春夏秋冬ライフ

四季の変化に向き合い、目の前に起きる様々な出来事を目の丈で追ってみた。

横江さん、お冥福を祈る

2009-05-20 11:53:00 | 仲間との絆

府中の森市民聖苑で横江さんのお通夜が行われた。
多数の供花に飾られ立派な祭壇に、眼鏡越しに微笑む普段着の横江さんの姿があった。
現役時代は殆ど病気を受け付けない頑健な体も、癌に蝕まれ近代医学を持っても、手の施しようもなく、病院から家に帰り、ご家族に見守られる中で全うされたようであった。
此処暫くはお会いすることもなく、年賀状の取り交わしが唯一の繋がりであったが、几帳面な性格に、何時も版を押すように、元旦に届いていた。今年は少々送れてはいたが、きちんと届けられ、事態の急変を読み取る事はできなかった。
入社以来厳しい大阪のフィールドの中、第一線の営業でもまれ、東京に移られ、暫くしてから、技術部門に変わり、同じ仲間としてより身近な存在になった。
折からの国内の高度成長時期に建設ラッシュを迎え、主に原子力関連の計装設備に東奔西走する毎日であった。
当時、所得が増え、世の中多少ゆとりが生れたが、車を持つことが一つのステータスであったが、高嶺の花であった。そんな折りに当時爆発的人気車の600cc排気量のパブリカを手にされ、乗りまくっていた一人であった。
その名も「ガッツパブリカ」と称し、会社の保養所箱根荘に同僚と一緒にドライブがてら出かけたが、名にしおう天下の剣、厳しい登板路の前に息切れ、箱根路でもうもうと白煙をあげ、立ち往生してしまった。月明かりをたよりにボンネットを空け、暫く自然冷却で時を待ち、騙し騙し箱根荘に辿り着いたこと。力不足は余儀なく、伊豆西海岸の山道では、バスにせっつかれ、道を空けて、先を譲ったこと。高速路では遅い車は登板車線に位置し、次々に抜かれる車を前に我関せずと制限速度に届かぬノロノロと走ったことなど、持ち主の生き映しがそのままの「ガッツパブリカ」ようでもあった。
廻りが何を言おうとも、トコトン自説を貫き我が道を行く、昔気質の無骨な職人の姿が重なってくる。
そんな青春の想い出が昨日のように鮮明に蘇ってくる。同じ原子力の仲間の松田さんが早くして亡くなられ、今頃は横江さんと一緒に絆を確かめ合っているようにも見える。お冥福を祈る。



怪光線に一瞬たじろぐ

2009-04-24 21:33:00 | 仲間との絆
大都会の真っ只中日比谷通りに面し、目の前が皇居が臨める所に東京商工会議所がある。
恒例の会社OBの懇親会が此処で行われる。
グループ会社含めての、宮使いに、渡り鳥のようにあちこちに移動転属しながら定年を迎えるが、それぞれの組織でOB会を持っており、複数の箇所から案内があるが、その一つでもある。
東京駅から地下道で繋がって居るが、帰りはアルコールの酔いもあって、敢えて地下道を通らず、酔い醒ましに地上に出る。多少の酩酊に千鳥足の怪しい足どりに、体を通り抜ける風が心地よい。
来る時はお天道様の残日に日は傾いていたが、未だ明るかったが、帰りはすっかり夜の帳に入っている。
薄暗い闇の中、無粋な塀に囲まれた姿は東京の表看板として更に大変身中の東京駅であった。
明るい日射しの中レンガ作りの重厚な東京駅がお馴染みの姿であるが、僅かな灯に浮かぶシルエット姿がまた別の顔を持つようで、これはカメラに納めなくてはと、やおらデジカメを取り出す。何時でも、何処でも、ポケットサイズの機動性を遺憾なく発揮しうる優れものである。
しかし、シャッター押した瞬間、予期しなかった怪しげな反射物体がアングルに入り、見事に写真撮影は失敗した。

