透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

久しぶりのヤグ活 1/3

2024-07-11 | A 火の見櫓っておもしろい

 昨日(10日)、久しぶりにヤグ活をした。群馬の火の見ヤグラー・長井さんと彼の弟さんを案内、20基をノルマに北は大町市美麻から南は辰野町まで終日櫓めぐりをした。午後の降雨で夕方早めに切り上げたが、29基見ることができた。その内初見はNo.8の1基。以下、観察順に3回に分けて全形写真を1カットずつ載せていく。


1 安曇野市明科七貴



2 北安曇郡池田町



3 大町市 竈神社の太鼓櫓(火の見櫓の用途ではない)



4 大町市三日町



5 大町市美麻 僕を火の見沼に誘い込んだ罪な木造櫓(2012年に現在の場所に移設された)。



6 大町市常盤



7 大町市常盤



8 1512 大町市常盤 



9 北安曇郡松川村



10 北安曇郡松川村


 


「散華 紫式部の生涯」杉本苑子

2024-07-08 | A 読書日記

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『散華 紫式部の生涯 上』杉本苑子(中央公論社1991年図書館本)

 毎週月曜日と木曜日の午前中、9時半ころから10時半ころまでなぎさライフサイトのスタバで朝カフェ読書をするのが私の日々の生活での1週間単位のルーティン(routine)。今朝(8日)は『散華』上巻を読んだ。『源氏物語』の作者・紫式部の生涯を描いた小説と知り、読んでみようと思った。で、図書館で借りてきて、読み始めた。

登場人物が多い。「藤原為頼・為時略系図」「藤原文範関係略系図」「藤原義懐略系図」というように示されてはいるが・・・。『源氏物語』(現代語訳)を読んだ時と同じように、これらの系図を参照しながら読む。

読み始めて感じたことをどう例えよう。そう、出航前の客船に次々乗客が乗り込んでくる様を描いているかのよう。やがて出航し、航海するだろう。どんな航海なのか・・・。平穏な航海ではないだろうと予想する。

下巻の目次を見ると「越前国府」から始まっている。主人公の小市(紫式部、大河ドラマではまひろ)が『源氏物語』を書きはじめるのは下巻になってから、と分かる。下巻の第6章は「宇治十帖」。下巻を楽しみに読み進めよう。

読み始めたばかりだけれど、この小説をスタバで顔見知りの店員さんに薦めた。彼女はぼくと同じで、角田光代訳の『源氏物語』を読んだと聞いているので。


 


「第四間氷期」を読む

2024-07-04 | A 読書日記


 マイクル・クライトン(マイケル・クライトン)は『ジュラシック・パーク』(ハヤカワ文庫)で、琥珀に閉じ込められた蚊の体内に残っていた血液から抽出したDNAをスーパーコンピューターで解析、複雑な作業を経て恐竜をよみがえらせるというアイデアを提示した。


また、安部公房は『第四間氷期』(新潮文庫1970年11月10日発行、1971年3月10日2刷)で、胎児は生命の進化の過程を再現する(*1)ということから、水棲哺乳類、水棲人間を誕生させた。

**御存知のように、個体発生は系統発生を繰返すものです。厳密に言えば、祖先の形をそのまま繰返すわけではないのですが、ともかく基本的な対応関係をもっている。そこで、その発生的段階において、なんらかの手を加えてやれば、その生物を系統発生から引離し、まったく新しい種にしてやることもできるわけだ。**(141頁)作品中には鰓呼吸する水棲哺乳類、水棲人間の育成プロセスの詳細な記述がある。

安部公房の『第四間氷期』はサスペンス的な要素もあるSF。安部公房の想像力の凄さに感動すら覚えた。

太平洋海底火山群の活発化等による海面上昇で**ヨーロッパはまず全滅、アメリカにしても、ロッキー山脈をのぞけば完全に全滅だし、日本なんか、先生、山だらけの小島がぽつんぽつんと、五つ六つ残るだけだというんですからなあ・・・・・。**(231頁)

こんな未来予測にどう対応するか。水棲人、海中で生存できる人間に未来を託そうとする研究者たち・・・。安部公房がこの作品を発表したのは1959年(昭和34年)、テーマは古くなるどころか、今なお、極めて現代的だ。

3月から安部公房の作品を通読しているが、感じるのは論理的で緻密な思考。『第四間氷期』でもこのことを感じた。展開されるストーリーは説得力があってリアル。荒唐無稽な印象は全くない。ラストの紹介は省略するが、なんとも印象的でかなり上空から海面を俯瞰する映画のラストシーンのよう。



*2 **胎児たちは、あたかも生命の誕生とその進化の筋書きを諳んじているかのごとく、悠久のドラマを瞬時の〝パントマイム〟に凝縮させ、みずから激しく変身しつつこれを演じてみせる。**と『胎児の世界』(中公新書)の著者、三木成夫氏はまえがきに書いている。


手元にある安部公房の作品リスト

新潮文庫23冊 (文庫発行順 戯曲作品は手元にない。2024年3月以降に再読した作品を赤色表示する。*印の5作品は絶版)

今年(2024年)中に読み終えるという計画でスタートした安部公房作品再読。7月4日現在13冊読了。残り10冊。


『他人の顔』1968年12月
『壁』1969年5月
『けものたちは故郷をめざす』1970年5月
『飢餓同盟』1970年9月
『第四間氷期』1970年11月

『水中都市・デンドロカカリヤ』1973年7月
『無関係な死・時の壁』1974年5月
『R62号の発明・鉛の卵』1974年8月
『石の眼』1975年1月*
『終りし道の標べに』1975年8月*

