透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

佐久市内山の火の見櫓

2024-10-07 | A 火の見櫓っておもしろい


国道254号沿いの小高い場所に立つ火の見櫓

2022年7月8日。群馬からの帰路、下仁田町から佐久市入りして、ここを通過した(左手前から右奥へ)。その時、この火の見櫓にやぐらセンサーが反応したが、疲れてもいてスルーしていた。

今年4月2日、ヤグ活で近くまで行ったものの、この火の見櫓のことをうっかり忘れていた。加齢に伴う脳の劣化が原因か・・・。今回は出かける前からこの火の見櫓だけはどうしても見なければ、と思っていた。


1517 佐久市内山 444型たばね脚 2024.10.05

東信地域では44〇型が多く、この火の見櫓のような444型は少ない(1割弱)。たばね脚(写真では分からないが)は多く、6割を占めている。赤色灯がついている。東信では多いと思う。


屋根と見張り台の分類は未だ考え中。


簡素なつくりの踊り場

櫓の交叉ブレースが一番上だけ平鋼で、あとはリング付きの丸鋼でつくられている。今回は消防信号板に目が行く。


 


佐久市平賀の火の見櫓

2024-10-07 | A 火の見櫓っておもしろい

 既に群馬県で2022年7月と同年8月に火の見櫓めぐりをしている。前稿に書いたが、今月5日に消防信号板を届けるために高崎市倉賀野町まで日帰りで出かけてきた。高速道路を使わなかったのは途中でミニヤグ活をしたかったから。

佐久市から国道254号で群馬入り、下仁田町から富岡市、甘楽(かんら)町を通って高崎市入りした。朝6時30分に自宅を出発して、嫁ぎ先の洋菓子屋さんに到着したのは11時20分ころだった。158kmの距離をおよそ5時間で走行したことになる。

東信地域では佐久市が火の見櫓の数が最も多い(*1)。市内を走行中に何基か目に入ったが、ヤグ活をしていると目的へ到着するのが遅くなったしまう。ぐっとこらえて、2基だけ観た。


1516 佐久市平賀 444型複合脚(正面たばね脚、残りの面交叉ブレース囲い) 2024.10.05






櫓の下半分は緑化されていて、様子がよく分からない。使われなくなってだいぶ経っていることが分かる。全形が見える状態で管理されていればうれしいが・・・。


*1 堀川雅敏さん作成の「長野県市町村別火の見櫓分布図」(『松本の本 第2号』2020年度版(想雲堂発行)による)



良縁を得て

2024-10-06 | A 火の見櫓っておもしろい

 
嫁ぐ日の朝、リビングにて撮影       無事、イケメン火の見君のお父さんに手渡すことができました。
 
 何年か前に長野県の山形村で解体された火の見櫓に設置されていた消防信号板を、村の担当課の許可を得て入手しました。

自室に飾っていましたが、この度縁あって、群馬県高崎市倉賀野町にある洋菓子屋さんのところに移設設置された火の見櫓と一緒に暮らすことになりました。ハロウィンが近づいていますので、半鐘は白い布を身にまとい、お化けに仮装しています。

昨日(10.05)、届けてきました。届け先まで自宅からおよそ150kmの距離がありますが、行きも帰りも高速道路を使わず、一般道を走りました。途中、沼らない程度にヤグ活をしたかったからです。

群馬のヤグラーさんに案内していただき、高崎市内の火の見櫓を見ることができました。忙しいのに、案内していただいたお店と火の見櫓のオーナー・長井さんに感謝します。ありがとうございました。

往路復路でも数は多くはないですが火の見櫓を見てきました。次稿から紹介していきます。
 

ブックレビュー 2024.09

2024-10-03 | A ブックレビュー

 
 精読派と多読派のどちらか問われれば多読派だと答える。じっくり時間をかけて1冊の本を丁寧に読む、という楽しみも味わいたいとは思うが、読みたい本が次から次へと出てきて、そのような読書ができない。9月の読了本は5冊、小説は安部公房の短編集1冊だけだった。

『城の日本史』内藤 昌  編著(講談社学術文庫 2011年8月10日第1刷、2020年9月23日第4刷)
色んなことは覚えられないから、天守の外観的な特徴は望楼型層塔型に大別され、構法は井楼式通柱構法互入式通し柱構法に大別されることを覚えておきたい。一般的に望楼型は井楼式通柱構法によって成立し、層塔型は互入式通し柱構法によって成立する。これには例外もあって、松本城の外観は層塔型だが(これは、別の本も読んだ私の解釈)、構法は井楼式通柱構法。井楼:せいろう

