友人の余りにも早い鬼籍入りに当プログで報告したら、物凄い反響なのか深夜未明から訪問カウンターが止まることを知らず、記録的なヒットをした。
余りにも凄いカウントアップにプログのカウンターが壊れているのではと思ってしまうほどの反響の多さであった。
これも故人の幅広い人脈と交遊関係から生れるネットーワークの広さを改めて感心してしまった。
その間2、3の方からもコメント頂き、その人を思い出す事が最大の供養であることなど言われ、微力ながらも故人のメーッセージが伝えられ、感謝頂いたことにホット安堵する。
もう、故人には何もして上げられないが、今の環境の中でせめて今出来るのはこんな事ぐらいなのであるが、余りにも大きい反響に身が引き締まる思いである。
限られた人生で、苦労しながらも一番輝いている時期に何を残したか、そして語り継がれる物語がある筈である。
数年前、NHKのプロジェクトXの魅せられた感動を参考に、事業部のOBを主体にその滲み出る様な汗とその結果生れた感動を記録し、製本化した。
故人も担当した火力発電所の制御装置の出筆の傍ら編集担当の一員として、多くの出筆者の取りまとめを尽力され、後世に残される立派な記録を残された。
語り継がりは人間の記憶と時間経過により、希薄してしまうが、こうして製本化されるとその時の生きざまが、そのまま静態保存される宝物である。
改めて、担当された部分を 繙くと西独シーメンス社へ行き、ヨーローパ技術を学び、日本の大電力会社との文化の狭間に立ちに導入する苦労が滲み出ている。技術屋として日本人としてプライドを背負い立ち向かわれた労苦が伝わってくる。
ヘビースモカーである事は既に書いたが、健康を害して、止めたくても止められぬのは、仕事でのストレスも藁をも掴む思いで縋ったのでは無かろうか?
廻りから叩かれても追い詰められても、決して慌てず、煙をふかし、淡々と時をおくる姿が思い出される