「こちらは文久3年(1863)建てられ140年以上経過した江戸時代末期を物語る本陣の建物」
「甲州街道に面し、お江戸日本橋から10里(約39㎞)大名、公家、代官などが参勤交代で休憩所として利用した由緒ある建物」
月に1、2度であるが、ここで案内の大役を承っている。
今や秋真っ盛り、平日であると、時間に束縛のない、段階世代のおじさん、おばさん達が、デイバックを背負い、スニカーを履いた定番のスタイルでクラブティーリズムなどの旗をかざした団体や或いは個人でやってくる。
上気した顔にタオルで汗吹き、18畳の畳み部屋に案内すると、皆「ドテッツ」と崩れるように座り込む。しばしの休憩に皆ホットした表情にかなりの疲労感が伝わってくる。「どちらから来たんですか?」昭島、中にはつつじヶ丘からの強者が甲州街道を歩け歩けでひたすら西へ下り、ここに立ち寄ったようである。朝8時半に家を出て、途中休み休みといいながら、既に午後2時を廻り、4~5時間は歩いて居ると言う。
東海道を歩き、今回は甲州街道にチャレンジしているようである。
一通り案内してから、「これから何処えと」余計な事を聞いたら、「更に甲州街道を西下、八王子迄、1時間以上はあると思うが、頑張ります」と簡単に言ってのける。
「よっこらしょ」とすのこで再びスニーカーをはき、旅発つ姿に「お大事に」と声をかける。
秋の日は短く、果たして明るいうちにたどりつけるか、車両が激しく往来する、国道筋の騒音の中、歩け歩けの行者行進は続けられる。