『やんちゃジジイ・ゆうちゃん』のイカすセカンドライフ

我儘で『やんちゃ』な爺さんの目標は、
周りに笑顔を振りまいて、楽しくセカンドライフを生きる事。

出会えて本当に良かった仲間

2008年09月19日 | Weblog
今日は会社のサッカー部の先輩で定年退職される7歳年上の先輩の慰労会。
二日続きで、呑みすぎてしまった・・・・

僕が会社のサッカー部に入って、25年。
その頃は会社のサッカー部の全盛期。
FWに11秒台で走るメンバーが揃い、そのうちの一人は
その当時サッカーでYAMAHA(今のジュビロ磐田)に入る予定だった男。
中盤は高校選手権に出場経験のあるメンバーがゲームを組み立てる。
ところが、ディフェンスは僕を含めてテクニックがある方ではなかった。
センターバックをやっていた僕のバックラインに右サイドバックとしてその方が居た。
試合中は、いつも僕に怒鳴られながらも、しっかりとしたディフェンスをしてくれて、
個人技こそ無かったが、チームワークで固いディフェンスをやっていた。

それでも、そのチームは東京都社会人リーグの2部で活躍したのだが、
1部昇格目前で最終戦を4:3で落としてしまい、昇格が成らなかった。
その上に行くには、もう一つ実力が足りなかった。

その後シニアチーム発足で再び一緒にプレーしたが、このチームは年齢の割に
強すぎて、あっという間に市民リーグの1部まで上がってしまった。
シニアチームは、勝ち負けをコントロールできる2部あたりでやっていれば
今でもやっていただろうが、そのチームは馬鹿だから、昇格をかけた試合で
本気になってしまい、勝ってしまった。
流石に1部では勝てなくなって、メンバーも集まらなくなり自然消滅。

そして、定年寸前の先輩は今でも若者と一緒にサッカーを続けている。

慰労会には僕が入部した当時の先輩達と一緒の第一世代。
先輩が抜けて廃部寸前まで部員が減り助っ人を頼んでまで続けて、
結局は4部まで落ちてしまった第2世代。
その後、第2世代が繋いだチームを次の世代がごっそり入り
3部昇格を果たした第3世代。
そして今の若手チームの第四世代。
この世代を超えたメンバーの心通っているおバカさんたちが一同に集まった。

この中で4世代に渡りプレーしているのは僕一人。
先輩が昔のメンバーは、試合終了と同時に殴り合いの乱闘になったとか
今も昼休みに一緒になってやっている若者を誉めたり、
とにかく上は取締役から、下は今の25歳のキャプテン。
そういったメンバーが、同じ立場で、冗談を言いながらの飲み会。
こんな同好会は、滅多にお目にかかれないでしょう。

そして、年寄りは若者がサッカーを続けるために幽霊部員となって
部費を払い続ける。若者は、先輩達の期待に応えるがごとく頑張る。
崩壊寸前の第2世代のキャプテンだった男が、先輩達にこう言われたそうだ。
「辞めるのは簡単、続ける事に意義がある。サッカー部の歴史を背負っている事を忘れるな」
実際、その時期にやっていた僕は、先輩の言葉が凄く印象に残っている。

サッカー部が創立されたのが、昭和37年。
まだ、日本はサッカーと云うスポーツが知られるようになったメキシコ五輪以前の話。
その当時は、パスを回すなんていう感覚が無く、ラグビーのようなキックアンドラッシュ。
先輩達が入った時期に、パスやトラップの重要性を説く高校秋田代表だった人が
我社のサッカー部にパスを回してゲームをする「近代サッカー」を持ち込んだ。
創部20年目に部に加わった僕は、その「近代サッカー」をするチームにのめり込んだ。

その後、一気に若手が増え、試合に出る機会が減った先輩達が、
試合がしたくて、シニアチーム結成のためにごっそり抜けて行った。
その先輩達の我侭のために、第2世代は廃部寸前になり苦労したのだ。

そしてその次の第3世代が皆40歳前後になった今、
僕に「シニアチーム」を立ち上げてくれと皆、口を揃えて言い出した。
でも、僕は
「今はまだ若い世代のチームが固定されていないから時期尚早」と
今日、若手を代表して来てくれた現キャプテンのチームが、
黙っていてもメンバーが揃うようになるまで見守りながら、力を貸してやろうと提案した。

こんな真面目な話も、きちんと聞いて意見を出し合う仲間。
「仕事でもこう有りたいねぇ」
と言いながら、大騒ぎに戻る。
先輩の定年慰労会は、いつの間にかいつものサッカー部の飲み会に変わっていた。
世代を超えた人間関係。今は、少ないんじゃないかな?
この部も4年後に創部50周年を迎える。
この部に入って、このメンバーに出会えて本当に良かったなぁと思った夜だった
コメント
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