春夏秋冬ライフ

四季の変化に向き合い、目の前に起きる様々な出来事を目の丈で追ってみた。

身近な朝散にこんな出来事

2016-03-17 22:10:00 | 事件だ~!!
日課の朝の散歩で一日が始まる。
5時代は流石に未だ暗いが、一時から比べると随分明るくなった。
用意された日替わりメニュウで順番でコースが決まり、
拘りを持って踏襲してゆく。
無理のない範囲で、多少の負担をかけるために、坂、階段
などハードな部分もある。
<神明の100階段>

此処、神明の急傾斜の100階段は一番きつい場所である。

体の調子如何によって、一気に登り切れるか、呼吸が苦しく、
足元が怪しく、ヘロヘロになって途中で休むか、急階段は
一目瞭然に体の状態が判る。
階段の登坂時は落ちる恐怖から、身構えどうしても前かがみ
の下向きになり、目に入るのは階段だけで、全体を見通す
余裕もない。
節目節目での踊り場で、息を整え、次の階段へ、頂上への
見通しのないまま、これでもかこれでもかと続く難行に、
最後は気力との戦いである。

<神明の頂上からの俯瞰>

頂上に登り切り、転落防止の鉄ハードルに迎えられる。
振り向くと、遥か彼方の住宅の屋根と歩いてきた道の下界
の姿に、改めて高低の落差を思い切り感じる。
此処で休む暇もなく、目の前の桜並木に行くが、息が切れ、
階段登坂時のふらつきを引きずりながら、徐々に呼吸を整えて行く。

中央に手すりがあるが、この手すりを境目に、左側の昇降が
暗黙のマナーになっている。
足腰を鍛えるための格好の場所として、時折、この階段に
取り付き、昇り降りしている壮年の姿も、見受けられる。
喘ぎ喘ぎ、一歩、一歩、踏みしめながら登る拝の脇を、息も
切らせず、追い越す姿に多少闘争心も、かき立てられ、
『 畜生』と思いつつも、追う気力は失せている。

<神明坂の先、桜並木道>

先日のことであった。
この並木道に面した住宅地の側道に、赤色灯の点滅が周囲を
照らし嫌でも目に入る。
人通りも少ない朝の時間帯におやなんだろうと、点滅の灯が
気になると、やはりパトカー止まり、黄色のテープで非常線
を張っていた。
住宅の奥地ももう一台のパトカーがやはり点滅をしていたので、
只事ではないなと思いつつ、何事かと思いつつ、我が家に帰った。
ニュースで前日の夜に男性が刃物で刺される殺人未遂事件が
起き、警察が犯人の中学生に威嚇発砲し身柄を確保したこと
が報じられていた。
こんな静かな住宅地に銃刀沙汰の取り巻き事件が、普段何気
なく歩く、朝散の身近なコースに起きているとは、驚いた。

普段、予測つかない事件がこんな所に、起きている。
安全安心は空ごと、なのであろうか

目の前の衝撃事故

2014-12-08 21:26:00 | 事件だ~!!

が~んと言う衝撃音を鳴り響かせ、電車が止まった
通常の止まり方ではない
明らかに事故であろう
先頭車両に群がる係員、車両を中心に踏み切り付近まで、
関係者が数十人が駆けつけ調査している。


軌道内の枕木付近で車両の下部を覗き込み、写真を取る
只事ならぬ状況が自然と伝わってくる。

踏み切りで跳ねられ、引きづられるように車両の下部へ
即死のようだ
10両編成の233系であるから全長200mある。編成の一番後部車両
が踏み切り付近にあることから、衝突後の急ブレーキで200m先で
止まったことになる。
高速走行中の急停止は、車内の乗客が将棋倒しになることなど
安全面からも、この辺が限界なのであろう。


自殺か事故か判らないが、一瞬のうちに尊い命は失った。
開かずの踏み切りと思われるほど、車両の位置検出から
遮断は早い。
多発する同線の事例から、恐らく自殺であろう。

踏み切りの照明に最近流行りの青色発光ダイオードが、
使われ淡い青色で照らし出されている。
これも自殺予防に心理的な抑制効果を期待しているよう
であるが、追い詰められた状態にどの程度効果があるので
あろうか?

