いよいよ、来週2日で今の部署とお別れ。
今夜は、今の仕事でずっと関わってきた製造関係の人達が集まって
送別会を開いてくれた。
僕を含めて11人。先だって、二人で飲んだ因縁のO崎先輩を筆頭に
定年退職されて、今は雇用延長の立場で僕の最後の設計となった
オックスフォード大向けの装置をフォローして頂いているS本さん。
そして超高圧電源の試作からずっとコンビを組んできたT山さん。
この方はサッカー部の先輩で、言いにくい事も遠慮せずに言い合えたので、超高圧電源の実験も予想以上に捗った。本当に世話になった先輩。
それに同い年で機械系の組み立てをやってくれたA葉君。
一緒に仕事をすることこそ無かったが、いつも僕をフォローして
助けてくれた製造部の親分F縄さん。
製造から設計に異動して、今まで一緒にやってきたH江さん。
ゴルフ仲間で、何かと言うと助けてくれたM田ちゃん。
製造部の長老で、僕に色んな意味で勉強させて頂いたE藤さん。
サッカー部で一緒にプレーをして、仕事でも頼めばどんなことでも
協力してくれたI沢。
年下で生意気だけど、年齢に関係なく物を言い合い、
現場で何度も怒鳴りあったので、周りが凍りつくことが多かったT崎。
こいつは、本当に頼りになった。
いつでもお互いを意識しあって何でも相談しあえた仲。
そして、もう一人は残念ながら一回も仕事で絡めなかったが、
次の超高圧電子顕微鏡を背負って行くO田。
この子の挨拶で「二つありがとうと言いたい」と言われた。
彼は、僕が初めて作った超高圧電源を搭載した電子顕微鏡を納入した北大出身。
その超高圧電子顕微鏡を使って論文を書いて卒業した男である。
僕の作った顕微鏡が、性能が出るまで何度も出張して
何とか作りあげたお陰で、彼も論文を書けたと言うこと。
その当時の教授が他社の顕微鏡から乗り換えると言ったギャンブルをしてまで、
わが社の装置の性能に期待して完成を待ち、その期待に応えた事を
教授がもの凄く喜んだという事も話してくれた。
その教授陣は、今でも僕のことを名指しで話をするようだ。
それともう一つは、彼が入社したての頃の話。
半導体事業部に居て高圧電源を使った実験に6回失敗していた。
彼が欲しい電源を誰に訊いても、作れないと言われて凹んでいて、
悩んだ挙句に、他部署の僕へ相談に来て、僕に貰った電源を使って
その後の実験が上手くいったという話をしてくれた。
その二つのことに対して「ありがとう」だそうだ。
僕には単なる一つの仕事だったのだが、こういったことを
感じてくれる人が居たことが嬉しかった。
僕はこの製造関係の人達が大好きだった。
現場に行って、彼らの顔を見るとホッとする事が多くて
よく製造現場に足を向けた。
それだけにみんなを裏切るようで、今回の異動の話をしなくちゃと
いつものように現場へ行って見たものの、彼らの顔を見ると、
どうしても話せなくて席に戻ってしまった。
でも、彼らは僕の事情を判って来てくれていた。
本当に優しい、心の通った人たちです。
全員から、励ましの言葉を順番に頂いて恐縮した。
みんな、次の仕事でもきっと成果を出すって信じてくれている。
本社の連中を見返して、新しい流れを作れとも言われた。
そして感じたのは、僕にはこんなに沢山の仲間が居て
応援してくれていること。
みんなの言葉を聴いていて、最後に因縁のO崎さんから
励ましの言葉を頂いて、ついに涙が溢れてしまった。
今夜は、今の仕事でずっと関わってきた製造関係の人達が集まって
送別会を開いてくれた。
僕を含めて11人。先だって、二人で飲んだ因縁のO崎先輩を筆頭に
定年退職されて、今は雇用延長の立場で僕の最後の設計となった
オックスフォード大向けの装置をフォローして頂いているS本さん。
そして超高圧電源の試作からずっとコンビを組んできたT山さん。
この方はサッカー部の先輩で、言いにくい事も遠慮せずに言い合えたので、超高圧電源の実験も予想以上に捗った。本当に世話になった先輩。
それに同い年で機械系の組み立てをやってくれたA葉君。
一緒に仕事をすることこそ無かったが、いつも僕をフォローして
助けてくれた製造部の親分F縄さん。
製造から設計に異動して、今まで一緒にやってきたH江さん。
ゴルフ仲間で、何かと言うと助けてくれたM田ちゃん。
製造部の長老で、僕に色んな意味で勉強させて頂いたE藤さん。
サッカー部で一緒にプレーをして、仕事でも頼めばどんなことでも
協力してくれたI沢。
年下で生意気だけど、年齢に関係なく物を言い合い、
現場で何度も怒鳴りあったので、周りが凍りつくことが多かったT崎。
こいつは、本当に頼りになった。
いつでもお互いを意識しあって何でも相談しあえた仲。
そして、もう一人は残念ながら一回も仕事で絡めなかったが、
次の超高圧電子顕微鏡を背負って行くO田。
この子の挨拶で「二つありがとうと言いたい」と言われた。
彼は、僕が初めて作った超高圧電源を搭載した電子顕微鏡を納入した北大出身。
その超高圧電子顕微鏡を使って論文を書いて卒業した男である。
僕の作った顕微鏡が、性能が出るまで何度も出張して
何とか作りあげたお陰で、彼も論文を書けたと言うこと。
その当時の教授が他社の顕微鏡から乗り換えると言ったギャンブルをしてまで、
わが社の装置の性能に期待して完成を待ち、その期待に応えた事を
教授がもの凄く喜んだという事も話してくれた。
その教授陣は、今でも僕のことを名指しで話をするようだ。
それともう一つは、彼が入社したての頃の話。
半導体事業部に居て高圧電源を使った実験に6回失敗していた。
彼が欲しい電源を誰に訊いても、作れないと言われて凹んでいて、
悩んだ挙句に、他部署の僕へ相談に来て、僕に貰った電源を使って
その後の実験が上手くいったという話をしてくれた。
その二つのことに対して「ありがとう」だそうだ。
僕には単なる一つの仕事だったのだが、こういったことを
感じてくれる人が居たことが嬉しかった。
僕はこの製造関係の人達が大好きだった。
現場に行って、彼らの顔を見るとホッとする事が多くて
よく製造現場に足を向けた。
それだけにみんなを裏切るようで、今回の異動の話をしなくちゃと
いつものように現場へ行って見たものの、彼らの顔を見ると、
どうしても話せなくて席に戻ってしまった。
でも、彼らは僕の事情を判って来てくれていた。
本当に優しい、心の通った人たちです。
全員から、励ましの言葉を順番に頂いて恐縮した。
みんな、次の仕事でもきっと成果を出すって信じてくれている。
本社の連中を見返して、新しい流れを作れとも言われた。
そして感じたのは、僕にはこんなに沢山の仲間が居て
応援してくれていること。
みんなの言葉を聴いていて、最後に因縁のO崎さんから
励ましの言葉を頂いて、ついに涙が溢れてしまった。