(藍香尾高惇忠生家)
旧尾高家長屋跡
尾高惇忠生家の前にかつて尾高家の長屋があった。長屋は昭和四十年(1965)頃、少し離れた場所に移築された後、平成十五年(2003)前後、取り壊された。現在、跡地は石の基壇がある以外、何も残されていない。
尾高家は米穀や塩、菜種油などの日用品や藍玉の加工販売を主とし、農業も営んでいた。長屋では、藍玉製造や菜種油の搾取などの作業場として使用されていた。長屋が建設されたのは、主屋と同じく江戸後期といわれている。一説では、この長屋を惇忠たちが剣術の道場として使用していたという。
(稲荷神社)
稲荷神社
中の家に近い、北阿賀野の稲荷神社には渋沢栄一が撰文した桃井可堂顕彰碑が建てられている。
可堂桃井先生碑
桃井可堂は、現・深谷市北阿賀野に生まれた。名は儀八。可堂は号である。十二歳のとき渋沢仁山に師事し、二十二歳で江戸遊学を志し、江戸の東条一堂に学び、門下の三傑と称された。そこで勝海舟、藤田東湖らと交流があり、水戸、長州藩の影響を強く受けた。その後、備中庭瀬藩板倉勝資に仕えたが、文久三年(1863)以降、長州に接近。藩を辞して帰郷し、中瀬村にて学問を教えながら、尊王攘夷の挙兵を企てた。上武、越後の同志を集め、計画の実行を試みたが、仲間の裏切りもあって失敗に終わった。可堂は川越藩に自首し、絶食して命を断った。
(深谷大河ドラマ館)
前回、渋沢栄一の生家中の家や尾高惇忠生家を訪ねたのは、もう十四年も前のことになる。今回久しぶりに深谷市の血洗島、下手計周辺を歩いてみようと思いたったのは、今年(令和三年(2021))の大河ドラマ「青天を衝け」を受けて、盛り上がる深谷の様子を自分の目で見ておきたいと思ったからである。
二月には深谷市公民館の一階に大河ドラマ館がオープンした。せっかくなので大河ドラマ館に立ち寄ることにした。入場料は八百円。
渋沢栄一 青天を衝け
深谷大河ドラマ館
展示されているのは、ドラマで使用された渋沢栄一生家のセットや衣装、小道具など。登場した俳優のサイン色紙も並べられている。
何か新しい情報を仕入れられないかと目を皿にして見て回ったが、そういう期待には応えてくれなかった。基本的には展示品はドラマの進行に合わせて更新されていくそうなので、あまりこれから放映される内容には触れられないのであろう。
園日渉以成趣
敷地内に渋沢栄一書「園日渉以成趣」碑がある。「園日渉以成趣」という言葉は、中国の詩人陶淵明の「帰去来辞」の「園は日々に渉りて以て趣を成す」から選ばれている。我が庭園は毎日散歩して見ているが、いつもそれぞれの趣があて、まことに面白い眺めとなっている」という意味である。
この碑は、新築された深谷駅頭に明治四十語年(1912)に建てられ、その後、深谷市役所前の小園、深谷商工会議所の東園への二度の移設を経て、現在地に移された。