車両の調査も終え、警察、消防、JRの当事者、関係者、を
束ねる現場指揮者から、恐らく車両点検完了の指示が出さ
れたのかそれぞれの持ち場につく。
止まっていた車両もゆっくりと、動き出し現場付近を再び
走っていく。
軌道内に収容された遺体は車両通過後搬出される。合掌
散乱した遺留品は丁寧に回収される。



遮断機は下りたまま、事情の判らぬ車が、交通警官の姿で
事故で通過出来ないことがが判る。
幸いにして、通勤時間帯でなかったため、
大きな渋滞にならなかった。

事故現場では消毒液が散布され強烈な匂いが周辺に立ち込める。
型通りの防御壁と踏み切りに、容易に入れる軌道内。
その前を高速に走る車両
何時かは起きるかと、思いつつ、
衝撃的な事件であった。

日を超えて、未だ漂う匂い
現場の架線には数羽カラスが止まり、空中には仲間が乱舞
不気味な鳴き声であった。




19号台風、浅川で消防車両

2014-10-14 15:39:00 | 事件だ~!!
来るぞ、来るぞ大型台風
1週間おきに丸で判を押したように南北に長い列島を
走り抜けていった。
18号台風は我が家西側を通過、19号は東側を抜けた。
東側は太平洋からの南風を台風の目にめがけて来る
ため、物凄いエネルギがまともに襲いかかる。
深夜未明の0時56分、八王子観測所で瞬間最大風速30.2m/sec
唸る風きり音、ばたばたと、たてる音が響きわたり
この狂乱の世界になかなか寝つけない。

台風一過、恐らく躍り狂ったであろうタワーが心配。
今度はもう駄目だろうと観念したが、無事であった。


早くあがったので、台風の足音を確かめたく
自然と浅川に向かう。
その姿が見えなかったが、激しいサイレンにこれは
何かあるかな~
と思って居たが、その音とは無関係に浅川護岸を上流にむかう。

遥か対岸に真っ赤なパトライトの点滅が目に入る。

狭い護岸沿いに消防車両と警察車両が群れなしている、
その姿に火事かな~と思ったが、消防服の姿もなく、火事では
なかった。


浅川護岸から目の前の渦巻く川に視線が向けられる関係者が
大勢、集まっている。
普段、散歩、ジョギングなど護岸に往復する程度で、これほど
人が集まるのは只事ではない。


護岸から急な崖の一点に関係者が上り、降りしている。
護岸沿いの1.5車線の狭い道は、車両の抜け道として、利用され
車両が結構多い。
車両誘導に警官が規制をかけ、只事ならぬ状態であった。

付近には砂防であろうか、コンクリートの道床があり、この部分で
波しぶきが立ち、周辺は絶えず轟音が響きわたっている。
昨夜来の台風で水かさも多く、上流から巨木が流され引っかかっている。
静かな川面もここだけは何時も騒がしく、喧騒の世界である。

さて、その真相が気になる
関係者がいる付近から、駆け下りた人物が、川に落ちたようだ。
その人物は救出され、病院に搬送されたようである。
滑って転んでならば、これほどの騒ぎにはならないであろう。

事故の真相はそれ以上判らないが、台風一過とはいえ、台風に
備え、何時になく、皆、身構えている
こんな時期に大量な車両と、動員された関係者。
とんだ人災であったのであろうか・・・。

非常線は解除され、何事もなかったように、ものものしい車両は
消え去りもとの静寂に帰った。

戦後に起きた八高線事故

2013-10-14 20:34:00 | 事件だ~!!
大きなうねりを伴い奥多摩を源流とし、東京、神奈川を縦断し、東京湾に注がれる多摩川を一跨ぎで対岸の拝島側に渡る。
この多摩川橋梁で八高線始まって以来の大きな事故がで発生した。犠牲者の霊を悼む展示物が当時の惨状を伝えている。

■車窓からの多摩川

左側に「多摩川」の看板、小宮を出た八高線は多摩川を渡ろうと多摩川に差しかかる。
専用軌道は土手の上を走り、橋をイメージする工作物がないため、運転席からいま正に橋を渡ろうとする実感が沸かない。右手に転落注意の警告表示にいよいよ橋にかかる。

橋上に出る。

右側に保線用の通路と橋の縁に腰の高さ程に手すりがある柵が、作業員の落下を防いでいる。
廻りに遮るものはなにもなく、橋上ではもろに風を受ける。僅かな保線路の近くに車両の通過は風圧がかかるが、通過する間、欄干で退避する

