今日から職場復帰。
といっても、相変わらず職場では仕事らしい事が無く、
「弟子」の面倒を看る位で、暇な毎日。
それでも、自分でやりたい事をコソコソとやり始めたから
退屈では無く、むしろ誰も知らないところで動くのが楽しい。
暇・・・と言うより、慌ただしくないとい言う方が正確な表現でしょう。
さて、今回の公演は日本人には余り理解出来ないであろう難民センターが舞台。
難民の気持ちについて、どれくらい考えて芝居が出来たのか?
アメリカという国は「自由」、「平等」の国と言われているが、
本当の所はいまだに人種差別が存在し、白人以外のヒスパニック、有色人種は
差別や蔑視の中で生きている事が多い。
本当なら一番アメリカらしいのは、黒人社会の気もするが、
我々の劇団では、そういった役を演じるのは不可能に近い。
僕から見たら、東欧系の人は同じ白人の類だろうと思っていたのだが
難民として渡って来ると、やっぱり何処か切羽詰まった生活をしているらしい。
実際、4月に起きたボストンマラソンでの爆弾テロは、難民の2世たちが犯人。
いわゆる「マイノリティ」として差別的な扱いを受けて育ち、アメリカと言う国への失望感が
いつか怒りへと変わり、犯行に及んだと言うのが新聞報道。
「マイノリティ」は多くの場合、そのグループの一員であることによって
社会的な偏見や差別を受けたり、少数者の事情を考慮していない社会制度の不備から
不利益を被て居る人たちの事で、社会的少数者、少数集団、少数派として
「社会的弱者」にも近い存在でもある。
全米で5000万人ほどいるらしいが、数としては少数でなくても、
差別や構造により社会的に弱い立場におかれていると言うのが実情。
この芝居では、難民が2派に分かれ東欧系の一派は不満を言う事無く、
現状を受け入れて、社会に馴染もうとする一派。
対してヒスパニックは不満ばかり・・・・何処かで、その不満が爆発するという一派。
お互いに共通しているのは、アメリカに来て希望を抱いて生活している事。
そして、何処かで「自由」、「平等」に疑問を抱いている事。
芝居と言うのは、自分が経験していないものを表現するのは難しい。
今回の難民役は、社会に対する不満等を、芝居の演技の中で感じ取れるような事を
演出から要求されていたが、それを表現するのは難しかったように思う。
不倫の恋もしかり・・・・
そういう経験が無い人たちだから、芝居も何処か表面だけの感じがした。
今回の芝居は、そう云った何かを心の底から訴えるような台本だった。
芝居では、そう云う部分を表現しきれなかったけれど、我々の劇団員の
年齢を考慮したら、ここが限界なのかな?・・・・とも思った。
観に来るお客さんも、だんだん高齢になってきているので、
そう云ったヒステリックな部分がある芝居は好まないだろうし・・・・
そう云った意味で、その足りない部分を今回の芝居では
唄によって表現しようと台本が作られていた気もする。
明日は、その音楽について書きましょう。