あぢさゐ、という季語の周りを残像という言葉が回っている。
季語のあぢさゐ、と残像という言葉は同じ重さ。
お互いに引きあって、詩の宇宙をつくっています。
なぜ、あじさい、でなく、あぢさゐ、なのか?
他の言葉は口語なのに季語だけは旧仮名。
作者は、目の前の紫陽花のことを言っているのではなさそうです。
和歌、俳句の伝統文化に詠まれてきた文芸としてのあじさゐ。
あるいは言葉となった紫陽花を、こう表記している。
そして、それはすべて残像ではないか?
言葉の世界はすべて残像ではないか、とも読んでみました。
オスカー・ワイルドいわく「自然は芸術を模倣する」
遅足
季語のあぢさゐ、と残像という言葉は同じ重さ。
お互いに引きあって、詩の宇宙をつくっています。
なぜ、あじさい、でなく、あぢさゐ、なのか?
他の言葉は口語なのに季語だけは旧仮名。
作者は、目の前の紫陽花のことを言っているのではなさそうです。
和歌、俳句の伝統文化に詠まれてきた文芸としてのあじさゐ。
あるいは言葉となった紫陽花を、こう表記している。
そして、それはすべて残像ではないか?
言葉の世界はすべて残像ではないか、とも読んでみました。
オスカー・ワイルドいわく「自然は芸術を模倣する」
遅足