父の歌集「しらぎの鐘」(昭和57年)より
逝く夏の木草の青の衰へを云ひつつわれ等保坂超え来ぬ
季(とき)の移ろひ最もあはれを覚ゆるは年年にして夏の逝くころ
夏は逝く 中山三郎と共に来て近江今津の鰻を喰らふ
近江路へバス下るとき 山峡の柿の古木に柿すずなりぞ
父は平成6年、92歳で亡くなるまで、生涯で7冊の歌集を自費出版しています。
どの歌集にも琵琶湖へ行った時に詠んだ歌が数首 出てきます。
若狭から琵琶湖へ行くには、若狭街道で水坂峠 (280 m) の分水嶺を越えて
保坂 ( ほざか )の集落を通り、近江今津へ出るコースが昔から開けていました。
今は若狭と近江を遮る山々にトンネルが貫通して、便利になりましたが、
以前は" 保坂越え " と言って、難所が待ち受けていました。
国鉄バス (今はJ R バス) がこのルートを小浜から近江今津まで走っています。
父は第4歌集「永遠と木草 」 ( 昭和59年 )の後記で琵琶湖へ行った時の
思い出を記しています。
「 …余りバスを利用して用事も無さそうな私を、バスの運転手に怪しまれた
事もある。私一人では心もとないので中山三郎さんに来て貰って保坂を越え
近江今津に行き、更に琵琶湖畔、木ノ本、更に余呉のうみあたりまで出かけた
事も一度や二度では無い。」
父の歌友、中山三郎さんは大正3年 (1914)、福井県大飯郡高浜町のお生まれ、
19歳の時、若山牧水の短歌結社「 創作社 」に入会。96歳で亡くなられるまで
農業を営みながら短歌の道を歩まれました。
夏場は海水浴客で賑わう若狭和田の公園には 歌友によって、中山三郎さん
の代表作を刻んだ歌碑が建てられています。
若狭湾 奥まりに吾れの八十年 農のくらしの春夏秋冬
父と中山さんは近江今津でバスを降りると、これといった当てもなく、あたりを
散歩したようです。
写真は滋賀県高島市を流れる安曇 (あど) 川 。
上流の果て 遠くに見える山々を越えれば、もう若狭。
望郷の念しきり。筆者撮影
竹中さんからお見舞いをかねて御父上の歌が送られてきました。
とくに
季(とき)の移ろひ最もあはれを覚ゆるは年年にして夏の逝くころ
この歌のような季節の移ろいを捉えた微妙な感覚が身にしみます。
ありがとうございます。遅足