『うー』の最後が近付くにつれて、一番心配していたのが『ペットロス』。
12年も一緒に生活して居れば、急に居なくなる訳だからそれは当たり前。
そんな訳で『ペットロス』について、嫁さんと良く話していた。
一番心配だったのが次女。
『うー』が我家にやって来たのが小学校4年生の時だから、
次女の人生の半分以上は『うー』と過ごしてきた事になる。
社会に出て、毎日帰りが夜中になるので、昼過ぎま寝ていて起きて来られない。
友達などとの交流も休みの日に限られて居る。
そんな生活だから、次女の心を癒す相手は『うー』だった。
『うー』が居なくなった時の次女がちょっと心配だった。
長女は付かず離れずの立場だったし、元々動物は得意じゃない。
それでも、『うー』だけは抱っこしたりで可愛がっていた。
まぁ多少はがっかりするだろうけれど、
次女ほど深刻では無いだろうと思っていた。
嫁さんは?と訊くと
『私はもう覚悟が出来てるから大丈夫』と言って、
世話に明け暮れる毎日から解放されるって言っていた。
ところが、いざ『うー』が居なくなって、一番落ち込んだのが嫁さん。
とにかく元気がない。
気が付けば、『うー』そっくりの置物が買ってあって、飾ってあったり・・・・。
これは、僕にとって想定外の事でした。
動物は人が思うほどこの世に未練が無いと聞きます。
死んでしまうと、ひょいっとあちら側へ逝ってしまうらしい。
人が新たな動物を迎え入れることを怒る事も無く、
むしろ愛情を持って育ててくれた飼い主が、新たな動物を迎えて、
自分と同じようにたくさん愛情を注いで育ててくれることを
ペットは望んでいるのだそうです。
死んだあとの場所は人と動物は別の場所になるそうですが、
会いたいと思うと会いに来てくれるそうです。
これは『ペットロス』を検索していたら目にした記事です。
『うー』と過ごした12年と言う時間は我々家族にとって絶大です。
それゆえ、思い出すと胸が苦しくなるのでしょうね?
でも、家族が深い愛情を持っていたことを『うー』は分かってくれてる。
『ペットロス』は一緒に過ごした時間の長さだけではなく、
どれだけ深く愛して過ごしたか?なのでしょう。
僕は母親を亡くした時の喪失感と同じような感覚に陥った・・・・・。
時間が立ち直らせてくれるのを待つしかないでしょうね。