後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
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私のベトナム・・・そしてベトナムの死線を越えて日本で神父になったヨセフ・ディン神父様

2012年01月22日 | 日記・エッセイ・コラム

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(写真はハノイのあるホテル。第二次大戦まではフランスの植民地だったベトナムにはフランス風の建物が残っている。写真の出典:http://dsurpass.blog123.fc2.com/blog-entry-143.html )

第二次大戦が始まる前、ベトナムはフランスの植民地でした。「仏領インドシナ」と呼んでいました。ドイツがフランスを一挙に占領したので、その軍事同盟国の日本は仏領インドシナを軍事的に占領しました。真珠湾攻撃の前のことです。日本がアメリカと戦争を始める前に仏領インドシナは占領してしまっていたのです。

第二次大戦後、日本兵の多くはベトナムの独立戦争に参加し、グエン・ザップ将軍の兵隊として、フランス軍を破ぶることに貢献したのです。その日本兵に私は直接お会いして体験談を詳しく聞いたことがありました。

そして1966年から10年間に渡って激しいベトナム戦争が続いたのです。

ソ連と中国の支援を受けた北ベトナムとアメリカ軍や韓国軍が血みどろの地上戦を繰り広げたのです。アメリカの戦死者は5万人以上でした。

このベトナム戦争は日本人の考え方に大きな影響を与えました。事実上の敗戦でサイゴンを撤収したアメリカはその敗北の故に人々の考え方が大きく変化するのです。

キング牧師の公民権運動とベトナム戦争での黒人兵の大活躍とが結びついて、黒人差別が急速に消えて行ったのです。

多くのベトナム復員兵がアメリカの社会生活に適用出来ず森の中に独り住みます。あの豊かな白人のみによる古き良き時代のアメリカ社会が瓦壊してしまったのです。

日本人にとってベトナム戦争は複雑な思いで考えざるを得ません。日本を徹底的に空襲したアメリカが負けたのです。日本の「かたき」を北ベトナムがとってくれたのです。公には言えませんでしたが多くの日本人は溜飲が下がったのも事実です。

しかしその一方で、戦後、自由と民主社会を作ってくれて、恐ろしい冷戦中のソ連から日本を守ってくれたのはアメリカです。日本人はアメリカへ深く感謝しています。心底から感謝しています。

事情をもっと複雑にしたのはベトナム全土を占領し、南北を統一したのは共産党独裁政権だったのです。

権力を握った共産党はやがて中国系ベトナム人を弾圧しはじめたのです。あらゆる宗教関係者を弾圧したのです。それは過酷な弾圧でした。

その結果、弾圧を受けた人々がボートピープルとなって南の海上に逃げたのです。アメリカや西ドイツが救助船を出してボートピープルを拾ったのです。この時、日本は救助船を派遣しませんでした。ボートピープルに強く同情していた私は、日本政府の非人道的な態度にひどく悩みました。日本政府を軽蔑しました。

このようにベトナムと日本の間にはいろいろな事があったのです。

私のベトナムへ対する感情は複雑で、矛盾しています。その矛盾した感情を幾つかの記事にして、このブログに掲載しました。下の3編がその例です。

外国体験のいろいろ(4)ホンダバイクの奔流―サイゴン

外国体験のいろいろ(5) 温顔の将校ホーチーミン

外国体験のいろいろ(70)若い方々へのベトナム報告

このようなベトナムからボート難民として死線を越えてきた神学生が日本のカトリックの白柳枢機卿の支援で神父様になったのです。

現在のカトリック小金井教会のヨセフ・ディン主任司祭さまなのです。

2010年11月7日に正式に小金井教会の主任司祭になられた時、私は以下のような記事を書きました。

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201年11月7日のカトリック小金井教会のミサは、岡田大司教様の司式でディン新主任司祭様の着任を祝いながら行われました。

山本量太郎主任司祭さまがほぼ10年の任務の後、しばらく後任の主任司祭様が決まらなかったので、一層嬉しいミサになりました。

ゴ・クアン・ディン神父さまはベトナム戦争による難民として日本へ来られたそうです。白柳大司教様の支援とご指導で、日本でカトリックの神父様になった方です。神父様になってもう20年近くなり、日本語もとてもお上手です。そのような方が小金井の教会に着任され信者一同嬉しくて、大歓迎の様子でした。上にその写真を示しました。

話はいきなり飛びます。(このブログではしばしば話が飛びますのでお許し下さい)

1976年にベトナム戦争が終わってから、多くの難民が船にに乗って海に逃れました。アメリカと西ドイツなどの欧米の民間団体がベトナム沖に船をだして難民を助けました。

その頃、オハイオの大学のR教授と共同研究をしていて、彼の家に泊ったことがあります。R教授は日本人がベトナム難民を沖で助ける船を出していないことを激しく非難するのです。日本人は人道的でないと言います。ドイツ出身の奥様も西ドイツでは客船を出していますと非難に加わります。R教授夫妻はベトナム難民を数人自宅に引き取り、就職が決まるまで生活の支援をしたそうです。

私は日本人として恥ずかしくなりました。そして人道的でないという罪悪感を持ったのです。それ以来、「日本人はヒョットして人道的でないのではないか?」という罪悪感を持っていたのです。

今日はその私の罪悪感が少し消えました。嬉しいのです。20年以上前に日本の難民キャンプからディン青年を引き取り、支援した故白柳大司教様に感謝しています。ディン青年は難民になる前にベトナムで神学生だったそうです。その経歴を生かすようにした日本のお役人の関係者も偉かったと思います。

とても個人的な事を書いてしまいました。日本人を誇りに思える日でしたのでお許し下さい。そしてディン神父さまの輝かしいご活躍をお祈り申し上げます。

====記事の終り=======

この記事以来、ヨセフ・ディン神父さまは小金井教会の信者の世話を熱心にして来ました。お葬式や結婚式や七五三や成人式のようなことも丁寧にしてくれています。

神父は一度故郷を出ると古里へは帰りません。いつもイエス様と一緒ですから寂しくないのです。その信仰の強さが我々信者の心のよりどころなのです。しかし本当は郷里のベトナムの昔の思い出の話を私は聞きたいのです。

今日もヨセフ・ディン神父様のミサにあずかって来ました。私のお葬式もディン神父様へお願いしたいと思っています。

今日は日曜日なので久しぶりにキリスト教関係の記事を書きました。(終り)


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