実家の片付けも、なかなか思うように進まない。
お袋の残したものがあまりにも多くて・・・
それが日記だったり、子供の成長記録だったり・・・
家計簿がごっそり出てきて、思っていた以上に家計の切り盛りが
大変だったことが伺えたり・・・・
そんな訳で、無造作に捨てられないものがあまりにも多くて戸惑っている。
僕は割り切って処理が出来ないので、駄目ですね。
それでも、今日はピアノと、茶の間にあったテーブル型の炬燵と椅子のセット、
電動のリグライニングシート、ハロゲンヒーターを会社の同僚に頼んで
引き取ってもらった。
ついでに気に入ったものがあれば持って行ってくれと言ったら、
一緒に来たサッカー仲間が停電時に使えるファンヒーターじゃない石油ストーブと、
コップなどのセットを持って行ってもらった。
やっと大物が出て行ってホッとしたのだけれど、何か気持ちが釈然としない。
こういった物を処分していて、何か悪いことでもしているような
そんな気分になるっていうのかな?・・・・・
会社の同僚が『こんな太い柱のある家なんて、もう2度と建たないね』なんて言うし
従兄弟の嫁さんが、昭和20年代に購入した水屋(茶箪笥)が気に入って
捨てるなら欲しいって言って来るし、夜になって家を壊しちゃうのなら
床の間のある部屋の雪見障子(上下に分かれていて下段がスライドして外が見える)を
次に家を建てる時に使いたいから、全部欲しいって言ってくるし・・・・
それを聞いて、自分の釈然としない理由が判った。
要は、自分が育った家に凄く愛着があって、沢山の思い出が有ること。
汚いけれど生まれてからずっと食器が入れてあった水屋や食器類、
お袋が大事に取って置いてくれた子供の頃のおもちゃ
や、
修学旅行や林間学校に行ったときに買って来たお土産、
お袋が好きだった博多人形とか、こけしなどの飾り物など、
取って置こうと思えば出来るものまで、捨てようとしている自分に
疑問を感じていることに気が付いたんだな・・・・
友人いわく『沢山出てきたお宝のようなもの』には、それなりに
自分の歴史が絡んでいるって言うのかな?
従兄弟じゃないけれど、建て替えるにしても自分の歴史まで捨てていいのか?って・・・
何だか、急に家を壊して建て替えることに戸惑いを感じてしまっている。
今更、計画変更なんて事になったら大変なことになるしなぁ・・・・
しかし、出てきたお宝の中に昭和初期の「柿右衛門」の徳利、猪口などが出てきて
普段使っていたから、一部欠けちゃったり、酒飲みだったオヤジや祖父が亡くなった時に
徳利などを棺桶に入れてやったので、数が足らなくて値打ちは無いのだろうけれど、
その色合いは他の食器類(有田焼や九谷焼も出てきた)に比べると明らかに違う。
柿の色や、使われている青の鮮やかさが素人の僕にも解る違いがある。
なんかさ・・・お宝って、もしかして自分の思い出なんじゃないかって思い始めた。