『やんちゃジジイ・ゆうちゃん』のイカすセカンドライフ

我儘で『やんちゃ』な爺さんの目標は、
周りに笑顔を振りまいて、楽しくセカンドライフを生きる事。

ゲームは何も、もたらさない

2008年09月04日 | Weblog
昨日は娘のゲームについて日記に書いたが、その続き。

僕は若い頃に、麻雀、パチンコ、競馬、ビリヤード・・・・
いわゆるギャンブルといわれるゲームを散々やってきました。
麻雀は叔父の会社に居たころに、従業員に誘われてやったのだけれど
レベルが低すぎて、僕は従業員全員から一ヶ月の給料分くらい巻き上げていた。
それで、叔父に『負けてやれ』と言われ、負けるためにやるくらいなら
いっその事やらない方がマシと、それ以来一切、麻雀をやらなくなった。

パチンコは就職もしないで、フリーターみたいな事をやっていた時期に
朝開店時から晩の閉店までやって生活費の一部を稼いでいた。
家族が僕を探す時に、パチンコ店を探したほどパチンコに没頭していた。
何時だったか?教員だった姉が僕を探しに来て、
ビーチサンダルを脱いで、山積みにしたドル箱に足を突っ込んで、
咥えタバコでパチンコをしている僕を見つけて絶句した事があった。

僕はプラスチックの箱一杯に出玉を入れて、『姉ちゃんもやんなよ!』って姉に差し出す。
まるで、チンピラの弟を持つ姉の映画みたいな話が現実にあった。
それを知ったその当時の彼女が怒って、『パチンコ止めるか、別れるか?』と
言い出して、結局彼女を取った。パチンコはそれで封印。
今では、パチンコ屋の音がうるさくて大嫌いになってしまった。

競馬は毎週、後楽園へ通い勝てば弟夫婦(その当時は彼女だった)を呼び出して
美味しいものを食べに連れて行ったり、ビリヤードは一ゲーム毎に金を賭けて
多い日は一万円以上勝ったりして、とにかくゲーム好きのギャンブラーだった。

そう、僕はゲームの楽しさは知っているが、楽しさ以外何も生み出さない事も知っている。
特に今のテレビゲームやゲームボーイなどの携帯ゲームはその傾向が強い。

トランプに始まって、麻雀、花札、unoなどのゲームは頭を使う。
相手の性格や、癖、好み、仕草などを観察して、相手の心理状態などを読む。
そういった意味では、ゲームとしてはかなり高級な部類。
将棋、囲碁、チェス、オセロなどは完全に読みと駆け引きが勝負を決める。
これは完全に知的なゲームで、賭けやギャンブルなどとは一線を画す。

パチンコやスロットマシンは何も生み出さない。運だけ。
ただ、昔のパチンコは少し趣が違って、釘を読み玉の狙いを定めて出玉を競う
そういった、釘師と打ち手との勝負みたいな所があった。
それも今は、ただ金欲しさにやる空しいゲームと化した。
パチンコに現を抜かす人間は金をいくら儲けたとか、何処か心が貧困。
ゲームやパチンコに費やす時間を働いたら、そちらの方が確実だし金の有り難味も違う。
ところがパチンコなどに夢中になる人間は、殆どが怠け者か、金に目がくらむ、浅ましい人間。
かつて自分がそうだったから良く判る。

携帯ゲームやテレビゲームは、勝てないと相手のレベルを下げて戦える。
そして都合が悪くなると、リセットしてまた最初から始める事もできる。
何でも自分の思い通りに事が運べる。
こうなったら既に、ゲームではない。

人生はゲームのようなもの。
ある時に良かれと思った選択が後で裏目に出たり、
思わぬ処から邪魔が入って、自分のプランを崩されたりする。
それに負けずに突き進んで行かなければ人は生きてゆけない。

最近起こる、通り魔は殆どがゲーマー。発想が全てゲーム感覚。いわゆるゲーム脳。
気に入らない事があっても、人生はリセットも出来ない。
相手のレベルも変えられない。それで思い通りにならなければイライラする。
それが高じて、『誰でも良かった』と、無差別に人を傷つけ、自分の憂さを晴らす。
喧嘩に負けるのが怖くて、喧嘩が出来ない。
人と議論して負けるのが怖くて、議論出来ない。
思い通りに物事が運ばない時、悪いのは自分じゃないと思いこむ。
そんな人間が、沢山居るのが怖い。これって日本だけじゃないのかなぁ?

いまゲームを子供に与えた自分を、非常に後悔している。
休日に外へ出てどろどろになって汗をかいたり、家に居て楽器を演奏したり、絵を描いたり。
そういった事を、やらせては居たのだが、何時の日か片づけが面倒だったり
汚れるのを嫌って、やらせなくなったのも親である自分の責任。

ゲームは楽しみを貰うだけ、他に何ももたらさない。
喜びを得るための過程を楽しむ事が、何よりも得るものが多く重要なのに・・・・
コメント
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