『やんちゃジジイ・ゆうちゃん』のイカすセカンドライフ

我儘で『やんちゃ』な爺さんの目標は、
周りに笑顔を振りまいて、楽しくセカンドライフを生きる事。

『自分の子は一番可愛い』

2015年05月16日 | Weblog

今日も朝から、阿佐ヶ谷の河北病院へ出かけてリハビリ。
今日はリハビリの後に、先生の診断もあって、取り敢えず6月末まで
今やって居るリハビリ訓練を継続するらしい。

痛くて苦しい約1時間のリハビリを終えて、阿佐ヶ谷から荻窪へ戻る途中、
荻窪のドトールで軽い朝食。地元の岡田クリニックで
今度は首のリハビリと、高血圧の薬を貰うために内科の診察を受けた。
全て終わって帰宅したら、12時半を回っていた。

リハビリと言っても、整体のような事をやるので体がクタクタになる。
昼御飯を食べながら、部屋の掃除や洗濯を終わらせたのが2時半。
ちょっと一服したら、そのまま寝込んでしまい夕方になっちゃった。
最近の土曜日は、こんな事をやりながら過ごす日が多くなった。

昨日『元弟子』達と話をして感じた正直な気持ち。
今の子会社にも『弟子』として育てて来た若者が居るんだけど、
昨日の二人と、僕自身の思い入れが違うんだなぁって感じた。

『元弟子』たちは、僕が高電圧専門の部署を作れと上から言われ、
それならば若くて、ゼロから教えられる入社3年目と4年目の若者を引っ張ってきた。
1番弟子は僕が抱えていた『超高安定度高圧電源』の相棒と後釜として、
2番弟子は同じく設計を終えて、九州大学に納入する装置を組み上げ始める
『超高圧電子顕微鏡』の後継者として、製造部に頭を下げて物作りからやらせた。

僕はその他にも、前任者が退社して残して行った色んなトラブルを、
一つずつ潰しながら、その手伝いもさせながら、これから必要になる知識を
体験させながら覚えさせてきた。

そう云う意味では今の子会社の『弟子』も同じ事をやらせてきたのだけれど、
何処か『元弟子』と『弟子』のマインドが違うのが気になっていた。

実際『元弟子』達は、家出した父親のやっていた仕事を引き継ぎ、
ぐうたらオヤジながら、色々話してきた『やるべきこと』を、
自分なりにアレンジして、装置に組み込み実現して来てくれた。
昨日『あれは元のアイデアは全部、大佐(僕の呼び名)の物』と言ってくれて
何だか、それが凄く嬉しかった。

一方『弟子』は、親と引き離された途端に、何もやらなくなった。
色々と出来ない理由を言うのだけれど、僕には言い訳にしか聞こえない。

でも、昨日話をしていて気が付いたのは、この感覚がもしかして
『弟子』に伝わって居たのかも知れないと・・・・

要は『元弟子』は自分の作った部署で育てた、『自分の血を分けた子供』。
対して『弟子』は、子会社と云う元々あった場所に乗り込んだ、
いわば、再婚相手の家庭に居た連れ子で、所詮は他人の子。
同じように育てようと思ったが、怒鳴ったり、締めあげたりはしない、
何処か、他所の子を可愛がる乗りで、大事に育て過ぎた所が有る。

だから『元弟子』達は、今でも気になっているし可愛い。
子供は可愛いが、『自分の子は一番可愛い』と言う感じ。
同じ子供として育てたつもりだったが『弟子』に関しては、
『もう俺の手から離れて、どうしようもない・・・・』と思っている。

それがハッキリ判った昨日の飲み会。
今の部署の子は『弟子』だけでは無い、他の若者も僕を
『他所から来たオジサン』でしか無いのでは・・・・と思ってしまった。
そんな若者達が、思うように育たないのは僕に責任が有ったんだと実感した・・・・

でも、そうだからと言って方針転換・・・・と云う気にもならない。
同じように厳しい事を言って育てようとしたが、
僕が何も言えなくなった途端に、また元の楽な方に流れて行ってしまった。

少なくとも『元弟子』は、楽な道を選ばなかった。
苦労して『クソオヤジ』の遺産を引き継いで来てくれた。
その違いも、昨日の飲み会で感じたかな?

薄情な様だけれど、他人の子である『弟子』に対しては、
自分から喰いついて来ない限り『元弟子』達と同じような関係には
僕自身がなれないんだなって思った。

僕を慕ってくれる後輩たちは、皆『元弟子』と似たような関係にある。
僕が立ち上げたサッカーチームの連中も、同じように『自分の子』。
そんな感覚を、何処かで持っている。

定年退職後、きっと今の部署の事は頭の中から消えてしまうのでしょうね。
全ては、僕の責任です。

コメント
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