パソコン通信草創期に生まれ隆盛を誇ったニフテイフォーラムの会議室がネットの世界を賑わした。公文子供研究所の支援で同行の士が集まり、書き込みを通じて語り合う、電子会議室の場であった。
会議室に入るのも、専用のツールがあり、閲覧、発言にそのツールを使いこなす、ハードルを越える必要があり、誰でも簡単に入れるものではなかった。ところが日進月歩により、ブログなどを含めた掲示板が専用ソフトが無くても、誰でも入れる環境になり、ニフテイフォーラムは2007年最後に使命は終わった。
そんな流れの中で、フォーラムは解散したが、フォーラムで交わした仲間の絆は未だに続いている。
時間の経過は当時のお父さんは爺になり、孫を相手にマゴマゴしたり。幼児期であった子供たちが、親元から巣立ち、一端の主になったり、可愛い愛娘が人さまの嫁に送り出すなど、歳を重ねるごとに身の周りが大きく変わってきた。
お嬢さんの婚約/結納のおめでたい話、はるばる舞鶴から江戸にやってこられる海上自衛官の幹部の晴れ姿など、新宿に参集する声を聞きつつ、まだ、生きている証を伝えるべく旧南多摩郡からいそいそと出かけた。
場所は花園神社の裏側、一歩誤れば闇の中おどろおどろしい歌舞伎町であった。予めネットのストリートビューで確かめ迷わずに一発でたどり着く。細い急階段を登るとガラス越しに、店内を覗くと、高津館長と足立将軍がカウンターに座る姿が確認出来、手を振ったが、無反応。どこかで間違えた一元のじじいの到来と怪訝な顔していた。無理もあるまい、一年に一度の出会い、前触れも無く突如の乱入に識別されるまでかなりのタイムラグがあった。
「やあ、やあ何で来た~」「何かの風の吹き回しで顔を見たかった」ともあれ、高津館長とは「帝国データバンク史料館」見学以来、足立将軍とは、始めてのオフミーテイングではなかったろうか。
スーツ姿から、眩いばかりの制服をわざわざ着替えて頂き、その晴れ姿と、よれよれ姿の惨めなじじいも、お二人の引き立て役に、一緒に撮らして貰った。
この袖章が見えないか!!、旧帝国海軍の伝統をそのまま引き継ぎ階級制度の厳しい識別は此処にあり、「2等海尉」さまであるぜよ。・・・と上官殿として敬礼されるステータスである。
宴もたけなわ、晴れて娘を嫁として送りだす赤羽さん、大阪からはるばるやってこられた公文の竹田さんが揃い、5人の揃い踏み、「娘を送り出す親父としてバージンロードに手を携えて・・・」「いやあそんなもの、やらねえ~」など喧々諤々であった。
時にはネット文化のフォーラムを思い出しながら再会を喜び、歌舞伎町の夜は賑やかに、 時間の経つのも忘れ、楽しい一時であった。
皆さんご苦労さんでした。
今年も佐野さん御夫婦のお世話で4月3日(日)、新宿御苑の桜の下で会いましょう。