戦前の日本では洋行が憧れでした。南米や北米に渡り成功して故郷に錦を飾人もいました。飛行機が普及していなかったので船で海を渡って行来したのです。そんな時代に氷川丸は太平洋航路の花形として輝いていました。洋行しない人でも氷川丸に憧れていました。
6番目の写真は一等客の個室です。2等は6人部屋、3等は大部屋です。
7番目の写真は船内の見学が終わって甲板から見上げた救命ボートです。
さて写真で示した氷川丸は1930年に横浜ドックで建造され、それ以来19
61年まで31年間、シアトル、サンフランシスコ、ハワイなどと横浜の間を
往復する豪華客船として華やかな航海を続けたのです。当時の日本の花形客船
だったのです。
しかし1961年からは山下公園に係留されたままで、再び太平洋へ乗り出す
ことはありませんでした。
私は全長163メートル、11622トンの大きな客船の中をくまなく歩き
昭和という時代のあれこれを懐かしく思い出しました。
日本が貧しかったころに精一杯頑張って作り上げた客船という感慨に打たれ
ます。
余談ながら私が留学したオハイオで親しくなった小林 實さんはこの氷川丸に乗って渡米しました。そこで小林さんに頼んでその時の思い出の記を寄稿して頂きました。茫々60年前のことです。
===小林 實さんの乗船記===============
私が始めてアメリカへ行ったのは昭和34年、1959年のことですが、このことを書く際にどうしても素通りできないひとつの想い出があります。それは、現在横浜港に赤錆で船体が無残な姿でつながれている「氷川丸」のことなのです。今の大型客船に見慣れている方にとって、あのわずかに1万トンを超えたかぐらいの貨客船が太平洋を横断していたことは想像ができにくいかもわかりません。船体の安定装置のスタビライザーにしても、ハイテクのなかった当時のことですから、アリューシャン沖あたりで結構派手に揺れた記憶があります。 ・・・以下省略します。
当時まだ渡航制限が厳しく自費留学は極めて少なくそれもアメリカに身元保証人が居り、生活の保障がドルでできなければならなかった時代です。1ドル360円、しかも日本には外貨であるドルが少なく、持ち出しは一人50ドルまででしたから、それこそ闇で500円もしたものを補充しなくてはなりませんでした。