今日は仕事の一環で、午後から母校のデザイン学科へ出向いてきた。
母校の学科長が同窓生で、お互いの実家が目と鼻の先と言うこともあって
プロダクトデザインの授業に、参加させてもらったのだ。
若い人の自由な発想で、物をデザインさせるんだけれど、
我々のように、同じものを作り続けていると、いつの間にか
これはこう有るべき・・・とか、こういうものだ・・・・と言うような
ユーザーが欲しがっているものよりも、作る側の思い込みを
お客様に押し付けるような物作りになってしまい、
新しい発想が生まれなくなってしまっている気がしたのもその理由だ。
何も知らない素人の発想を『素人の考えること』と馬鹿にするのか、
逆に素人だからこそ、何のしがらみもなく考えられることに
新鮮味を感じるのかの違いが、仕事に取り組む姿勢に大きく左右する。
極端な話をすれば、前者の場合は既存技術のコピーの組み合わせで
物が作れてしまったりする。
それはそれで、プロダクトではあるのだけれど、物の本質的な部分に
突っ込んで、新たなことにチャレンジする姿勢が生まれにくい。
ただ、確実にものを作って行くという点では否定できない。
後者は全く逆で、素人の発想や期待に応えるには、
既存の技術だけでは出来ないことを考え出す必要がある。
そのためには、既存技術の欠点や利点、長所や短所を
きちんと分析して、足りないものを身につけないとならない。
前者は確実に物を作れたが、後者は失敗する可能性も高く
そういったリスクを背負って、事を進めなくてはならないから
長期戦に陥る可能性も高い。
少なくとも、僕は誰もやったことのないことや、手を出さなかった事を
やらされ続けて来たから、自由な発想が出来る幸せな環境に居た気もする。
学生達の考えるデザインやデザインコンセプトを聞いていると
何だか脳みそが柔らかくて、感心してしまうものが沢山あった。
人によっては『素人の発想』と、一笑に伏してしまうのだろうが
僕は、そういったアホみたいな発想がだんだん出来なくなってきて居るから
若い人を羨ましく思ったりした。
歳を重ねると、自然に保身に入るのだろうな。
『自分はいつもチャレンジャー』と、自負していたのだが、
若い人の発想を目の当たりにすると、歳を取ったなぁと感じたりする。
若いひとには失うものがないのかも知れないが、
そういう僕に失うものがあるのか?
と訊かれたら、「ない」と答えるだろう。
何だか、若い人から学ぶものが多々あった気がする。
友人が教育現場に居るのが羨ましく思えた一日だった。