今日から稽古が立ち稽古になりました。
まだ、みんな台詞が入っていないので台本を片手になのだけれど、
それでも台本を読んで来ている人と、そうでない人は直ぐに解ります。
僕は取りあえずですが、毎日一回は目を通すので、概ねの台詞は覚えました。
なので、自分の出番は出来るだけ台本を手放してやっています。
立って動きが付くだけで、台詞の言い回しも代わるのと同じように
手に台本を持っている、持っていないでも全然変わる・・・・というのが
一番の理由なんですが、何だか他の人は
『本番までに何とかなれば良い・・・・』みたいな気持ちの人が多いですね。
それに、台本を読み込んでいないから、台詞の持つ意味やニュアンスも全然解っていない。
実は、そいういう人は何度やっても、理解できないものです。
自分なりに台本を理解して、芝居で表現する。
それを演出家にぶつけて、演出の考えと違う場合には「こうして欲しい」と注文が入る。
だからこそ、自分の考えが演出の考えと一致した時に『やったぜ!』
みたいな感覚になって、楽しいのです。
これって、サッカーと全く同じなんですよ。
台本はいわば、「チームの戦術」だったり「戦略」だったりする。
試合をどう進めて、何処で試合を決めるか?ですね・・・・
僕のチームは、これがはっきりしている。
前半に無理をせず、相手に点を取らせないようにサッカーをやらせながら、
徐々に体力を奪って行く。
相手の足が止まったら、一気に攻勢に出て点を奪う。
そして、点差がついた時点で僕がセンターフォワードとして出る。
その後は僕に点を取らせるようにしながら、チャンスに点を重ねる。
これは「誰に点を取らせるのか?」、「誰がターゲットなのか?」
という事を明確にするための戦略であり、戦術でもあるのですよ。
そのためには皆が同じ事を考え、いかにゲームメーカーにボールをつなぐか?
が重要な要素なのです。
これが浸透して来た去年あたりから、うちのチームは圧倒的な体力と
ボールキープで、他のチームを寄せ付けないチームになりました。
芝居も同じで、皆が同じ方向に進めないといけない。
サッカーと違い、役柄がはっきりしているからその点では楽です。
そして自分の役割をきちんと理解して、芝居の中で表現する。
そのためには、稽古以前に個人個人が練習して来ないと駄目なのですよ。
一番嫌なのが「稽古の為の稽古」。サッカーで言う「練習の為の練習」です。
個人練習をしっかりやってきて、全体練習でしか出来ない練習をする・・・・
これが大前提なのに、いつもそうならないのがイライラする原因かな?
今日も声にこそ出さないけれど
「ヘタクソォ・・・・・」って、思った人が沢山居ました。
僕もそう言われないように、また一週間台本を読んでイメージ作りです。