今週末の土曜日、久しぶりに劇団の集まりがある。
今度の集まりはいわゆる反省会。
その後は、ちょっとした食材を持ち寄り、会食を開く。
公演が終わって、早くも1ヶ月が過ぎてしまった。
去年は役作り以前に、芝居のテンポが作れず相手役にまで
テンポの悪さが影響しちゃって、本番まで稽古の数ヶ月間は
何処か楽しめなくて苦労した。
ただ、去年は相手役が凄く上手なアカリさんで、
僕は彼女に引っ張ってもらって、マンツーマンで練習して感じが掴めたので
本番の芝居は、本当に楽しみながら出来た気がする。
今年は去年以上に、台詞のテンポや活舌に気をつけて、
役作りを色々と考えたけど、自分が何度も台本を読み返しては
一生懸命考えたキャラも、演出家の考えているものと違いが有ったようで、がっくり。
相手役との相性も今ひとつ上手く行かず、何処か消化不良に終わっちゃった。
それに、稽古では芝居のテンポを上げろって、散々言われて
台詞がいくつもカットされたりすることが、数箇所あった。
その反面、僕が見ていて
「何でこんなシーンに時間をたっぷりかけるんだろう?」
なんて、思うシーンが何箇所か有ったりして、よく理解出来なかった。
理解出来た事と言えば、芝居と言うのは、
いかに演出家の気に入るような芝居をするか?と、言う事だろう。
それゆえに、演出家が個人的に好きな役者さんのシーンに
時間を割いたりすることに、いちいち文句を言ったりしてはいけない。
要は、芝居において「演出家は王様」なのであります。
それが判ると、何だか芝居そのものに創造的なものを感じなくなって、
「もう来年の芝居は止めとこうかな?」なんて気持ちになっちゃった。
そんな訳で、今回の公演後は去年のような脱力感を感じることも無く
次の公演に向けて、どんなことを練習しよう・・・・
なんて気持ちも去年とは違って、今は全く湧いて来ていない。
反面、音楽は逆に湧いてくるものが多くなった。
必死に曲を作ろうと思っていた時期は、全く出来なかったけれど
最近は、良し悪しは別にしてメロディーが沢山浮かんでくる。
相方とデュオでやるようになって、制約が少なくなったせいもあるのかな?
3人でやっていた頃に比べると、練習で合わせる相手は相方だけだから、お互い好き勝手にやって個性をぶつけることで曲の方向性が決まる。
たった、一人増えるだけなのに3人では唄い方やコーラスの感じが変わり
自分のイメージする曲作りにするには、時間を要することになる。
3人が駄目と言うんじゃなくて、3人は難しいと言う方が正しいかな?
苦労して妥協した曲作りをするよりも、自分と相方の感性をぶつけて
練習では、お互いの考えをはっきり言える事がいい。
(僕の我侭を通すことが殆どだけど・・・)
二人だから何か変更するのも、説明しないで済んじゃったり、
変遷しながら作って行く音楽の方が楽しくて、気分的にも「楽」。
芝居もこの「楽」な感覚で出来るようになるには、時間がいるのかな?
人数が多いのも一つの要因だとおもうけれど、相方とのデュオと
芝居との間で決定的に違うのは、お互いにある程度の練習してくること。
芝居ではそうじゃない人がいて、足を引っ張られることが凄く嫌だ。
練習をしてきて上手く行かないのならばお互い様で、納得行くのだけれど、
何も練習してこないで、稽古の場をそういう人の練習時間にされてしまう事が
ちょっと我慢できなくなることがよくある。
そういう人に限って言う言葉は一緒。
「まだ役作りに入っていない」
「本番までには、きっちり作り上げるから」なんて、言い訳する。
稽古の度に、その時点で役作りが出来ていなくちゃ駄目なんじゃないの?
これは去年、相手役に迷惑をかけた時に思ったこと。
僕は毎回練習して稽古に臨んでもそうだったし、
きちんと個人練習してくる人だって、沢山居るから余計そう思う。
それに練習してきても、稽古が仕事の帰りだったりして、
気持ちの切り替えが上手く出来ない時は誰でも有るし、
そんな時は稽古に入っても、何処か上手くゆかない。
そういう時は、「あれ、今日は何処かおかしいな?」って、
普段の稽古との違いに気が付くし、そういう人に対しては、
「何やってんだよぉ」なんて感情は湧きません。
やっぱり僕は、取り組む姿勢がストイック過ぎるのかな?