時も時、怪しげな物体は遥か空中からならば、お月さまか、それとも宇宙からの謎の飛行物体か、突然現れた、その怪しげな物体に驚いた。
その画像をモニターで見ると反射物体は写真アングルの下からなので、少なくとも空中からではないことが判り、地表からのものである事が判った。
ん~ん、つまり撮影した瞬間に一緒に居た同僚が撮ろうと被写体の間に横切ってしまい、怪しげな反射物体がアングルを覆ってしまい、フラッシュで近接距離で反射し、肝心の東京駅は霞んでしまったのである。
しかし、東京駅とは別に、眩いばかりの見事な輝きに驚くばかりであった。はてその正体は工事中の東京駅から工事関係者の被ったヘルメットとも一瞬よぎったが、良く見ると"生のもの"である事が判った。
思わぬ時間に東京駅での回向の出会いにに感謝する。
「回向に向かって2拝、2拍手、1拝」 「はあ~これで厄除けが心置きなく出来た」

御苑で花見

2009-04-01 10:42:00 | 仲間との絆
◇新宿御苑で恒例行事
毎年の恒例行事となってしまった新宿御苑での花見に今年も行われた。
元々パソコンのフォーラム知り合った方達との1年1回の集まりである。
わざわざ千葉から車で来られ、家族ぐるみで場所取りから飲食までの渾身的な舞台作りに乗っかってしまい、参加している。
好天もあって、何時にない花見ラッシュ、出入り口の入場券売り場も、延々とした長蛇の列に券を買うのに20分もかかってしまい苑内に入るの大変である。
上空より時々爆音けたたましく、報道用のヘリの乱舞に満開のサクラに押し寄せる人の群れを撮影しているようであった。

園内は人々の渦に、桜にはほど遠い芝生でも諦めて既に弁当を開いている群れもあった。
場所確保で案内して貰った場所は、枝にたわわの桜の木の下の最高の場所で、車座になって宴が開かれた。

気象庁やマスコミから桜の開花宣言され、10日以上経つのに、未だ未だ、満開にはほど遠くご覧の通り、蕾が固く閉じたまま、騒ぎまくる開花宣言が、花見の時期とは無縁のものと思い知らされた。開花を堺にあれだけ温かった陽気が一変し、寒くなったとか、色々言い訳しているが桜は正直である。
2、3日前の朝、空か白いものが、舞っている姿に、良く見たら雪が舞っていた。
そんな寒い折りに未だ2~3分咲きの御苑に臨時門まで開けられ、訪れる花見客は続々と詰めかける。中国人の甲高い声の歓声の群れも居れば青い目の欧州系の外国人も交じり、正に国際的な花舞台になっている。

◇桜の枝振りをバック

蕾の中にこうして弾けるように開いているものもある。僅かな桜の枝振りをバックにあちこちで「ハイ、ポーズ」とカメラ、携帯のシャッタを落とす姿があちこちで見受けられる。
一面に拡がる広場には殆ど桜も見えない場所にも、シートが敷かれ、丸く囲んだ輪の集団にたちまち埋まって行く。

何時も何時も、この日に家族ぐるみで来られる、仲間に助けられ、数少ない桜の中でも一番の極上場所を確保していただき、宴が開かれる。
城内放送では表向き、アルコール等の飲酒は禁じ居られているようであるが、酔っぱらって暴れないかぎり、黙殺しているようである。

◇年の経過を物語る
ほおをよぎる風は冷たいが、こんな時でも桜の木の下の花舞台でのビールは美味い。一年に一度輪の中に晴れて大学受験で見事合格したお嬢さんも常連として参加している。当初、未だ幼い幼児であった事をから、このお嬢さんの成長がこの宴会の歴史を物語っている。参加される諸兄の黒髪豊かなおつむも光輝いたり、白髪をなびかしたり、相応に年老いている。
参加する喜びに甘んじ、不覚にもちょっと深酒に酔ってしまった。

