フランスの地ワインのこと。 以前、六本木にある国際技術情報機関で働いていた。同僚は6人の外国人。午後のコーヒーの時間のとき日本の各地の地酒のことをいささか自慢気に話した。若いフランス人が少しむきになって、夕方、駅ビルのフランス料理店へ一緒に行こうと言う。行くと店は心地よいフランス調の内装で料理も本格的。シェフが同僚のピエールの所へ来てなにやらフランス語で聞いている。よく冷えた白ワインが2本出てきた。彼は得意げにグラスに注ぎ、飲んでみて下さいと言う。ドイツワインが好みだが断る訳にはいかない。
2本ともどちらも美味。文句のつけようが無い。一方は酸味のきいた新鮮な葡萄の香り。もう一方は深い味の残った辛口。ピエールの流暢な日本語の話、「ワインは毎年ボルドーの北西にある葡萄農家へ200本注文し、船便で日本へ運びます。酸味のほうは葡萄が完熟する前に摘んだもの、辛口のほうは完熟後のものです」「いわゆる地ワインですね?」「そうです。フランスでは小規模の葡萄農家の地ワインが普通ですよ。大会社のものは輸出用です」「それにしても200本も飲むのですか?」「侘しい独り住まいなので夕食はこの店で食べます。自分用のワインは50本ずつこの料理店に預けて、冷やして貰っています。1年たつと200本は無くなります」「日本のワインは好きですか?」「私の好みに合いませんので飲みません」「地酒はどうですか?」「作っている人の気持ちが分かりますので、時々敬意を表するために飲みますが、好みではありません」
好みのワインの無い日本で独身のピエールは淋しそうにしていた。その後フランス大使館へ勤めていたが、風のたよりではやはりフランスへ帰ったという。六本木のフランス料理店での彼の完璧な日本語や楽しげな顔を忘れられない。丁度10年前のことであった。(終わり)