『経済学者たちの日米開戦 秋丸機関「幻の報告書」の謎を解く』牧野邦昭(新潮選書2018年5月25日発行、2021年12月25日13刷)
「なぜ日本の指導者たちは、正確な情報に接する機会があったのに、アメリカ、イギリスと戦争することを選んでしまったのか」という謎。著者は数多くの史料を丹念に読み込み、行動経済学のプロスペクト理論と社会心理学の集団意思決定の集団極化の理論という現代の知見によってこの謎を解き明かす。難しい内容だが、明快な論理展開で読みやすかった。

『日本列島はすごい 水・森林・黄金を生んだ大地』伊藤  孝(中公新書2024年)
地学に関する内容で、芭蕉の俳句も田中角栄の「日本列島改造論」も登場する。なるほど、確かに地学に関係する。掲載されている数多くの図が、記述内容の理解を助けてくれる。

『R62号の発明・鉛の卵』安部公房(新潮文庫1974年8月25日発行、1993年2月15日24刷)
「鉛の卵」は1957年(昭和32年)に発表された作品。冬眠器の故障で80万年後に目を覚ました男の話。携帯無線電話が出て来て、びっくり。収録されている短編12編を通しで読んで、安部公房の発想の豊かさに驚かされた。

『水が消えた大河で ルポJR東日本・信濃川不正取水事件』三浦英之(集英社文庫2019年)
9月12日の記事の一部を加筆して再掲する。

JR東日本によって行われていた信じられないような不正が詳細に綴られていた。加えて生態系への深刻な影響も。信濃川の中流域には東京電力とJR東日本の取水ダムと発電所がそれぞれ別々にあって(東京電力:西大滝ダム 長野県飯山市 JR東日本:宮中ダム 新潟県十日町市)、ダムで取水された水は発電所までの間に落差をかせぐために延々と地下トンネルを流れる。その間、両者合わせて63.5kmは信濃川にはごく少量の水しか流れない。

**清流魚であるヤマメは二〇℃を超えるとエサを食べない。冷水性のカジカやアユは二五℃以上では生きていけない。**(31頁) 信濃川を流れる水量が上記の理由で極端に減り、流速も遅くなって水温が上昇、**魚が死に、流域周辺の井戸が枯れ、人びとが心の拠り所としてきた雄大な大河の風景が姿を消した。**(33頁)という。

このような事態を招いた東日本の不正を三浦さんは多くの関係者に取材をして厳しく追及していく・・・。

**「あなた方は毎秒三一七トンの水を抜いていおて、わずか毎秒七トンの放流ですよ。信濃川は石河原になって死んでいる。JR東日本の売り上げは二兆七二七〇億円。そんな独占的な優良企業が十日町の命の水をさらに不当に取っているなんて、まさしく屍に鞭を打つ、吸血鬼のような行為ですよ」**(175,6頁)

**「信濃川を涸らしておいてどこが地球に優しいんだ」**(176頁)


 


新潮文庫の安部公房あと7冊

2024-10-01 | A 読書日記

『R62号の発明・鉛の卵』をようやく読み終えた。

手元にある安部公房の作品リスト

新潮文庫23冊 (文庫発行順 戯曲作品は手元にない。2024年3月以降に再読した作品を赤色表示する。*印の5作品は絶版)

今年(2024年)中に読み終えるという計画でスタートした安部公房作品再読。9月30日現在16冊読了。あと3か月で残り7冊か・・・。このところ何かと忙しくて、本を読む時間がないなどと言い訳してはいけない。刊行順だと次は『燃えつきた地図』だが、先に『笑う月』を読むことにしよう。『砂の女』は2020年の12月に読んでいるから今回は読まなくてもいいかな・・・。


買ったまま積読状態の本6冊を優先すべきかなぁ・・・。


『他人の顔』1968年12月
『壁』1969年5月
『けものたちは故郷をめざす』1970年5月
『飢餓同盟』1970年9月
『第四間氷期』1970年11月

『水中都市・デンドロカカリヤ』1973年7月
『無関係な死・時の壁』1974年5月
『R62号の発明・鉛の卵』1974年8月
『石の眼』1975年1月*
『終りし道の標べに』1975年8月*

『人間そっくり』1976年4月
『夢の逃亡』1977年10月*
『燃えつきた地図』1980年1月
『砂の女』1981年2月
『箱男』1982年10月

『密会』1983年5月
『笑う月』1984年7月
『カーブの向う・ユープケッチャ』1988年12月*
『方舟さくら丸』1990年10月
『死に急ぐ鯨たち』1991年1月*

『カンガルー・ノート』1995年2月
『飛ぶ男』2024年3月
『(霊媒の話より)題未定 安部公房初期短編集』2024年4月