◇表向き、飲酒はご遠慮だけれど

表向き、飲酒はご遠慮下さいと、入口付近では唱えているが、皆それぞれ内緒で持ち込み、咲き乱れる花の下で、家族連れ 、アベックそれぞれのグループ、花見酒の世界に心酔するなど、皆それぞれ楽しんでいる。
老若男女、この花見に何とも好かれる国民なのだろうと思ったが、中には、中国語、英語が飛びの花見に、近況等々語らう話しに尽きない。
交う群れに、もう日本人だけのものでなく、国際的な場として此処御苑は有名な場所になってしまったのであろうか・・・。
今年は例年にない暖冬で、とうとう雪の姿を見受けられず2月は温かいまま、季節感のない冬で桜の開花は早く、恐らく4月1日ではソメイヨシノは終わって、八重桜か或いは葉桜かなんて、思っていたが3月になり、寒くなり、その分開花が遅くなるなどで、結果的にはドンピシャリの満開の時期に巡り合わせた。
寒さでじっと堪えていた桜も、人も一気に花開いた一時であった。
料理に酒に華やいだ晴れ舞台の下で、未だ堪能出来る喜びに浸った一時であった。


花の都、銀座で再会

2008-10-18 12:00:00 | 仲間との絆
◇銀座のど真ん中
花の都、銀座ライオンで会社の事業所のOB会に参加する。
久しぶりの大都会、有楽町駅からフードセンターを越え、晴海通りを海側に向かい、数寄屋橋へ。
平日の午後、相変わらず凄い人ごみ、皆忙しそうに、早足で歩き、急ぐ旅ではないのに、つりこまれるように、こちらも早足になってしまう。
人ごみの渦に混じって、それとなく判る外国人がデジカメを構え、この賑やかな街並みを撮っている。特にこれといった建物が有るわけではないが此処が日本の代表的な街の一つ、銀座を伝えて居るようである。
数寄屋橋から更に銀座4丁目の交差点で右折、銀座5丁目、6丁目と向かう。
色々近代的な新しい建物が続く中、老舗の三越や、松阪屋の独特の建物に何となく怪しげな記憶が蘇り、間違えなく、目的の方向に向かっていることが判る。


松阪屋で建物を取り囲むように行列が目を引く。何かとおもったら、ケーキ屋であった。恐らく評判の味とマスコミで取り上げられたのであろうか、たかがケーキ如きに、この長蛇の列、ブームに載せられ易く辛抱強く待ち並ぶ人種と改めて思い知らされる。
銀座通りから、脇道入り由緒ある独特の建物のライオンが目に入り、宴会場へ無事に辿り着く。

御会社のために尽くした、ゴマ塩や眩しく光輝く、じいさま達に交じり、黒髪豊かで仲間入りした新人など、この日のために気炎をはき、入れ込む衆など続々とつめかけ、会場はヒートアップし、外の爽やかな空気とは別に暑くなる。
会員の約1/3に相当する80人近くの群れ集が宴会場を埋めつくす中、宴会が始まる。
何といっても米国から始まった世界的な厳しい不況の中、立ち向かう事業の現況を現役幹部から報告が有る。
戦後からの混乱から世の中落ち着き、国内が建設ブームに沸いた時代を背景に歩んだ我々世代は未だ物作りに傾注し、事業は右肩上がりに成長し会社は成り立っていた。しかし、既に熟成された国内産業とも併せ、韓国、中国などの東アジアの隣接国の急成長に周囲を取りまく環境は全然変わってしまった。不透明な時代にどう生き抜くのか、先の見えない厳しい現実の世界にあることを改めて知らされる。そんな中で、既に組織から解放され、それぞれ第二の人生に向かい、ここに来られ、酒を飲み交わし旧懇を確かめ合う僅かな時間が平和なのかもしれない。