『人間そっくり』1976年4月
『夢の逃亡』1977年10月*
『燃えつきた地図』1980年1月
『砂の女』1981年2月
『箱男』1982年10月

『密会』1983年5月
『笑う月』1984年7月
『カーブの向う・ユープケッチャ』1988年12月*
『方舟さくら丸』1990年10月
『死に急ぐ鯨たち』1991年1月*

『カンガルー・ノート』1995年2月
『飛ぶ男』2024年3月
『(霊媒の話より)題未定 安部公房初期短編集』2024年4月


二八会のカレー大作戦

2024-07-02 | A あれこれ


 我が村で昨年始まったカレー大作戦に二八会は今年も参加することにした。今月(7月)から村内各所で順次開催されるカレー大作戦、今年は全10回。そのトップ、7月20日の第1回を二八会が担当する。

昨夕(1日)その打合せ会という名目の飲み会があった。いや、実際に社会福祉協議会の担当者から説明を受けた。昨年は炊きあがったご飯の提供など社協のサポートをかなり受けたが、今年は基本的に全て自分たちで準備することに。配布された資料に**調理の全てをお任せします。**とある。

会場も昨年とは違う。調理室の下見、調理器具の準備も必要になる・・・。当日の受付・会計や配布も手際よくしないと混乱する。

カレーライスを提供する分とスタッフ分とを合わせて120食くらいつくることになるが食材の必要量は? 目安が資料に示されている。米7升(10.5kg)、豚肉5kg、タマネギ8kg、ジャガイモ4.5kg・・・。去年はケチャップや隠し味(?)でチョコレートも使った。

必要な食材の大半を昨年は寄付で賄うことができた。今年も村内外の人たちの寄付や二八会の仲間が持ち寄って賄うことになる。




昨年(2023年)の様子 約100食を20分程で完売した(子ども無料、大人300円)。

昨年のカレー大作戦で印象的だったのは、調理する時のみんなの真剣な表情。飲み会の時の顔とは大違い。実に頼もしく見えた。手際よく調理するおじ(い)さんたちの様子にサポートスタッフの女性たちもびっくりしたという。まあ、今年もみんなでやればなんとかなるだろう。

**二八会有志の皆さんが声をかけ合い、楽しそうにカレーを調理する姿は、とても心強いです。(中略)今まで職業人として培った経験とチカラを子ども食堂運営に貸して下さい。(後略)** これは配布資料に記されていた社協担当者のメッセージ。そう、昨年同様、みんなで楽しくやろう。


 


「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」を読む

2024-07-02 | A 読書日記

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『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』三宅香帆(集英社新書 2024年4月22日第1刷発行、5月19日第3刷発行)を読んだ。この本は今ベストセラーになっているそうだ(6月22日付日経新聞読書(書評)面ほか)。

著者の三宅さんは本が読めなかったから、会社を辞めたとのこと。本の虫。**好きな本をたくさん買うために、就職したようなもの**(14頁)とまで言う三宅さん。

本も読めない働き方が普通の社会っておかしくないか、という問題意識から明治以降の読書の歴史を労働との関係から紐解き、読書の通史として示している。読書史と労働史を併置し、どうすれば労働と読書が両立する社会をつくることができるか、を論じている。

本書の終盤のなぜ本は読めなくてもインターネットはできるのか、という論考は興味深い。三宅さんは本は知りたいことだけでなく、「ノイズ」も含まれている、インターネットの情報はノイズが除去されていて、知りたいことだけ提供されてると指摘し、次のようにまとめている。**読書は欲しい情報以外の文脈やシーンや展開そのものを手に入れるには向いているが、一方で欲しい情報そのものを手に入れるに手軽さや速さではインターネットに勝てない。**(207頁)


『映画を早送りで観る人たち』稲田豊史(光文社新書2023年 過去ログ

映画を早送りで観る人たちが話題になったことも本書で取り上げられている。映画を鑑賞モードではなく、情報収集モードで見る人たち。効率よく情報を得るのに、ノイズ混じりの読書は不向きだ。ノイズのない情報をいかに効率よく収集するか、現在の労働社会では情報収集の効率性が求められる。だから読書ではなくインターネット、という図式。

**本が読めない状況とは、新しい文脈をつくる余裕がない、ということだ。自分から離れたところにある文脈を、ノイズだと思ってしまう。そのノイズを頭に入れる余裕がない。自分に関係のあるものばかりを求めてしまう。それは余裕のなさゆえである。だから私たちは、働いていると、本が読めない。**(234頁)

だが、自分とは異なる価値観、自分には関係がないと感じる知識、ノイズこそ大切だ、と三宅さんは説く。**他者を人生に引き込みながら、人は生きていかなくてはならない。**(230頁)のだから。他者を自分の人生に引き込むとは、自分とは関係ないと思われるノイズを排除しないで受け入れること。

それを可能にするために三宅さんは全身全霊をやめよう、全身労働社会から半身労働社会、分かりやすく言えば働きながら本を読める社会への転換を提言する。

「『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』ってどんなことが書かれた本ですか?」とKちゃんに問われれば(Kちゃんでなくても)、「要するにワーク・ライフ・バランスを最適化しましょう、と説いた本」とぼくは答える。「読書好きな著者の三宅さんはワーク・ライフ・バランスのライフを読書に代表させて「仕事と読書の調和」の必要性を説いている。これを個人の問題に帰着させてしまうのではなく、働き方と関係づけて論じたところがミソかな」と。そして、「巻末に示されている参考文献は10頁にも及ぶ。このような多くの文献をベースに分かりやすく論じているところも本書の魅力」と付け加える。