その通過車両を川面から見上げると、かなり高い位置に走っていることが判る。


■橋上で悲惨な事故

昭和20年(1945)8月24日 八高線(単線運転)は上下線共、蒸気機関車で牽引された5両編成の客車は多摩川鉄橋上に差しかかる。同鉄橋上の第7,8橋脚付近で正面衝突する。機関車と機関車は重なりあう形で制止する。
上下列車の先頭車両である1両目の車体は粉砕され、河中に落下し、後続の二両目が馬乗りの形で乗り上げる。
確認された死者は104人であるが、多摩川に落ち、遠く東京湾へ流された行方不明者が20数人以上居たと言われている。

◇何故、事故が生れたか
事故当日は台風により八王子ー小宮ー拝島に繋がる電話線が切れ、通信が途絶し孤立してしまう。併せて通票閉塞器が使えなかった。人の判断で、列車運転の「所定の順序」を伝え運行使用としたが、機関車の不具合から途中で変更となった。
その変更意図が片側に伝わらず、両車両が正面衝突する最悪の事態に発生してしまう。

◇後世に伝える車輪

鉄橋付近から発見された事故車両の2対の車軸は当時の事故を物語る記念品として、鉄橋付近にモニュメントとして展示された。
2004年、事故後約60年経過しようやく常設展示され、此処で起きた大惨事を語り継げる生き証人として、その役割を担っている。
橋脚下には台風で濁流が渦巻き、専用の歩道や、手すりもなく、激しい烈風の中、連絡役の鉄道員は身をかがめて四つん這いになって、枕木を頼りに一歩一歩捕まり、拝島側に 向かった。拝島駅で大役を終え、ほっとしながら再びこの橋を今度は機関車に乗って小宮側へ戻ってきたが、事故に会い殉職してしまった一人であった。

台風、装備品の故障、電話の不通、連絡指示が的確に繋がらなかったヒューマンエラーが、重なり大きな事故になってしまった。昨今、西では過速で曲がり切れず、北では整備不良で何れも脱線事故。何れもヒューマンが絡んでいる。

事故の様子はこんな形で伝えている。
八高線列車 衝突事故

ああ~その姿に悄然

2011-04-10 09:53:00 | 事件だ~!!

朝の早い時刻であったが、余りにも大きな衝動を与えた事件だけに、気も休めず、ご近所が遠巻きに見物していた。
被災した3軒の家屋である。北海屋とうふ店を真ん中に、左側が白い看板のおけ屋で、右側が普通の住居である。写真では影になっているが、この背後に住まいがあるが其処の何軒かも被災されており、火災の規模の大きさは前週の火事の規模よりも、大きい。
写真に向かって、一番右側の被災した家屋が当日の北向きの風下にあたり、一番燃えている。
家と家の空間がこれだけ離れても、あの猛烈な風が火の粉を運び、燃え広がってしまうのである。一旦火が付くと、手におえず、燃えるがまま、初動の消火活動の大切さを思い知らされる。

ご近所が集まり、呆然と焼け跡を眺めながら、当日の火の凄さを語る。二三日前にとうふを買いに来たが、こんな変わり果てた姿に、なってしまった。「古来此処で続け、ご近所に支えられた、とうふの製造販売の商いも、果たして再開出来るやら」と、自嘲気味に呟いていた。外壁、とうふの店看板は鮮やかに残っているが、建物内部は完全に燃えている。


3軒の家の裏側から、入ってみる。数件の家があったが、殆ど燃え尽き、僅かに路地で止めてあった車が僅かにその姿を留めているのみである。まかれた想像を超えた相当の放水が、燃えた灰がたっぷり水を含み、ゆるゆるとぬかるんでいる。表側は壁、看板が見えるが、内側の民家は完璧に燃え尽きている。

其処に置かれていた車も、既に退避する時間も無かったのか、ソフアー、タイヤ始め燃える部分は完全に燃え、車体のフレームと座席やハンドルの鉄骨部分を残し、完全に燃え、一部は溶けている。大凡1000℃を越える高熱が総て溶かしてしまっている。

JRの線路を挟んで数百Mの至近距離で起きた火災事故、両火事共、金曜日に起きていることが、何とも気になる。駅の北側の駐車場の事務所がそれ程離れていない時期に火災を起こしている。
今年になって、同じ地域で発生した火事が、たまたま偶然であったのか、この3件の火事が何を示唆するのであろうか・・・。
事件とするには素人の根拠のない推測であるが、地域限定で度々起きる火災に、何か不気味な感じもするが、日頃の生活の中で改めて火の用心の注意を徹底する、ことを心がけたい。
詳細な画像はこちらでご覧いただけます
近隣で大火災Part2

ようこそ松崎家の世界へ

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