◇照明器具など歴史を感じる雰囲気
半世紀近くを会社生活で暮らし、その間会社も世の中の流れに沿って、分社化されるなどのこともあって、卒業するまで、グループ会社の中であちこち転籍移動した。
そんなこともあって、複数の所からOB会の案内がくるが、ここ計測事業部が20年近く在籍し、一番長くいた場所であり、親方日の丸のもと、会社員として人間として、叩き上げられたフィールドである。
多少早めに付いたので未だ出席者の少なかった。
会場ホールは三角窓、吊るした照明器具など歴史を感じる様な豪壮な作りで落ち着いた雰囲気を作っている。

広いと思っていた会場も定刻の1時になると、90名近くの出席者で埋まると、じじいパワーでアルコールが入る前に、ムンムンするぐらいに暑くなってくる。
30分程のご挨拶、順風満帆とはいかず苦しい社況にV字回復に立ち向かている時期にあること。ぬくぬくとした環境で生きる拝の身分に、急変する環境変化の中で第一線の現場の厳しい姿の披露に、思わず身が引き締まるおもいがする。
此処に居るじいさま達の世代は戦後、何も無い時代から、国の全体が建設・開発になびいた背景もあって、業績も順調に拡大基調で推移し、物も売れたある種の幸せな時代でもあった。
しかし、国全体が成熟期を迎え、鈍化した成長率に世の中が様変わりし、これまでの基盤だけでは立ち行かない難しい世の中になってしまった。

◇再会に意義も確かめられず
お利口さん、優等生の集団に刺激を与えるべく、ここにいるじいさまの野人の魂、エネルギーが必要では共、思えたが・・・。
もう動くのもかったるい大聖人から、頭部は益々輝け、眩しく映るもの、白髪豊かなもの、旧懇を確かめあい、益々意気軒昂に輝き、燃えた一日であった。

過ぎたる時間に加齢され老いた姿や現役以上に艶やか姿に驚き、懐かしみ、確かめあい、気づいた時にはあっと言う間に閉会となってしまった。
謂わば形だけの賀詞交換のような慌ただしい再会に果たしてどれだけの意義があるのかとも思いつつ来てしまった。

呑み助の集まり

2007-11-30 11:27:00 | 仲間との絆

会社OBの近隣者、謂わば"町内会"が集まって元気さを確かめあった。
写真のサングラス姿はその筋の方の集会に見えるが、加工写真で、ごく真面目なおじさん達である。
さてこうした集まりに、現金収入がなくなり、淋しい懐具合に安く賄え、静かな場所があればと思っていたが、厳しい社況を反映してか、気軽に利用できたクラブが無くなってしまった。
仕事をやり終えて、肩の荷を降ろし、返りに一杯と言う慣習はなくなってしまい、そそくさと家路に付いてしまうのであろうか、ともかく飲んべえのたまり場が無くなってしまったのは淋しい限りである。
そんな様変わりした周辺で、同業の電機メーカS社が近くにあり、とうに閉鎖してしまった当社の施設を尻目にクラブとして今なお、営々と継続しており、地域社会との繋がりで、社員以外の我々でも、利用できるのである。
工場の敷地から離れ、閑静な住宅地の一角にあり、気兼ねなく出入り出来、元より街の飲み屋より、安く利用できるのである。
「へえ~こんな所に、立派なクラブが・・・」「当たり前よ~何せ、これが一流企業さ」
このクラブの存在は知っていたが、現役時代は多少の競い合いに、とても此処に来るとも思えなかったが、今や何の抵抗感なく利用できるのも、時代の変化なのであろうか、つくづくと考えさせられてしまう。
年不相応に皆、良く食べ、飲めるのは元気の証。
逸品の焼酎をと勧められ、飲み口のよさについついストレートで飲んだら、久方ぶりに飲むアルコール量に体が見事に反応し、酔っぱらってしまった。
酒量も落ちた、これも年のせいかと思われるが、楽しい一時であった。

ようこそ松崎家の世界へ

http://mzk.on.coocan.jp/