相方とのデュオや、サッカーチームでは、そんなこと無いんだけどなぁ・・・・
週末に皆に会って顔を見たら、また気持ちが「楽」に変わるんだろうな・・
今度の集まりはいわゆる反省会。
その後は、ちょっとした食材を持ち寄り、会食を開く。
公演が終わって、早くも1ヶ月が過ぎてしまった。
去年は役作り以前に、芝居のテンポが作れず相手役にまで
テンポの悪さが影響しちゃって、本番まで稽古の数ヶ月間は
何処か楽しめなくて苦労した。
ただ、去年は相手役が凄く上手なアカリさんで、
僕は彼女に引っ張ってもらって、マンツーマンで練習して感じが掴めたので
本番の芝居は、本当に楽しみながら出来た気がする。
今年は去年以上に、台詞のテンポや活舌に気をつけて、
役作りを色々と考えたけど、自分が何度も台本を読み返しては
一生懸命考えたキャラも、演出家の考えているものと違いが有ったようで、がっくり。
相手役との相性も今ひとつ上手く行かず、何処か消化不良に終わっちゃった。
それに、稽古では芝居のテンポを上げろって、散々言われて
台詞がいくつもカットされたりすることが、数箇所あった。
その反面、僕が見ていて
「何でこんなシーンに時間をたっぷりかけるんだろう?」
なんて、思うシーンが何箇所か有ったりして、よく理解出来なかった。
理解出来た事と言えば、芝居と言うのは、
いかに演出家の気に入るような芝居をするか?と、言う事だろう。
それゆえに、演出家が個人的に好きな役者さんのシーンに
時間を割いたりすることに、いちいち文句を言ったりしてはいけない。
要は、芝居において「演出家は王様」なのであります。
それが判ると、何だか芝居そのものに創造的なものを感じなくなって、
「もう来年の芝居は止めとこうかな?」なんて気持ちになっちゃった。
そんな訳で、今回の公演後は去年のような脱力感を感じることも無く
次の公演に向けて、どんなことを練習しよう・・・・
なんて気持ちも去年とは違って、今は全く湧いて来ていない。
反面、音楽は逆に湧いてくるものが多くなった。
必死に曲を作ろうと思っていた時期は、全く出来なかったけれど
最近は、良し悪しは別にしてメロディーが沢山浮かんでくる。
相方とデュオでやるようになって、制約が少なくなったせいもあるのかな?
3人でやっていた頃に比べると、練習で合わせる相手は相方だけだから、お互い好き勝手にやって個性をぶつけることで曲の方向性が決まる。
たった、一人増えるだけなのに3人では唄い方やコーラスの感じが変わり
自分のイメージする曲作りにするには、時間を要することになる。
3人が駄目と言うんじゃなくて、3人は難しいと言う方が正しいかな?
苦労して妥協した曲作りをするよりも、自分と相方の感性をぶつけて
練習では、お互いの考えをはっきり言える事がいい。
(僕の我侭を通すことが殆どだけど・・・)
二人だから何か変更するのも、説明しないで済んじゃったり、
変遷しながら作って行く音楽の方が楽しくて、気分的にも「楽」。
芝居もこの「楽」な感覚で出来るようになるには、時間がいるのかな?
人数が多いのも一つの要因だとおもうけれど、相方とのデュオと
芝居との間で決定的に違うのは、お互いにある程度の練習してくること。
芝居ではそうじゃない人がいて、足を引っ張られることが凄く嫌だ。
練習をしてきて上手く行かないのならばお互い様で、納得行くのだけれど、
何も練習してこないで、稽古の場をそういう人の練習時間にされてしまう事が
ちょっと我慢できなくなることがよくある。
そういう人に限って言う言葉は一緒。
「まだ役作りに入っていない」
「本番までには、きっちり作り上げるから」なんて、言い訳する。
稽古の度に、その時点で役作りが出来ていなくちゃ駄目なんじゃないの?
これは去年、相手役に迷惑をかけた時に思ったこと。
僕は毎回練習して稽古に臨んでもそうだったし、
きちんと個人練習してくる人だって、沢山居るから余計そう思う。
それに練習してきても、稽古が仕事の帰りだったりして、
気持ちの切り替えが上手く出来ない時は誰でも有るし、
そんな時は稽古に入っても、何処か上手くゆかない。
そういう時は、「あれ、今日は何処かおかしいな?」って、
普段の稽古との違いに気が付くし、そういう人に対しては、
「何やってんだよぉ」なんて感情は湧きません。
やっぱり僕は、取り組む姿勢がストイック過ぎるのかな?
相方とのデュオや、サッカーチームでは、そんなこと無いんだけどなぁ・・・・
週末に皆に会って顔を見たら、また気持ちが「楽」に変わるんだろうな・・