後藤和弘のブログ

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中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「日本人に分かり難いキリスト教と愛という言葉」

2024年11月04日 | 日記・エッセイ・コラム
今日は宗教に関する文章を書きたいと思います。日本人に分かり難いキリスト教を簡明に説明し、愛という言葉について書きたいと思います。
さてよく考えてみると日本の人々は意識していませんが仏教の影響を深く受けています。日本は正真正銘の仏教国なのです。
しかしその一方で、明治維新以来、日本は西洋に学び、富国強兵をしてきました。その結果、ヨーロッパの文化も日本に入って来ました。キリスト教も入って来ました。
しかしキリスト教は仏教とあまりにも違います。仏教と非常に違うので理解出来ません。当然、信じることも不可能です。
こんなに欧米と交流のある現在でも日本のキリスト教徒は人口の3%以上になりません。増える傾向もありません。

キリスト教が理解出来ないのは、それが愛の宗教だからです。愛という言葉は明治維新以前には現在のように広く使われている言葉では無かったのです。
神が人間を愛しています。イエス様も人々を愛しています。人間は神やイエス様を愛します。
キリスト教では神やイエスや人間の絆は愛で結ばれているのです。このようなことを信じられますか?
このような考えは仏教にはまったく存在しません。仏教国の日本人に理解出来ないのは当然ではないでしょうか。

ここで愛という言葉の意味を考えてみましょう。愛とは相手を大切にする心です。相手の苦しみや悲しみに心を寄せ、その苦しみを担ってあげることです。相手が好ましいと思う心です。
キリスト教では神が人間を愛するのでイエス・キリストという人間を地上に送り、人々を救けようとしました。キリストはいろいろな教えを説いた後で、人間の罪を担って十字架についたのです。
死んで3日目にふたたび生き返り、弟子たちに会ったのです。そして天上に上がり全知全能の神の右の座についたのです。
そして天上から神とイエスは地上の人々を愛し続けているのです。

私はカトリック信者です。それでは私は神やイエス様が愛して下さっているという実感を何時も持っているのでしょうか?
答は、否!です。
しかしイエス様に愛されているという感じは時々持てます。例えばミサの中で、神父さんが「イエスの体」と言いながらパン片を私の手にくれる時に感じます。
その上、神父さんが私を信じ、大切にしてくれると、私は「イエス様が私を愛している」と感じます。
愛してくれれば、当然自分もイエス様を愛し、その教えに心を寄せます。

そして私の場合は洗礼を受けたカトリック立川教会の主任司祭をしていた塚本金明神父さまが忘れられません。そしてカトリック小金井教会の初代主任司祭だったムニ神父さまの愛を忘れられません。そしてその後、主任司祭になった山本量太郎神父さまの愛を忘れません。
現在の主任司祭の神父さまからも愛を感じます。
こうしてカトリックでは神父さんを通うしてイエス様の愛を実感するのです。神の愛を感じるのです。
愛されていると感じれば人間は相手を愛します。
これがキリスト教が「愛の宗教」と言われる理由なのです。

しかし元来、人間は疑い深い性格を持っています。イエス様や神の愛など信じられないのです。
しかし1日、24時間のうち数秒でもイエス様や神の愛を感じられば、それが決定的に重要になります。信者になれるのです。

まあ一般的に言えばイエス様や神の愛は荒唐無稽な話です。
多くの日本人がそれを信じないのも自然なことではないでしょうか?
宗教は無理に信じてはいけません。他人に無理強いしてはいけません。自然体で考え、信じられる人が信じれば良いことです。
私は絶対にキリスト教を他人へお薦めしません。
そして私は信じて初めて「キリスト教は愛の宗教だ」という意味が理解出来たような気がします。
世の中には信じないと理解出来ないものもあるのですね。

今日の挿し絵代わりの写真は長崎の26聖人像の写真です。
16世紀後半、初のキリシタン大名となった大村純忠は、ポルトガルとの貿易による収益拡大のため、当時まだ小さな漁村に過ぎなかった長崎を開港しました。1580年に、この地をイエズス会に寄進し次々と教会が建てられ多くの人がキリシタンとなりました。小ローマと呼ばれるほど繁栄していましたが、1587年 豊臣秀吉により「バテレン追放令」が出されました。
1597年、京都や大阪で捕らえられた外国人宣教師と日本人の信徒、合わせて26名が長崎西坂の丘で磔刑に処され殉教します。カトリック教会における「日本二十六聖人殉教者」の祝日は2月5日です。26人のうち、日本人は20名、スペイン人が4名、メキシコ人、ポルトガル人がそれぞれ1名でした。すべて男性です。有名な彫刻家の舟越保武氏が4年半の歳月をかけて、昭和37年に完成したものです。添付の写真が舟越保武氏が作った「日本二十六聖人殉教者」の像です。 昭和37年(1962)、日本二十六聖人列聖100年を記念して、殉教地である西坂公園に記念館と記念聖堂(聖フィリッポ教会)、そして日本二十六聖人の像が建立されました。設計は建築家 今井兼次氏、日本二十六聖人等身大ブロンズ像は、彫刻家 舟越保武氏が作ったのです。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)


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