父の第3歌集「 しらぎの鐘 」( 昭和57年 ) の中に滋賀県東近江市
石塔にある石塔寺を訪れた時の歌が数首載っています。
ゆく夏のアシヨカ王山 石塔寺 近江の国にわれは来りて
石の肌 曝れたる大き石塔に 晩夏の光あかあかと差す
丘の上の松にひとたび風吹きて それよりのちは絶ゆることなし
大いなる四角の石を積み重ね 塔たてりけり沈黙の塔
石塔寺へ車で行く場合、名神高速道路の八日市インターから20分
近くで緑に包まれた所に出ると 、その標識が出てきます。
お寺の案内書によりますと、石塔はインドのアシヨカ王が仏教興隆
のため、世界中にたてた仏舎利塔の一つと伝えられています。
お寺で聞いたところ、158段の石段を登れば大きな石塔が見える
とのこと。私にはとても無理と思いつつも、手すりにつかまりながら、
急な石段をゆっくりゆっくり進みました。この日は私以外、誰も訪れ
る人もなく、いつの間にか平坦な丘の上に出ました。
その時、見たままを一首
百五十八段を登りつめれば眼前に 石塔たてり 晩夏の光浴びて
大きな石塔を初めて見た印象は 、かって訪ねた新羅 ( しらぎ )の都
韓国慶州の南山に点在する石仏群や石塔に似ているということでした。
「 街道をゆく ~韓( から ) のくに紀行~ 」( 朝日文芸文庫 ) のなかで、
司馬遼太郎氏は、百済 ( くだら ) の都があった扶余 ( ふよ ) を訪れた
際に見た百済 ( ひゃくさい ) 塔に関して次のように述べています。
「 日本の近江蒲生郡は日本書紀によってわかるように渡来人がひらいた
土地だが、その蒲生郡に石塔寺 ( いしとうじ ) という寺があり、丘陵上
に石塔五重塔が立っている。この石塔五重塔も由緒が謎だが、瓜二つと
いっていいほごこの扶余の百濟塔と似ている。 」
石塔寺の石塔は三重塔で、司馬氏の勘違いだと思います。それほど、
両方の石塔が似ていたということでしょう。
石塔寺の近くに、百済の王子の末裔を祀る神社があるというので行って
みることにしました。(続く)
写真は滋賀県東近江市の石塔寺 筆者 撮影
随分むかしに行ったことを思いだしました。
変ったお寺だなという印象でしたが、そんな歴史があるんですね。(遅足)