 説明板によるとこの富士塚は天保4年(1833年)までに、富士講のひとつ山吉講によってつくられたという。また、説明板には富士講は江戸時代後半に広まって「江戸八百八講」と称されたとある。この富士塚には頂上に向かう登山口が3つつくってあるとのこと。正面の登山口がこの写真に写っている。塚の斜面にいくつもの富士講碑が祀られている。


富士塚は拝殿の裏側にあった。見落とすところだった・・・。


洲崎神社(江東区木場)

2015-09-17 | C 狛犬

 地下鉄東西線の門前仲町駅から隣の木場駅へ。駅から洲崎神社までは徒歩で数分。


鳥居


拝殿

御祭神は市杵島比売命(いちきしまひめのみこと)。







台座がピンク色に塗装されていて、狛犬の建立年などの情報を読みとることはできなかった・・・。なかなか姿形の整った美しい狛犬だ。


 


富岡八幡宮(江東区富岡)

2015-09-17 | C 狛犬

 12日の夜は大学の研究室のOB会で遅くまで飲んだ。だが、翌13日は朝7時前にホテルをチェックアウトして、東西線沿線の神社3社(江東区)を廻った。門前仲町駅で下車、徒歩で5、6分で富岡八幡宮に到着した。


鎮守の杜


大鳥居


御本殿 御祭神は 応神天皇(誉田別命) 外8柱。

この日は朝から骨董市が行われていて、参道の両側にいくつも店が出ていた。







向かって左側の狛犬の頭のてっぺんが窪んでいる。時々この穴を見る。角や宝珠を差し込むための穴という説もあるようだが、何もパーツを分けなくても頭と一体に彫ることが難なくできるはずだから、別の理由があるに違いない。灯明用の窪みという説もあるようだ。 真相やいかに・・・。



真横から見ると犬だな。未知のものを形にすることは難しい。どうしても既知のものに似せてしまう。



享保十二丁未歳(1727年、ひのとひつじ)八月十四日  これは古い部類の狛犬だろう。


 


善國寺(神楽坂)

2015-09-17 | C 狛犬

 神楽坂にある日蓮宗のお寺。地元では毘沙門様と呼ばれている。毘沙門天は、天の四方のうち北を守るインドの神様で、多くの願いを叶えてくれる多聞天。トラの化身とされており、通常の狛犬もかわりにトラの像が安置されている。山の手七福神のひとつ。(神楽坂ガイドマップの説明文から抜粋)





    













12日は赤坂氷川神社、神田明神、市谷亀ヶ岡八幡宮、東京大神宮(富士見)、善國寺(神楽坂)と巡った。 


東京大神宮(千代田区富士見)

2015-09-17 | A あれこれ

 JR線の飯田橋駅から徒歩7、8分で東京大神宮に着いた。この神社は恋のパワースポット。







良縁を求めて若い女性たちが大勢お参りに訪れていました。 中年おじさんには場違いな雰囲気。それでも列に並んでお参りをして、御朱印をいただいてきました。

新たな出会いが皆さんにあるかもしれませんね。




 


市谷亀ヶ岡八幡宮

2015-09-17 | C 狛犬



 神田明神から市谷亀ヶ岡八幡宮へ。太田道灌が江戸城の鎮守として文明10年(1478年)に、鎌倉の鶴岡八幡宮を勧請したのがはじめ、とのこと。で、鶴岡に対し亀ヶ岡。御祭神は応神天皇・神功皇后・与登比売命。寛永年間に市谷御門内からに現在の地に移転したそうだ。

JR市ヶ谷駅から徒歩で5分ほど、ビルの谷間の通りの先に階段!。 この急な階段を上っていくと鳥居があって、その手前に一対の狛犬が居た。









定義がよく分からないが、狛犬マニアはこのような古い狛犬を「はじめちゃん」と呼ぶようだ。




鳥居の先に拝殿が見えている。その手前、参道の両側にまた一対の狛犬が居た。

















 


神田明神

2015-09-16 | C 狛犬



 赤坂氷川神社の次は神田明神。 千代田線の新御茶ノ水駅から徒歩でおよそ5分で鳥居の前に到着。





御社殿




御社殿の前の大柄な狛犬。










ゴールデンコンビ、酒井八右衛門と野村保太郎の作 昭和8年5月建立




獅子山の獅子


 


黒部ダムカレー11

2015-09-16 | F ダムカレー



 所用にて大町へ。 昼食はもちろん黒部ダムカレー。今回は木崎湖のすぐ近くの「食彩工房麗句味遊 ゆ~ぷる木崎湖」。

直径約30cmの円い皿に盛り付けられたカツカレー。ごはん堰堤の曲率は小さい。ごはん使用量は350g(多すぎるのでは 250?)。カレールーのダム湖に浮かぶ遊覧船ガルベは蒸かしたサツマイモを船の形にカット、旗を立てている。ダム下に隣村白馬の豚のカツ。

家庭の味のカレー、といったところ。美味だった。 1,000円(税込)


さて、次なるターゲット店は、「黒部ダムレストハウス」「扇沢レストハウス」


赤坂氷川神社再訪

2015-09-15 | C 狛犬

 今月の12、13両日、東京してきました。で、一寺七社を訪ねてきましたので、本稿から各寺社の狛犬を紹介していきます。

まずは、赤坂氷川神社。この7月に訪ねて5対の狛犬を見ましたが、あと2対あることが分かりましたので再訪してきました。

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通常、向かって右側が阿形で、口を開けているのですが、この狛犬は逆で右が吽形です。大きな木の枝が顔面に当たっています。もっと根元から枝を切り落としてやればいいものを、どうしたことでしょう。氏子の皆さんのいたずら心からでしょうかね。「どうだ、狛公、まいったか」とかなんとか。吽形ですから歯をくいしばってじっと耐えているようにも見えます。






昭和12年(1937年)9月建立 石匠 長田 弘


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しばらく進んで行くと次にこの狛犬が聖域をガードしています。











彫刻 須藤音吉 御大典紀念 大正4年11月吉辰


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獅子山と獅子 子獅子2匹







吽形の獅子







明治15年(1882年)6月建立

獅子山には子獅子も必ずいる。


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弘化3年(1846年)建立


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文政八乙酉歳三月吉日

前回見落としていた狛犬 境内社 稲荷神社 阿吽が逆。




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獅子というより豚。延宝3年(1675年)6月 建立


   

狛犬巡りの楽しみのひとつは顔の表情観察。 この狛犬はユーモラス。


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前回見落としていた狛犬はいったいどこに・・・。参道狛犬というからには参道にいるはず、と探して最後に見つけた。



西行稲荷の参道にいた狛犬は原形を留めていない。



事前の調べをしていなかったから、この姿でよく気がついたと思う。



建立年は不明。 辛うじて鬣(たてがみ)が確認できる。

今回は7対全て見ることができた。