575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

私がどうしても伝えておきたい話~韓国船遭難の記録~ 竹中敬一

2017年03月03日 | Weblog
私は長年、テレビ番組を企画、制作してきましたが、日の目を見たのは極く僅かで、
多くは制作費や視聴率が望めそうにもない等の理由から企画の段階でボツになって
います。
先日もテレビ局在職中、上司だった人にお会いした際、「杉原千畝の番組、先見の
明があったねぇ」と云われました。
「命のビザ」で知られる杉原千畝の足跡を追ったドキュメンタリーを企画したのは
もう30年も前のことです。
今でこそ、出生地とされる岐阜県八百津には記念館もあり、資料も集められていますが、
企画した当時は殆ど知られていませんででた。
杉原千畝を取材するには、彼が亡命を求めるユダヤ人難民にビザを発給し続けた
リトアニアはもとより、「命のビザ」で救われたユダヤ人の足跡をたどる必要が
あります。
制作費が膨らむことは明らか、多分、企画は通らないだろうと思っていましたが、
案の定でした。この命令を出したのが先の上司だったのです。
この上司は「惜しい企画だが…」と思いつゝ立場上、ボツにしたのだと思います。
しかし、上司の頭の中には番組化された作品として記憶に残っていたのだと思います。
「あなたがボツにしたのしょう」と云ったら、その上司はやっと記憶が戻り、
最後は笑い話になりました。

番組化できなかった企画案は数多くありますが、今も心残りがして、どうしても
私としては伝えておきたい話があります。
明治時代、私の郷里、若狭湾に面した小さな漁村であった韓国船遭難救護の記録です。

明治33年 (1900)1月、泊 (とまり) 村に嵐のため大韓帝國 (当時の国名) の商船が
漂着。村人が総出で生死の境をさまよう乗船者93人全員を救護したという史実が
残されています。
泊の集落は僅か23軒ですが、それぞれの家に餓死寸前の乗船者を分宿させ、手厚く
救護したのです。幸い、全員が元気を取り戻し、漂着から8日目、無事本国へ帰還
することができました。
村人との別れに際し、韓国側の代表が、「貴国の恩は山の如く海の如くであります。
この恩を萬世の世まで語り伝えていくつもりです。」とお礼の言葉を述べました。

この時の詳細な村の記録が残されていて、私も10数年前、この感動的な物語をテレビ
ドキュメンタリーとして制作にとりかかりましたが、救護された93人はすべて今の
北朝鮮の出身者で、その消息がつかめず、番組は頓挫してしまいました。
双方の子孫の対面を夢みていたのですが … 。

しかし、昔から儒教を尊んできた民族です。「萬世不忘之恩」、韓国人救護の話は
語り継がれ、云い継がれているにちがいありません。
時代を超え、民族を超え、素朴な人間愛は永遠のものだと思います。

これから、数回に分け、当時の資料を多く取り入れてこの物語を伝えることで、私の
願いが一歩でも前進すれば、と思っています。
願いとは、北朝鮮にいるにちがいない救護された時の子孫と泊村の人たちとの対面。
願わくば、それがきっかけで今は分断されている朝鮮半島に雪解けが来ることです。

              

今日は雛祭りです。お雛様を飾る風習は中国や朝鮮半島にもあるのでしょうね。
ともに雛祭りを楽しめる時代がくるといいのですが・・・
                              遅足



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