毎朝楽しみにしているのが連続ドラマ「花子とアン」。
自称「アン子」の私、中学の頃夢中になって呼んだ「赤毛のアン」シリーズ。
アニメも大好きで毎週楽しみに見ていました。
翻訳家の村岡花子さんのことはこれまであまり知らずにいましたが、今回ドラマのおかげで関連本を何冊かよみ、現在高島屋で開催中の「モンゴメリと花子の赤毛のアン展」にも昨日行って来ました。
なんと!偶然にも、ドラマの原作者で花子さんのお孫さんの村岡恵理さんも会場にお越しで、トークショーを聞くことができました。
恵理さん、とても上品な美しい方でした。
おばあさんはご本人が11ヶ月の赤ちゃんの時に亡くなっているので全く記憶はないそうですが、花子さんの評伝を書き、東京大森で「赤毛のアン記念館・村岡花子文庫」をお姉様と運営されています。
展覧会はアン好きの奥様方で大にぎわい。恵理さんのトークも会場の隅で立って行われ、ぎゅうぎゅう詰め。改めてドラマの力を見せつけられました。
さて、会場では花子さんが戦前放送していた、NHKのラジオの子供向けのニュースを読んでいる音声と映像がありました。
「全国のお小さい方々、ごきげんよう~」で始まります。
5歳で一人息子を亡くした花子さんは、子供のための図書館や放送などさまざまな活動をされていました。
そして、1952年、59歳の時に赤毛のアンを刊行します。
以降、日本でアンは大ブーム。花子さんのおかげで私のような「アン子」が誕生したわけです。
「戦時中に翻訳を続けてくれてありがとうございます」と感謝を捧げたくなる展覧会でした。
自称「アン子」の私、中学の頃夢中になって呼んだ「赤毛のアン」シリーズ。
アニメも大好きで毎週楽しみに見ていました。
翻訳家の村岡花子さんのことはこれまであまり知らずにいましたが、今回ドラマのおかげで関連本を何冊かよみ、現在高島屋で開催中の「モンゴメリと花子の赤毛のアン展」にも昨日行って来ました。
なんと!偶然にも、ドラマの原作者で花子さんのお孫さんの村岡恵理さんも会場にお越しで、トークショーを聞くことができました。
恵理さん、とても上品な美しい方でした。
おばあさんはご本人が11ヶ月の赤ちゃんの時に亡くなっているので全く記憶はないそうですが、花子さんの評伝を書き、東京大森で「赤毛のアン記念館・村岡花子文庫」をお姉様と運営されています。
展覧会はアン好きの奥様方で大にぎわい。恵理さんのトークも会場の隅で立って行われ、ぎゅうぎゅう詰め。改めてドラマの力を見せつけられました。
さて、会場では花子さんが戦前放送していた、NHKのラジオの子供向けのニュースを読んでいる音声と映像がありました。
「全国のお小さい方々、ごきげんよう~」で始まります。
5歳で一人息子を亡くした花子さんは、子供のための図書館や放送などさまざまな活動をされていました。
そして、1952年、59歳の時に赤毛のアンを刊行します。
以降、日本でアンは大ブーム。花子さんのおかげで私のような「アン子」が誕生したわけです。
「戦時中に翻訳を続けてくれてありがとうございます」と感謝を捧げたくなる展覧会でした。