武蔵の国の国府は現在の府中市にありました。701年の大宝律令により全国に60余のくにぐにが出来た時に造られ、相模、甲斐、信濃、上野、下野、下総、上総、安房のくにぐにに取り囲まれていました。府中市では1975年以来、1000ケ所をこす地点で発掘調査が実施され奈良時代の武蔵の国府の実態がかなり明らかになっています。現在の伊勢丹デパートから大国魂神社にかけて上の写真の国庁とそれを取り囲む役所群があり、国衙(こくが)を形成していました。その東西南北約3kmには市街地が存在し、4000棟の竪穴建物遺跡と900棟を越す掘立柱建物遺跡が発見されています。下の2枚の写真は国衙の中から発掘された食器、日用品などで国司(守・介・じょう・目の4階級の役人群)が日常に使用していたと考えられています。一般の住宅跡からは鎌、鋤、手斧、鋸、などの道具類や矢じりなどの武器なども出土し当時の人々の生活をしのばせています。これら発掘調査の結果の詳細は府中市郷土の森博物館に展示されています。(終わり)